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追い込むように訓練に明け暮れた試験までの日々は目まぐるしく過ぎ去り、ヘンリッカはついにその日を迎えることとなった。前日からしっかりと準備していた荷物を一瞥してから、イェレとの待ち合わせ場所へと向かう。
試験を受ける生徒たちが集まる大講堂ではペアごとではなく科ごとに並ぶことになっているので待ち合わせる必要はないのだが、先にお互いの顔を見て気持ちを引き締めようという話になったのだ。
今日のキルカ=サラストは緊張感からかどこか空気が張り詰めているようだった。
第二師団への所属試験は全員が受けるものではないが、やはり特別だ。不参加を決めた生徒たちもどこか浮き足立っているように見えた。
そしてたぶん、ヘンリッカも緊張している。
らしくなく落ち着かない気持ちになっているのを自覚して、ヘンリッカは知らず詰めていた息をそっと吐き出す。所属試験は長ければ十日はかかる長丁場だ。今から緊張したところで無駄な体力を消費するだけなのはわかっていた。
同じ場所へと向かう人流に紛れて努めてなんでもないような顔をして歩いて、そして道を逸れてしばし。ようやく視線の先に見慣れた姿を見つけてヘンリッカの足が早まる。大講堂へと続く道からほんの少し外れたそこは穴場だったのだろうか、彼以外の生徒の姿はまばらだった。
「おはようございます」
「おはよ」
ヘンリッカを認めてすぐにいつも通り柔らかな笑顔を浮かべた彼に、緊張の色はないように見える。その安心感に自然と力が抜け口元に笑みがのぼった。
「リッカちゃん、よく眠れた?」
「はい」
「オレはだめだったなー。緊張でなかなか寝付けなくて」
「本当ですか?」
なんでもないように見えてイェレも緊張しているのだろうか。和やかな声で告げられた言葉に驚いて思わず聞き返す。イェレは見えないかな、と小さく呟いて首を傾げるとヘンリッカにそっと視線を送って笑った。
「うん、でもリッカちゃん見ると安心するね」
「そ、そうですか?」
まさに今自分が彼に感じたことと一緒じゃないか。
イェレの言葉にわっと心が沸いてどきどきと胸を高鳴らせる。そこに期待するような特別な意味があるとは思えなかったが、やはり嬉しいものはどうしたって嬉しかった。
「よし、じゃあいこっか」
*
第二師団所属試験は、言うなれば初めての本格的な実戦である。
魔獣を相手取らなくてはならない彼らがキルカ=サラストに籠って学べることは実はさほど多くない。軍規などの軍人としての立ち振る舞いは学舎でこそ身につけることだが、まだ生態にわからないことも多い魔獣との戦いは実戦経験こそがものをいう。受けた討伐を完遂できるか、そして実戦の中でどう立ち回るかが試験内容のすべてだった。
一年目の生徒たちはキルカ=サラスト周辺の小さな森に住む、魔獣とも呼ぶには少々おこがましいレベルの魔獣狩りならば何度も経験していたが、試験で狩らなくてはならないのは正真正銘の魔獣だ。実際に近隣から報告が届いている討伐任務の中から、緊急性がなく半人前でも手に負えるようなものを選りすぐって試験に回すのが慣例だった。そして生徒たちはランク分けされた任務の中から自らの手でどの任務を受けるか選ぶのだ。
任務は序列が上の生徒から選ぶことができて、序列が同じ場合はパートナーの序列が高いほうが優先される。ごく稀にそれすら一緒の場合もあるらしいが、その場合は教官の采配で決められるらしい。
一位同士であるミルカとライネが一番なのは間違いないだろうが、結局他の生徒たちが誰と誰が組んだのかヘンリッカは知らない。キルカ=サラスト側から発表があるわけでもなく、わざわざ報告しにくる人間なんてミルカくらいしかいないからだ。
だけどたぶん、三番目になるだろう。
魔術科第二位のヘンリッカは、同じく騎士科第二位のソニヤとどちらが早いかという話だが、そこはイェレと組むと決めた時点でとっくに割り切っている。
任務の各ランクごとの数は実際の任務を使っている関係上どうなるかわからないが、三番目であればまだ最高ランクも残っているはずだ。あとは自分たちのスタイルと相性のいい魔獣を選べるかどうかだが、そもそも都合のいい任務があるかどうかもわからない。その辺は高望みすべきではないと事前にイェレと話し合っていた。
もっともこうして任務を選ぶのはこの試験のときのみで、正式に軍所属となった後に自分たちで選ぶようなことはないのだが、蓋を開けてみれば事前情報と現実がまったく違うこともあるのだ。本当に対峙する魔獣が自分たちの手に負える相手なのかどうか、見極める力も必要だということだろう。
もちろん二人だけで放り出されるわけではなく、試験官兼補佐役として現職の先輩がつくことにはなっていのだが、過去に不幸な事故が起きたのはけして一度や二度ではない。
ヘンリッカとイェレが講堂に辿り着くと、すでにそこはたくさんの生徒たちと張り詰めた空気とで満たされていた。魔術科と騎士科を合わせた人数のちょうど三分の一――百五十人――くらいだろうか。
試験は合格基準が定められており、そこを超えさえすれば受かるため、特に上限は設けられていないはずだが、不思議なもので受かるのは例年十五組前後だ。ヘンリッカは自分たちが落ちるとはかけらも思っていないため想像していたより多いのだなという感想だが、あくまで目指すのは主席。競う相手を思えば余裕こそかけらもなかった。
「行きましょう」
「うん」
講堂の中は静寂というわけではなかったが、無駄口を叩いているような人間は誰一人としていない。漂う緊張感を壊さぬようイェレと小声で囁きあってから、前の方に向かう。こういった生徒たちが一堂に会する場では科ごとに分かれて序列順で並ぶのが通例だ。
目線でイェレにしばしの別れを告げると、ヘンリッカは不本意にもすっかり慣れてしまった最前列の定位置へと迷い無く収まった。両脇のミルカとアルマースはすでに揃っていて、まっすぐと前を見ながら待機の姿勢を取っている。ミルカだけはちらりとヘンリッカの顔を見ると小さく笑って頭を揺らした。
それにいつも通りつんと澄まして見せてヘンリッカも前を見据える。
講堂の前方に位置する壇上の中央にはまだ誰もいないが、きっとすぐに学長がやってくるはずだ。つい視線だけそわそわと動かせば端に居並ぶ見知った教官たちに混じって見慣れぬ姿がぽつりぽつりと立っているのに気がついた。合格者が配属されることになる第二師団の上官たちだろう。キルカ=サラストで教官たちが纏っているものとは型の違う、黒地に赤の石飾りが散りばめられた軍服と、胸元ににきらめく階級章が眩しい。
緊張と高揚に思わず背筋を伸ばすと、まるでそれが合図になったかのようなタイミングで靴音が響き渡った。
学長だ。
齢六十を越えながらも衰えを見せない風格は、さすがかつて第二師団を率いた英雄といったところだろうか。残念ながらヘンリッカが生まれたころにはすでに前線を退いていたが、伝え聞く武勇伝は枚挙に暇がなかった。
「定刻のため、これより第二師団所属試験を開始する」
開口一番、地に響くような声で試験の開始を告げた彼は、そのまま朗々と訓辞を述べ始める。こうして学長がヘンリッカたちの前に姿を表すのは入学式以来のことだ。それだけこの所属試験はキルカ=サラストにとって重要な意味をもっているということだろう。
長く語ることを嫌う学長は、彼らしい簡潔な言葉で労いと軍人としての心構えを説くと、鷹のような琥珀色の瞳を細めてこちらを睥睨する。
「諸君はそれぞれ志を持ってここに立っているだろう。この試験は諸君の未来を決める第一歩である。一年学んだことを遺憾なく発揮し、我がヴィフレアに新たな力が生まれることを期待している。
――我らがすべては昏き森と共に」
学長の言葉に呼応するように一糸乱れぬ敬礼が講堂を揺らした。
「それでは今から任務の選択を行ってもらう。呼ばれた者からこちらへと来るように」
敬礼の余韻が収束してすぐに、今度は魔術科の主任教官が一歩前に出て壇上の隅に置かれた机を指し示す。
いよいよだ。
「ライネ・へリスト、ミルカ・トゥーリ」
さっそく呼ばれた二人の背中を見送りながら、ヘンリッカは知らず汗ばんでいた手のひらをそっと握りしめた。試験で取り扱われる任務はあらかじめ一覧にして配られている――この場で選ばせていたら時間がいくらあっても足りない――ため、だいたいどれを選ぶかはすでにイェレと話し合い済みだ。
当然当日になって増えていたり、逆に減っていたりする場合もあるのだが、ミルカとライネはとくに悩むそぶりも見せずすぐに書類を一枚選びとるとすぐに講堂の出口へと向かっていった。途中またミルカと目があって笑顔をもらう。落ち着かない気分で視線を逸らすと、ちょうど次の二人が呼ばれるところだった。
「ソニヤ・ミエッカ・パーシヴィルタ」
やはりソニヤが先だったか。
しかし結局彼女は誰をパートナーとして選び取ったのだろうか。なんとなく興味を惹かれて右手に並ぶ同期生たちに意識を向けると意外なことに動いたのはすぐ隣に立つ男だった。
「アルマース・タイカ・シルヴェン」
まさかアルマースだなんて。
自分を袖にしておいてこの男を選んだのかと思うと、どうしても微妙な気分になる。なによりもということはつまり、以前ヘンリッカのパートナーがいないことをアルマースが馬鹿にしたとき、彼自身もパートナーが決まっていなかったということである。
やはりこの男は敵だ。今すぐこの衆目の前で無様に転んでくれないだろうか。
しかしたいへん残念なことに特に問題も起きることなく講堂を出て行く二人を見送って、ヘンリッカはいよいよ回ってきた自分たちの番に名前を呼ばれるよりも早く一歩を踏み出した。
「ヘンリッカ・タイカ・ヴィーアライネ、イェレ・タイカ・メリルート」
少しだけ、講堂の空気が揺れた気がするのはさすがに自意識過剰だろうか。刺さる視線を受け止めながら騎士科の列から出てきたイェレとともに教官たちが待つ机の元へと向かう。
ランクごとに分けられた紙束をイェレが受け取ったのを見届けてると、ヘンリッカはそっと身を寄せて彼の手元を覗き込んだ。
「リッカちゃん」
どうやら希望のものは残っていたようだ。
一応直前で増えたらしき見覚えのない任務を軽く確認しながらも、小声で名前を呼びながらイェレが差し出してきた紙を確認して頷き合う。
「こちらでお願いします」
「……ふむ、君ならこちらを選ぶと思っていた」
ヘンリッカから書類を受け取った主任教官は、記された任務を確認して興味深そうに瞳を光らせた。
指でとんとん、と叩かれた先に記されているのは正規のヴィフレア軍でも手こずることもある大型の魔獣だ。確かにヘンリッカ一人であったならそれを選んでいたかもしれない。
さすが、生徒のことをよく見ている。今更とも言える感嘆の念を抱きながら、しかしヘンリッカは小さく首を振った。
「二人の力を活かすならこの任務が一番だと話し合いました」
その回答がお気に召したのかどうか。教官は薄く笑うと横に助手として立つ新人に内容を控えさせて、改めて書類をヘンリッカへと渡した。
「担当の試験官はセラフィナ・リンナ。魔術士だ。十二の鐘が鳴るまでに正門前に向かうように。試験官から声を掛ける手筈になっているので遠征の準備を終えて待機していなさい」
「わかりました」
「……検討を祈る」
「はっ」




