09-2
「なんでそんなことになってるの……?」
「へへっ、うらやましいでしょ」
「いや、うらやましくはない」
べったりと恋人のようにヘンリッカの腕に絡みつくミルカを見るヴィヴィの瞳は、口ではそうきっぱりと否定しながらもどことなく羨むような色を潜ませていた。だがその色を向けられているのはミルカではなくヘンリッカだ。
年頃の少女同士にやたらと距離の近いスキンシップが発生し得ることをヘンリッカは知っている。幼年学校でそうした光景を何度も見たからだ。
当然ヘンリッカはその輪に入ることなどなかったし、羨ましいとも思わなかったがミルカの信奉者たるヴィヴィは、きっとそうした少女めいたふれあいをミルカとしたかったのだろう。この場所へヘンリッカを引っ張るために腕を組むという選択肢を選んだミルカだったが、別に普段は誰彼構わずくっついているような印象はない。きっと急に縮まったお互いの距離への違和感を吹き飛ばすために、わざとそうしたのだろうとなんとなくヘンリッカは――彼女らしからぬ対人洞察力を発揮し――気がついていた。
「ほらミルカさん、ミュリュスさんが寂しがってますよ」
「え、そうなの?」
「ちっちが……」
「言ってくれればよかったのに!」
だがライバルであるミルカ相手にいつまでもそうしている趣味はない。
適当にヴィヴィにミルカをけしかけると、珍しく顔を赤らめる黒髪の彼女を尻目にヘンリッカはそっとあたりの様子を窺った。
中庭の隅にひっそりと建てられた小さなガゼボには、ささやかな、けれど美味しそうな焼き菓子が準備されていた。蔓草模様のあしらわれた品のいい食器はおそらくヴィヴィが用意したものだろう。ご丁寧に魔石入りのポットまで用意されているのだから間違いない。お湯の温度を保つためのそれは、平民が持つにはいささか高価なものだ。
最近茶会が流行っていると聞いたが小さいけれど陽当たりの良いそこに人気はない。ゆっくりと楽しめるようになにか取り決めがあるのかもしれなかった。居心地のいい空間に自然と口元が緩んでゆく。意外に思われるかもしれないが、ヘンリッカは茶会が好きだ。
貴族達の交流目的に開かれるようないわゆるお茶会は好きではなかったが、屋敷の庭で兄たちとささやかに楽しむ茶会は好きだった。根を詰めて打ち込む修練の日々に糖分の補給は必須だったし、滅多に帰らない兄たちとの語らいにはいくらだって得るものがあった。例え一人であっても薫り高い紅茶と美味しいお菓子で気分が変われば、そのあとの修練はより捗るのだ。
「もう、ミルカ! 時間がなくなるからはやく始めよう。お茶の準備をするからアナタは座ってて」
隣でミルカといちゃいちゃとじゃれ合っていたヴィヴィが、誘惑をはね除けるかのように自分よりも大きな少女の体を押し返す。ヘンリッカはその様子をそっと横目で見やると用意されていた茶葉の缶を持ち上げた。
「私が淹れましょうか?」
「え」
「持ち寄るのがキルカ=サラスト流のお茶会なのでしょう? 私、なにも用意しておりませんから」
せめてそれくらいさせてください。囁くように言って、面食らった顔の二人を座らせる。
正式な茶会であればホストがすべてを手配するのが通例だ。だがきっと今はそういう堅苦しい決まりがあるような場ではない。ヘンリッカなりに打ち解けることを考えての申し出だった。
「……意外。ヴィーアライネ、お茶とか淹れられたの」
猫のような大きな目を瞬かせるヴィヴィの横で、ミルカが同意するようにこくこくと頷く。驚きに染まる金色の瞳と好奇心に輝く珊瑚色の瞳との対比がなんだか可笑しい。
「こもって魔術の練習をしているときに、いちいち使用人を呼ぶのも煩わしいですから。安心してください、兄たちにも褒められる味です」
「……」
言葉を重ねてもなお驚きの抜けきらない様子のヴィヴィはヘンリッカのことを外国であればそこら中に転がっているという、一人では服も脱げないような深窓の令嬢だとでも思っているのだろうか。胡乱げな視線を受けながらなんとも言えない気分になる。たとえ元がそうだったとしても、ヘンリッカだってもう一年近く彼女と同じように寮での生活をしているのだ。
十分な蒸らし時間を置いてから、手際よく用意されたティーカップへ紅茶を注いでゆく。色違いで三つ用意されたカップが、なぜだかほんの少しだけこそばゆかった。香り立つ小さな湖面を最後の一滴でそっと揺らして、二人の前に配り終える。
「ありがとう!」
「……いい香り」
「キンドリー産の紅茶ですね。うちでもあまり手に入らない品なので楽しみです」
ヴィフレアから海を越えた先にある大国キンドリーとの安全な航路が拓かれ、交易が活発になったのはここ数年のことだ。こういった気軽な茶会でさらりと出してくるのは、外交官を多く輩出しているミュリュスならではだろう。ヘンリッカが素直に感心しながら礼を告げると、ヴィヴィはなんともいえない表情を浮かべて曖昧に頷いた。
「この焼き菓子、今王都で流行ってるんだって! リッカ食べたことある?」
「いえ、初めて見ます。ただのクッキーではないのですか?」
「見た目はクッキーみたいだけど、食感が全然違うの。サクフワって感じ!」
ヴィヴィの戸惑いもヘンリッカは理解しているつもりだ。間髪いれずに脳天気に響き渡ったミルカの声に、彼女は眉根の皺をさらに深くすると、ためらいがちに口を開いた。
「……いつの間にそんなに仲良くなったの」
「さっき!」
実にひどいミルカの回答である。
「まあ、その……ミルカさんには色々助けていただいたので」
本当はそれだけでミルカと馴れ合うつもりはヘンリッカにはさらさらなかったのだが、ヴィヴィにしてみれば得心がいったらしい。顔中に浮かべていた戸惑いを引っ込めると、だいたいの顛末を聞いているのだろう、代わりにうっすらと同情を滲ませた。
「災難だったね」
「油断しました。……まだまだ未熟ですね」
滅多に聞けないヘンリッカの殊勝な言葉だ。きっとまた驚いただろうに、もうヴィヴィはそれを表に出すこと無く神妙に頷いた。
「……私たち魔術士にとっては課題」
「ええ、近接戦に持ち込まれてしまうと、どうしても対抗するのは難しいです。それが魔獣相手となれば、いったいどれくらい耐えられるのか……」
「もっと体術にも力入れた方がいいのかなぁ」
当然魔術士だって軍人である以上体力勝負であるため、魔術士のカリキュラムにもフィジカル面を鍛える訓練は組み込まれている。だが所詮――たまに両刀と言って差し支えないほど才能を発揮する人物だっているにはいるが――付け焼き刃。お互いの散々たる訓練風景をよく知っている二人は、ミルカの言葉に同意する気にはなれなかった。
とりあえず、不自然に生まれた沈黙をごまかすために焼き菓子に手を伸ばす。そのままなにも考えずに歯を立てて、サクサクホロホロと解けてゆくような食感にヘンリッカは思わず目を見開いた。
これは、なんと美味しい。
確かにこれは王都で話題になるはずだ。
「そういえば、ヴィーアライネとメリルートがおかしな纏魔を使っているって噂になってるけど、あれはなに?」
「あっはいはい! 私も気になってた!」
すっと溶けるように口中に広がっていく上品な甘みに脱帽の唸り声を上げそうになっているところに、急に話を振られてヘンリッカは間抜けな声を上げた。
「え?」
「イェレ君、リッカの魔術纏ってるよね?」
さいわいにも気がつかれなかったのか、はたまた見て見ぬ振りをしてくれたのか。慌ててしたり顔をつくって頷いて見せる。
「はい、そうですね。メリルートの体質だそうです。纏魔の本質は魔力を纏わせるのではなく、纏うものなんだとイェレは言ってました」
試験内容が対人戦ならまだしも、特に秘匿する理由はない。それに理屈がわかったところで再現はできないだろう。あっさりとヘンリッカが種を明かすと、ヴィヴィは俄然興味を惹かれたように前のめりになった。やはりどんな魔術士にとっても未知の魔術は魅力的なものだ。
「じゃあ、メリルート相手には魔術がきかないってこと?」
聞いたことのない理屈に本人も半信半疑なのだろう。黒髪を揺らして小首を傾げるヴィヴィに、すぐに首を横に振って否定する。
「いえ、魔力ならなんでもというわけではないそうです」
「そういえば私とじゃ絶対無理だって言われたよ」
そうなのか。ヘンリッカの預かり知らぬところで交わされたらしいミルカとイェレのやり取りに驚く。確かにイェレはヘンリッカにしかできないと明言していたが、実際できないと言われた人物を目の当たりにすると、浅ましいと思いながらも表情が崩れるのを止められなかった。ましてや、それがライバル視しているミルカならばなおさらだ。
「ねぇねぇ、この前否定してたけどやっぱり二人って恋人同士なんだよね。愛の力で発動する的な必殺技だったりするの?」
そして、そうやってニヤニヤしていれば当然その理由は勘ぐられることになる。
「ミルカ……」
「ち、違います! なんですかその馬鹿みたいな発動条件は!」
「えー、だって」
どうやらヘンリッカはミルカの好奇心のつぼを踏み抜いてしまったらしい。前のめりになっていた隣に座るヴィヴィよりさらに身を乗り出して、珊瑚色の瞳をらんらんと輝かせている。言い逃れなどけして許さないといった雰囲気だ。
「誰とでもできないのは魔力の質の問題だそうです! だいたいイェレから、あ、あ、愛なんて囁かれたことなどありませんし、そんな物語みたいな必殺技なんてあるわけないじゃないですか!」
「あーやっぱりリッカはイェレ君のこと好きなんだ」
「なんでそうなるんですか!」
「わかりやすい……」
狼狽して舌がもつれそうになったところに、確信を得たようなミルカの表情でさらに動揺が積もってゆく。さらにヴィヴィにまで呆れたような口調で追い打ちをかけられてしまえば、もうヘンリッカには言えることなどなにもなくなってしまった。どうしようもなくなって目を釣り上げてみても、僅かに熱い目頭のせいでなんの迫力も出せていないのは明白だ。
そもそもヘンリッカ自身だってイェレに抱く己の感情をまだ受け止め切れていないというのに、どうして他人にさもお見通しだとばかりに言い募られなくてはならないのだろうか。それでも彼の綺麗な目と熱い手のひらの感触を思い出してどぎまぎと胸がざわめく。
今まで一度だって恋だとか愛だとかについて考えたことがなかったのに、不思議とこれがそうなのだという確信があった。だけど、こんなにもヘンリッカの心中はイェレに翻弄されているというのに、肝心のイェレはいつものように飄々と――けしてチャラチャラではない――して、彼女に胸の内を晒そうとはしないのだ。
「大丈夫だって! 絶対両思いだよ。さっきもリッカのこと心配で心配でたまりません~って感じだったし」
「そ、そうでしょうか?」
まるでヘンリッカの心を読んだかのようなミルカの声に、さんざん否定していたイェレを好きなことを自白しているのにも気がつかず縋るように瞳を揺らしてしまう。
「でもイェレは誰にでも優しくて……ミルカさん、にも同じような、態度、でしたし」
だがミルカの言葉一つで不安が払拭できるはずもなく、とりあえず否定するために絞り出した声は的確に自分自身を抉る言葉だった。
イェレの存在を認識してからさほど経過していない時間は、彼のことをよく知るにはあまりにも短い時間だ。科が違えば待ち合わせでもしないかぎり合同訓練以外で基本的にすれ違うことすらないし、普段彼がどんな風に他人と接しているのか詳しく知っているわけではない。
だけどヘンリッカはイェレが初対面の少女にどんな風に接するのか、他ならぬ自分自身で体験しているのだ。彼は最初から親切で、非常に距離が近かった。思い返してもそこに特別な感情があるように思えないし、それは今でも変わらないように思える。
きっと彼は誰とでもあっという間に距離を詰めて、あんな風に優しく笑いかけるのだ。その光景を想像するだけでぎゅっと胸が潰されるようだった。
「そんなことないって! 本人だからわからないだけだと思う」
「……」
ヘンリッカが不安を吐露してもミルカはあくまで確信を得たような表情を崩そうとはしなかったが、到底安心する気など起きない。
「ミルカ、そういう人のデリケートな話に軽々しく首を突っ込むのはよくない」
表情の晴れないヘンリッカを見てヴィヴィが諫めると、ミルカは慌てたように首を振って、それから申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「そっか、ごめん。でも、協力できることがあったら身を惜しまないからね!」
「お気持ちだけいただいておきます」
引き下がってもなお忘れない、お人好し少女の念押しに苦笑いで応えておく。だいたい今のヘンリッカは恋だのなんだのにうつつを抜かしているような状況ではないのだ。改めて試験が近いことを思い起こして頭から浮かれた想いを必死に追い立てる。この件について考えるのは無事試験を終えてからでもきっと遅くない。
「それにしてもミルカ、こういう話好きだったんだ」
「うん! 羨ましいなー私も恋したい」
「私にはよくわからない……」
心を落ち着かせるためにも紅茶を傾けて香りを楽しんでいると、同じようにカップを傾けていたヴィヴィが呆れたようにミルカを見ていた。ヘンリッカからしてみればいつも一緒にいると思っていた二人だが、普段はどんな会話をしているのだろうか。まったく想像がつかない。
というか友人同士の会話というのがいまいちうまく想像できなかった。
少なくとも先ほどまでの三人の会話はきっと友人らしい会話だろう。たぶん。
「え、でもヴィヴィだってアルと最近ちょっといい感じじゃん」
「えっ……ミュリュスさん、趣味悪いですね……」
どん引きである。
小動物のような外見のわりに表情の乏しいヴィヴィがあの性悪キラキラ男に恋をしている様を想像するのは、ヘンリッカにとってはあまりに難しすぎる課題だ。とりあえず頭の中で二人を並べて立たせてみるが、どうもミルカを挟んでいないと違和感しかない。
「なんでアルマース!? 別にいい感じなんかじゃない!」
ヴィヴィも同意見であるらしく、嫌そうに顔を歪める姿に嘘は感じられなかった。
「というかアルマースは明らかにミルカのことが」
「あーあ私にもときめきイベント振ってこないかなぁ」
「聞いてない……」
ヘンリッカからすればミルカのまわりこそよっぽど彼女のいうときめきの気配がする気がするのだが、今のところ本人に自覚はないらしい。先ほど言われた本人だからわからない、という言葉をそっくりそのままお返ししたい気分だ。
妄想の世界へと旅立ってしまったのかうっとりと目を細めるミルカと、頭を抱えながら焼き菓子をかじるヴィヴィを眺めて、高飛車な少女としては非常に珍しい穏やかな笑みを浮かべる。
いつの間にか、嫌な記憶はヘンリッカの中から綺麗さっぱり消え失せていた。




