006 道化
一頻り泣いたあと、背後から見つめる私の視線に気づいたのか、ミリアムが振り返る。
こちらを見つめるその顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
彼女の表情が一瞬固まる。ミリアムはズボンのポケットからハンカチを取り出すと、乱暴に顔を拭った。
再び向けられたその顔は、目が赤く腫れていた。
涙で詰まった鼻をすすり、ミリアムは話し出した。
「…エルフさん、私、騎士団をクビになってしまいました…。もう、この場所に居られません…。あなたと、最後にお話しさせてもらえませんか?」
彼女の手が顔に近づいてくる。
指先がわずかに震えているのが見え、ゆっくりと顔の真横に手が差し込まれる。
彼女の顔が近づき、生暖かい息が顔にかかる。
カチリと金具の外れる音が耳元から聞こえ、口から鉄の棒が抜かれる。
床上に冷たい金属の塊りをゆっくりと置いた彼女は、それを見つめながら、ひとつづつ思い出すように語り始める。
「……私、八歳の時に両親を失ったんです。川で遊んでいたら偶然、怪我をして動けなくなってしまった人を見つけて……両親に『助けてあげて』って泣きついたんです。」
彼女の前髪の隙間から窺えるその瞳は、どこか遠くを見つめていた。
「…私の両親は医者でした。困っている人を見捨てられない私たちは、彼を付きっ切りで看病しました。…家族三人で交代しながら看病しました。…二日目に彼が目を覚ました時、付き添っていた私は、うれしくて彼に抱き着いたのを今でも覚えています。」
情景を追想しながら話しているのが分かる。
口元が緩んで、僅かに笑みを浮かべる。
『彼』が助かったのが本当に嬉しかったのだと伝わった。
「…三日目です。足りなくなった薬草を取りに、山へ出かけたんです。でも、その日は中々薬草が見つからなくて…帰るのが夕方になりました。」
笑みは長くは続かない。
彼女の顔が下を向き、顔が完全に隠れる。
「家に着いて…『ただいま』って声をかけたのに、誰も返事をしてくれなくて…、家中探し回って…グスっ、倉庫の中で、血まみれで倒れた両親を…見つけたんです…」
彼女の肩の震えが、次第に大きくなる。
石畳の上に、水滴がこぼれ黒く濡らした。
「…犯人はすぐに騎士団に捕まりました。私たちが助けた、彼ッ、でした…、彼は、バルツ軍事帝国の人間で、戦時中にグランベル王国の騎士によって両親を殺されていたそうです…だから、グランベル王国の人が憎くて、殺してやろうって…国境を越えてきたって…」
彼女は両手で顔を覆った。
指の隙間からくぐもった声が漏れ出る。後悔の念を乗せたその声は、自分自身への呪いのようだった。
「……彼を、私が『助けよう』って言わなければ…、両親じゃなくて、騎士団の人に助けを求めていれば、こんなことにはならなかったのに…、私が、もっと自分で考えて行動できれば…!お父さんもッ、お母さんもッ、死なずに済んだのにッ!」
上体を地面に倒して、激しく肩を震わせて叫ぶ。
悲鳴にも似たその声は、あまりにも生々しく、痛々しい。
私はかけるべき言葉を見失った。
「辛かったね」や「君のせいじゃない」なんて安い言葉では、彼女の抱える苦しみに寄り添うことはできない。
身近な人を寿命以外で失ったことの無い私には、そもそもの彼女の苦しみを紐解く手がかりさえも持ち合わせていなかった。
沈黙が二人の間に流れる。
返事の無いことを歯痒く思ったのか、ミリアムが上体を起こした。
赤く腫れたその顔に、ぎこちない笑みが浮かんでいた。
涙を指で払いながら、
「…っ、ごめんなさい。私ったら…、自分の昔話を喚き散らすなんて、本当にバカですよね…」
自嘲気味にこぼされた言葉が、自分の不甲斐なさを指摘されたようで胸がチクリと痛んだ。
私よりも幼い彼女の自責を前に、無言を貫くのがあまりに耐えがたくて、言葉を選んで答えた。
「ミリアムさん…私は、争いと関わりのない人生を歩んできました。ですから、貴女の抱える本当の苦しみを理解することはできません。けれど、貴女が両親を殺したと、自分で作り上げた罪を背負い込む必要はないと思うんです。助けを求めた貴女も、看病を施した両親も、皆さんがその時に信じた最善を尽くしただけです。それを自分のせいだと責めるのは、あまりに残酷です……」
気の利いた言葉ではないかもしれない。今、ミリアムが欲しい言葉ではないかもしれない。それでも、私の経験からの精一杯の理屈を言葉にした。
ミリアムは目を丸くして私を見つめ、困ったように眉を下げる。
「……エルフさんって、優しいんですね。子供だと思ってたのに、私よりずっと大人の人と話しているみたいです。」
ドキリと心臓が跳ねた。私の見た目が完全に子供だということを思い出す。年相応の話し方を心掛けないと簡単にボロを出してしまう。
ミリアムの表情には少し赤みが戻っていた。子供に慰められたと思っているのか、少し気恥ずかしげだった。
「ありがとうございます…エルフさん。少しだけ、救われた気がします。…マクミラン先生には怒られちゃいましたけど、私、やっぱり目の前で倒れている人を放っておくなんてできません。だから……あなたのことも、ちゃんと知りたいです。」
ミリアムは膝上に置いた手を強く握り、まっすぐ私の瞳を覗き込んできた。
先ほどまでの崩れ落ちそうな弱さは鳴りを潜め、純粋な澄んだ光がその瞳に宿っている。
「エルフさん、あなたはどうしてあの山にいたんですか?」
いきなり返事に困る質問だった。ミリアムは決して悪い人ではない。
その瞳には純粋な心配と疑問の色が浮かんでいる。だからこそ、彼女に嘘をつくのは憚れた。
とはいえ、正直にすべてを話せる筈もない。間違いなく狂人認定される。
本当の出来事に、嘘のエッセンスを加えて、不自然ではないぎりぎりを攻めた。
「えっと…実は、よく覚えていないんです。気が付いたら山の中にいたので…それ以前に自分がどこにいたのか、何をしていたのか、分かりません。目が覚めてからも、生き延びるのに必死で…、焚火を焚いて寝ていたら、目の前にクマがいたところまでは覚えています。次に目を覚ました時には、ベッドの上に拘束されていたので…」
ミリアムは伏せた顔をゆっくりと上げた。
後頭部をさすりながらたどたどしい笑みを浮かべ、ばつが悪そうな様子だ。
「あはは…エルフさんは王国内で極大魔法を使った容疑者ですからね…本当は怪我人にこんなことしたくないんですけど、規則ですから…。」
『規則』を口にする彼女の表情は暗い。
『本当はやりたくないことを、規則があるからそうせざるを得ない』状況というのは社会人として幾度となく経験したことだった。
彼女への同情の気持ちが深まる。が同時に、まるで何かの術に嵌められているような錯覚に陥る。先ほどからずっと彼女に関心が向くように、ペースを握られている気がした。ここは一旦、彼女のことを突き放すべきか。
泥沼の思考に陥っているところに、彼女は洟をすすって話を切り出した。
「……で、エルフさんは記憶喪失なんですね…それでは、どこまでのことを覚えていますか?例えば、自分の名前や、国名などの固有名詞ですとか、生活に必要な知識ですとか。」
「覚えているのは、私の名前がルナリスだということだけです。国名も覚えていませんし……?」
夢の中で一瞬聞いただけの名前が、思考の余地を挟む間もなく口から出ていた。
自分の発言に血の気が引き、電気を浴びるような衝撃を受ける。
何故、名前を尋ねられて『本名』や『偽りの名前』ではなく『ルナリス』だと名乗った?
(私にはちゃんと…、あれ、私の名前って……何だった?いや、思い出せ!私の名前は……!)
「ルナリスさん?大丈夫ですか?すごい汗ですけど…」
耳元で囁くような距離に、ミリアムの顔があった。
私の反応を観察するような視線に、過呼吸になりかけた胸を必死に抑え込み、取り繕って答える。
「…っ!、あ、あぁ、大丈夫です。お構いなく…ごめんなさい、なんのお話でしたっけ?」
ミリアムは眉尻を下げ、私に気遣う様子で言った。
「山にいた理由ですよ。私、てっきり誘拐でもされたのだと思ってました。その、言いづらいのですけど…エルフの少女は奴隷として人気なので…奴隷として輸送中に脱走したのかと…」
「…誘拐、ではないと思います。ただ、すいません。本当に何も覚えていないので…」
(奴隷…。そんな制度がまだ残っているなんて…)
身の振り方を考えなければ、いつかは自身が奴隷に落ちる。
そんな未来が頭に浮かび、背筋が強張る。
『誘拐して奴隷にする』という言葉から、少なくとも誘拐されないように身を守る術を身に付けなければならないことが分かった。
会話を続けて、何かヒントが得られないか思案する。
「あの、先ほど私が『極大魔法を使った容疑者』と仰ってましたけど、私、魔法なんて知りませんし、使えないと思うんですけど……どういう意味なんですか?」
ミリアムは首を傾げながらも、記憶を辿るように人差し指をこめかみに当てて言う。
「ルナリスさんを私たちが見つけた時、かなり強力な火属性と思わしき魔法を行使した痕跡がありました。ルナリスさんは知らないと仰ってますけど、付近に漂う魔力残滓と、ルナリスさんの魔力が完全に一致していると報告が上がっているんです。だから、ルナリスさんが魔法を使ったと思ったんですけど。まぁ、記憶喪失で魔法のこともお忘れのようですし、きっと魔力が暴走したんでしょうね。魔力の多い子供ならよくあることです。」
そして、「あっ」と何かを思い出した様子で両手を打ち合わせて続けた。
「ルナリスさんの魔力量、とにかく多いんです!人間の子供の魔力暴走ならまだ可愛い事故程度ですみますけど、ルナリスさんの魔力量でまたあんなことを城下町でやられたら、今度こそグランベル王国が吹っ飛びます!あとでちゃんと魔力制御できるように訓練してください!暴走させつつも自分を巻き込まないように、ぎりぎり自分に害の無い範囲で魔法を暴走させる器用さはあるみたいですけど…」
「…」
聞いておいて良かった。どうやら魔法が使えるらしい。体力も力もないこの身体でどうやって自衛すべきかと考えていたが、魔法が使えるなら役に立つかもしれない。などと考えていた。
不意に「ふ」とミリアムが短く息を吐く音が聞こえる。
ゆっくりと持ち上げられるその顔からは、先ほどまでの悲痛の色は取り払われていた。
「まぁ、もう芝居も必要ないかもしれませんね。…団長!全部見てましたよね!だから言ったじゃないですか、大した情報は持ってないって!」
「え?」
ミリアムは先ほどまでの様子とは打って変わり、膝についている土埃を払って立ち上がるなり、部屋の外にいるであろう人物に声をかけた。
引き続き、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。




