005 査問
……目が、覚めた。
もう二度と開くはずがないと思っていた瞼を押し上げると、見慣れた白地張りの天井ではなく、冷たく平滑な石造りの天井が私を見下ろしていた。
辺りからは風が木々の隙間を通り抜ける音も、虫の羽音も、全く聞こえてこなかった。
山ではない……どこか、建物の中だ。
草を干した臭いや油煙の残り香が鼻孔をくすぐるが、嫌な気はしない。
私の生命はあの山で終わるのだと、思っていた。
野生のクマと対面し、全身が小刻みに震え、息が細切れに勝手に吐き出されるあの感覚。
どれだけ本を読んで、頭に知識として叩き込もうとも、いざ目の当たりにすると身体は言うことを聞かない。
絶対的な暴力の前では、抵抗の一つ不可能だった。
視界が滲む。それでも―――生きていた。今はその事実が、冷えた身体を芯から温めた。
流れ落ちる涙を拭おうと手を伸ばそうとして、その手は顔に届く前に何かに阻まれた。
腕や足を動かそうと力を籠めるたびに、ジャラリ…と金属の擦過音が響く。
手足はそれぞれ石膏によって、ちょうど焚火にくべた薪の様に太く、固められていた。
指の一つたりとも、全くの自由がなかった。
石膏から飛び出した鎖が、ベッドの強固な鉄柵につながれている。
胸から腹にかけて鎖と革帯で巻かれ、寝返りを打つこともできなかった。
唯一、動かせるのは首から上だけだった。
兎に角、助けを呼ぼうと、叫んだ。
「ンムーッ!!―ム?!」
その叫びはただ口の隙間から洩れる息と共に、虚空へと消えてしまった。
歯と舌との間に噛ませられた金属の棒を知覚すると、口内には錆びた鉄の味が広がった。
(金属製の口枷まで嵌められていたのか!?)
背筋がぞわりと震え、野生動物と遭遇した時とは全く異なる恐怖が、全身をかけめくる。
心臓の鼓動が煩いほどに耳に響く。その時―――
「あ、目が覚めましたか?良かったですー!団長に報告しないと!」
部屋に入ってきたのは、茶色のおさげを垂らした女性だった。歳は20代前半程度だろうか。
彼女は私が起きていることを確認するなり、部屋を飛び出していった。
その口から紡がれた言語は、日本語で話された、ように感じた。
だが、まるで吹き替え映画のように、口の動きと聞こえる内容の相違が激しい。
脳を直接弄られたかのような錯覚に、吐き気が込み上げるが寸でのところで持ちこたえる。
ここは素直に言葉が理解できたことを喜ぶことにした。
話が理解できる相手ならば『言葉』と『観察』で状況を打開できる可能性があった。
少しは生まれた余裕で、あたりを観察してみる。
この部屋にはベッドが3台、壁の長辺に沿って並んでいる。他のベッドの上に住人は居なかったが、掛けられたシーツや、その下に覗くマットレスにはシミも見当たらない。
ベッドの反対側の壁には棚が建て付けられ、何かしらの液体が満たされた小瓶や、包帯、タオルなどが整然と並んでいた。
私のベッドは部屋の一番奥だった。壁に開けられた窓から降り注ぐ暖かな日差しが私を照らす。
その窓には木製の観音開き戸が付けられていた。
少し耳を澄ますと、屋外には少なくない人間がそれぞれ活動しているようだ。
木製の、恐らくは棒を振って風を軽やかに切る音や、その棒同士をぶつけ合わせる音。
その音に混じって、掛け声が聞こえてくる。
それ以外にも、複数人の足音が規則正しく土の上を蹴って進む音。怒鳴り声や励ます声。
間違いないと言って差し支えないだろう。
現在地は病室、医療施設の中の一部屋、屋外は軍事施設。
ただ、その軍事施設がどのくらいの規模なのか、までは窺い知れることはできなかった。
仮にこの拘束を解いて逃げ出すことができたとて、逃げることは難しいだろう。
行く当てもない私は残念ながらここで黙って拘束され続けるしかない。
どのくらい、じっとしていたかは分からない。
天井に見える石の数を数えている間に、外はうす暗くなっている。
外に感じる人の気配もまばらになっているな、などと考えていると部屋の外、廊下の方から2人分の足音が響いてくる。
一つは体重の軽い者が室内用の革靴を履いてタイルの上を歩く音。先ほどの茶髪の女性の足音に近い。
もう一つの足音は革靴よりはもっと底の厚い、ブーツのようなものを履いていることが分かる。
「失礼します。」
そう言って入室してきたのはやはり先ほどの茶髪の女性だった。
後ろに続いて、もう一人、女性が姿を現した。
先に入室していた彼女よりも、頭一個分背が高く、服越しでも分かるほど鍛え抜かれた肉体。長い金髪は後ろで緩く束ねられ、肩口から背中に流れている。
若干緑の混じった白色の、植物性の繊維で作られたシャツをラフに着こなし、腰には両刃の剣を提げている。
顔つきは西洋人の様にくっきりとした目鼻立ちで、名工により手掛けられた彫刻のようだ。
ただ、エメラルド色のその瞳は、狼の様に鋭くこちらを見据えている。
二人の女性は、私のベッド横に置かれた椅子に腰かけた。
金髪の女性が腕組をしてこちらを威圧しながら話始めた。
「おはよう、エルフの小娘よ。私の名前はマクミランという。貴様の自己紹介も聞いてやりたいところだが、生憎にも自害防止に口枷を噛ませているため口も利けんだろう。故に、質問は二択だ。答えが『はい』なら頷き、『いいえ』なら首を横に振れ。いいな?」
マクミランから発せられる威圧感に気圧され、喉が鳴る。
思考が追い付かず、身体が硬直した。
返事が無いのを見たマクミランが迫った。
「……随分と肝が据わっているようだな。おい、私は既に『いいな?』と問うたのだぞ。『はい』なら頷き、『いいえ』なら首を横に振る。たったこれだけのことが理解できん獣程度の知性ならば、ここで貴様の首をはねてやってもいいのだぞ。理解できたか?」
マクミランの手が、剣の柄に伸びるのが見えた。
脅しではない、本気で私を手にかけるつもりだと理解する。
身体の硬直にあらがって、必死で首を縦に振った。
「そうかそうか、理解はできたか。さて、質問の前に前提の話をしてやろう。貴様がここに運び込まれてからすでに二週間が経つ。その間に現場の検分はあらかた済んでいる。そのうえで貴様を生かしているのは答え合わせのためだ。分かったな?」
(……二週間。そんなに眠っていたなんて…)
動揺が再び身体を硬直させるより早く、反射で私は頷く。
「では、一つ目の質問だ。貴様はこのグランベル王国に対し、敵意を持って極大魔法を行使した。違うか?」
グランベル王国?魔法を行使?
言葉の意味を理解できず、再び脳の処理が遅れる。
私の視線が宙を彷徨うのを見たのか、マクミランの目が細くなる。
「フゥ……私は気が短いほうでな、回答のルールを追加してやろう。三秒だ、三秒以内に返事のサインが出なかった場合、問答無用で貴様の首を飛ばす。三…、二…、」
言葉の理解という処理を後回しにして、首を左右に激しく振って否定に逃げた。
敵意を持って魔法を行使したわけではない。そもそも魔法など使えない。言い逃れの用意はできた。
嘘偽りない事実である。
「……ほう」
マクミランはわずかに、身体を椅子の方へ引いた。
「では、二つめの質問だ。貴様は本国より東に位置する、バルツ軍事帝国の工作員か?」
また、知らない国名が飛び出した。スパイであることを疑われているのか?
カウントダウンがこちらの思考の猶予を奪うが、答えは同じ、私は何も知らないのだ。無知を貫き通すしかない。
再び首を横に振った。必死な様子が伝わるように激しく。
「帝国の者でもない、か。では三つ目だ。貴様が山中で放った魔法は―――」
「待ってください!マクミラン先生!」
マクミランが三つ目の問いを言い終えるより早く、茶髪の女性が大声をあげて私の前に出た。
「だ…マクミラン先生、言いましたよね。まずはこの子の拘束を解くって。そのあとに少しお話をするだけだって。約束と違います!」
マクミランの視線が私から外れ、茶髪の女性に向けられる。
彼女は視線をものともせず続ける。
「この子は、あの森林で死にかけていたんですよ!本当に敵だとしても、その前に病人です!私の患者に対してこんな、『拷問』染みた真似を続けるのなら、出て行ってもらいます!」
マクミランは彼女の言葉を意に介す素振りもなく、嘲るように鼻を鳴らした。
「ミリアムよ、貴様には軍人としての覚悟も資質もまるで足りんらしいな。あの時家族を失った時から何も成長していないとは、私の見込み違いだったようだ。三日以内に引き継ぎを済ませろ。貴様は除隊だ。」
そういうとマクミランは椅子から立ち上がり、背を向けて歩き出した。
部屋から出る直前に、ドア枠に手をかけてこちらに顔を半分だけ向けて言う。
「…日を改めることにする。次来るときには足手まといは居ないぞ。覚悟しておけ。」
言い終わるより前に、その身体は部屋の外の暗闇に消えた。
身体の外殻をなぞるような威圧感が消え、感覚が戻ってくる。
喉は乾きを主張し、すっかり暗くなった外から冷ややかな風が流れ込む。
部屋には私と、ミリアムと呼ばれた女性の二人だけだった。
彼女は床に崩れ落ち、次第に身体を大きく揺らして嗚咽を隠すこともせず泣き始めた。
(早く出て行って欲しい…)
知らない女性を慰める術を持ち合わせていない私は、ただただ宙を見上げる事しかできなかった。
第5話を閲覧いただきありがとうございます。
第5話は、元々の第4話だったものが8,000字を超えたため、3話に分割したものの1話目になります。
そのため、少し区切りが悪いかもしれませんが、できる限り会話間(主人公会話してませんが)の描写を増やして、読みやすい文章を目指しています。
早急に第6話、第7話もアップできるよう調整いたします。
引き続き、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。




