004 想起
年若い斥候兵は、証跡を逃すまい、と俯いて歩いていると、霜に足を掬われた。
霜の下は、ガラスの様につやを帯びている。
起き上がろうとして、またもや強かに頭を打ち付けた。
彼を見て不謹慎にも、からかってやろうと隊列を乱した者がいたが、即座にザリーナの刃物のような視線に咎められ、罰が悪い子供のようにスコスコと列に戻った。
寒さ故か、あるいは気恥ずかしさ故か、顔を赤くした斥候兵は、起き上がろうとして手近なものに掴まったときに気づいた。
自分の掴まった木についた霜を少し叩き落とし、表面を確かめると、今度は別の木についた霜を叩き落として言った。
「団長…倒木が至る所にありますが、向きがおかしくないですか?ポイントの外側に向かって倒れているのではありません、木が内側に向かって倒れているんです。まるで何かに向かってお辞儀でもしているかのようです。」
「そうだな、普通はあれだけの余波があったのだ、外側に向かって倒れるのではないかと私も思う。だが、この木を見てみろ、倒れている木よりかは丈夫であった為か、倒れずに残っているが、…ポイントへ向かう内側の面は結晶化しているのに対して、外側の面はまるで何事もなかったかのように残っている。なんとも不思議な現象だな。エドガー工兵中尉、この現象の説明はできるか?」
ブリーフィングの際に最後に入室してきた男、エドガーは服の上から両腕を擦りながら思ったことを口にする。
「…事象を整理しますと、最初に出現したのが光柱、次に地響き、最後に遅れて音が砦に届きました。私は最初、この光柱を光属性魔法ではないかと思ったのですが。光属性魔法ではあのような地響きなどの物理現象を伴うことはありません。とすると、発生した魔法は火属性なのではないかと…炎はその、反応する具合によって、色を変えるんです。」
エドガーの吐く息が、眼鏡を曇らせる。
だが、それに構う様子もなく続けた。
「色は、赤、橙、黄、そして青から白へ、といった風に様々です。未だ、どのような条件で色が固定できるのかは判明していないのですが、おおよその傾向から、白い色…今回の光柱のような色は物質を瞬時に炭化させるだけでなく、ガラス化させることも可能だと、文献で読みました。」
「それだけのエネルギーがある魔法を、指向性を持たせ上空へ打ち出したとなると、周囲の空気は上へ押し出されるか消失、燃焼部に向かって風が取り込まれていく…木は熱によって脆くなったところに背面から暴風を受け前方に倒される。それがこの、木々がポイントに向かって倒れている要因なのかな…と」
「よく分かった、解析ご苦労。確かに筋が徹った話だ。今の話の内容、しっかり書き留めておけ、後々重要な手がかりになるかもしれん。」
ザリーナは木々の様子について、工兵に記録を指示した。
歩みは止めない。中心部に進むのに迷うことはなかった。
既に木々の倒れる先に、何かがいるのを見つけていた。
「総員、とまれ」
その霜が降りしきる銀世界の中心には、濃緑の毛皮――この樹海を統べるAランク魔獣『フォレストベア』とおぼしき巨体の残骸が、横たわっているのが見えた。
これだけ視界が悪い中で、唯一その存在を白銀に散らされながらも辛うじて主張していた。
「フォレストベアです!し、死んでいます!」
斥候兵が震える声で呟く中、ザリーナの鋭い眼光がポイントの中心、特異点を射抜いた。
「私は検分にあたる!工兵、斥候兵は周辺の様子を記録しろ!魔法兵と伝令兵は警戒態勢を解くな!」
部隊への指示を出し、各々が配置についていることを確認し、ザリーナはフォレストベアと向き合い、膝を落とした。
「このフォレストベア、損傷がひどいな…特に背中から頭部を著しく欠いている。そして損傷部表面から背面のほぼ全体が炭化している、これは周辺の木々の特徴とも一致していることだが……何者かと争ったのか?……それにしては、手や足などに損傷の気配はない。魔法によって一撃で葬られているな。」
手袋を外して一切の躊躇なく、フォレストベアの損傷部位に手を突っ込んだ、肉が裂けて裂傷部位に血が滲む。
「…体内にはまだ僅かだが熱がある上、血が溢れる。さすがは生命力の強い魔獣と言ったところか。気温が低く、正確な死亡時間の割り出しは難しいが、例の光柱との関係は間違いないだろうな。」
フォレストベアの背面が炭化…つまり正確な中心はここではない。
ザリーナはフォレストベアの後ろ脚付近の霜を足で払った。
「これは…焚火の後か?」
見つかったのは放射状に並べられていたであろう、焚火の後だった。地面の上には灰がたまっていたのでまず間違いない、と思った。
しかし、薪と思しきものはすべて、何かとてつもなく重いものに押しつぶされたように平たい棒状へと変化していた。
薪の一つを手に取ってみるとまるで黒鉄のようで、重量があり硬かった。
試しにと、腰からナイフを抜いて叩くと、鉄を弾いたような硬質な音がこだまする。
ただ燃焼して出来た炭とは明らかに違った。
ザリーナは手に持った一つを持ち物袋へとしまう。
フォレストベアへ向き直って考えた。
付近に焚火の後があったことから、寝込みの最中をフォレストベアに襲われて反撃に魔法を行使したというのは状況的に考えられる。
焚火を媒介とした魔法で攻撃したのだろうか?確かに媒介があれば魔法の威力は上がる。
だが解せないことがあった、フォレストベア一匹にあれだけの魔法を用いるだろうか。
腕の立つ魔法使いならば、あんな派手な魔法を行使せずともフォレストベア程度、燃やすなり穿つなりやりようはある。
誰が、何故、あんな目立つような真似をするのか。
ちぐはぐとした印象がザリーナの胸をざわつかせた。
「おい、お前ら、こいつをひっくり返せ!」
ザリーナの号令で、力のある兵士が2人かかりでフォレストベア巨体を押し戻した。
「だ、団長!フォレストベアの下から、こ、子供が出てきやした!」
「なんだと!」
ザリーナは兵士を押しのけ、前へ出た。
そこに横たわっていたのは、汚れた布切れ一枚をまとった、小柄な少女だった。
透き通るような白銀の髪に、先端が尖った耳。エルフで間違いない。
そして――欠いた左腕の断面からは、青白い冷気が立ち上り、出血を辛うじて止めていた。
少女の息はまだあったが、体温は死人のように低く、唇は紫色に変色している。
ザリーナは瞬時に天秤にかけた。これ以上の情報を優先するのか、あるいは、この子の命を優先するか。
この子を救うことができれば、何か情報を聞き出せるかもしれない。
優先すべきは明らかだった。
索敵にあたっていた魔法兵から、付近に生体反応が無いことを確認済みだ。急いで救護すれば、まだ間に合うかもしれない。
「ミリアム衛生軍曹!負傷者だ!左腕の欠損と凍死の危険性あり!この少女を助かることができるか!?」
ミリアム衛生軍曹は救護袋を背負い、雪を蹴散らしながら駆け付けた。
倒れた少女の脇に膝立ち、頸部に二本の指を当て、顔を口元へ近づけて呼気を確かめる。
「――呼吸、極めて微弱! 頸動脈に辛うじて拍動あり、ですが極度の徐脈です!心拍数は一分間に三十を切っています!」
告げながら、次に左腕の欠損に伴う出血を対処しようと、止血バンドを取り出そうとした。
だが、欠落した腕の断面を確かめて、ミリアムの動きが止まった。
「…欠損部位に出血がありません!切断面と血管が凍結し、出血を止めています!このまま、表面を三角巾で覆うだけに留めます!急いで集中治療室へ運べば、まだ助かる見込みがあると見ました!」
ミリアムは袋から三角布と毛布を取り出すとザリーナの指示を待たずに処置を始めた。
ザリーナは腕組みし、ミリアムの背中から声をかけた。
「……コイツは砦まで馬の振動に耐えられるか?」
三角巾を腕に巻き終え、少女の身体を割れ物を扱うように毛布で包みながら答える。
「いえ、恐らく無理です。可能な限り水平を保って運び込む必要があります。魔法兵の中にフライの魔法を扱える方はいますか?」
「なるほど、フライで地面や馬からの振動をとにかく減らして運ぶというわけか。カティア伍長、可能か?」
今までずっと、索敵魔法を展開させていたカティア伍長が、魔力を回復させる液剤を喉に流し込んで答えた。
「索敵魔法をずっと展開しっぱなしでへとへとなんですけど……こっからまた40分、気絶しているとはいえ、生き物相手にフライはキツイですって……」
無理だ。と口にしないことから『できる』と解釈したザリーナは、毛布にくるまれた少女に視線を落とす。
(この幼さで、なぜこんな樹海の深部に一人でいる?)
エルフは「成人の儀」と呼ばれる習慣として16歳で右耳にイヤーカフをつける。16歳を目途に成長が鈍化し、以降は年齢と見た目が全く釣り合わない。
目の前の少女は右耳のカフが存在しないため、見た目どおりの年齢なのだろう。
いかに魔法に長けたエルフといえど、この少女程度の年齢であのような魔法を行使できるだろうか。
それにこんな若いエルフが里を離れる理由も限られた。人攫いか、あるいは忌子か……
常識的に考えれば、何者かの極大魔術に巻き込まれた被害者と見るのが妥当だ。
しかし、あたり一帯に漂う魔力の残滓が、弱々しくも生命維持に必要な最小限の魔力を纏った少女のものと一致していた…
妙な胸騒ぎの正体はコイツなのか、確かめる術は一つだった。
「コイツを、砦の最奥・集中治療室へ収容しろ。王国内で極大魔法を発動した『最重要参考人』として拘束・保護する。絶対に死なせるなよ!」
抱き上げた少女の小さな身体は、驚くほど軽かった。
「……お前が何者であろうと、死なせはせん」
……夢を見ていた。
夜の山道を、私ともう一人女性が走っている。
神事に用いるものと思しき、銀色の刺繍の施された豪奢な祭服は、山道を走るには適さなかった。藪を進む度に、無残に引き裂かれていく。
かつては純白の輝きを持っていたスカートは、泥に汚されていた。
室内用の薄い革靴はつま先が破れ、血が滲む。
それでも、彼女は痛みに足を止めることなく走り続けた。
時折、怯えたように後ろの闇を振り返りながら、私の手だけは決して離すまいと硬く指を絡めていた。
木々の枝葉に引っ掛かり、彼女の髪は、乱れ、やがて解けた。
藍色の混じった白髪の隙間から、人ではない、細長く先の尖った耳がのぞく。
右耳に付けたイヤーカフは、精緻な銀の蔦を模した模様が刻まれ、彼女の身分の高さがうかがえた気がした。
何時間とも続く逃避行の末、どことなく懐かしさを感じる、ひと際大きな樹木の影まで走った。
彼女は膝をついて、肩で激しく息をする。
泥で汚れた両手を祭服にこすり、優しく、私の顔をその両手で包み込んだ。
翡翠の瞳に大粒の涙を浮かべながら、視線を合わせて言った。
「はぁ……はぁ……申し訳ございません、ルナリス様。このようなことになってしまうなんて……巫女として、成人の儀を見届けることができないこと……大変心苦しい思いでございます……必ず、お迎えに参ります。ですので、どうか……どうか、わたくしの無礼を、お許しください……」
ルナリスとは何だ?お前は誰だ?何から逃げている?ここはどこだ?
疑問が尽きなかったが、夢の中で私は疑問を口に出すことはできなかった。
彼女は、何か呪文めいたことを口にして、私の額に右手の人差し指を優しく押し当てた。
……意識が暗くなっていく。
木々が私を守るようにその枝葉を伸ばす。まるで母親の腕の中で抱かれる子供のように、温かさと安らぎとを感じ、このまま眠ってしまいそうになった。
私の意識が、溶けて消えそうな時、彼女の掠れるようにつぶやく言葉が、耳に届いた。
「……さようなら、ルナリス様……どうか…お元気で…」
―あ…ダメ!――――
私の意識が、急速に夢から浮上する。
大切な人を失ったような喪失感に、涙がこぼれるのを感じながら目を覚ました。




