第7話 『招かれざる客』
「へぇ。コレうまいな。ばあさん」
ネルは宿の食堂で主人の妻が提供してくれた夕飯に舌鼓を打った。
食堂の厨房から顔を見せてニコニコしているのが、料理を作ってくれた老主人の妻だ。
年齢は60歳を過ぎているだろう。
「簡単な家庭料理だから、お店に出ているようなものとは比べるべくもないけれど、喜んでくれて良かったわ」
老主人の妻は柔和な声でそう言った。
ネルは温かな肉料理や魚料理を次々とかき込んでいく。
旅暮らしで苦労するのは寝床と食事の確保だった。
街にいる時は酒場などで食事が出来るものの、酒場の料理というものは比較的どこも似たような濃い味付けが多く、連日食べていると飽きてくるのだ。
今日は何を食べようかという悩みは贅沢なものだが、実際に悩むのだから仕方ない。
主人の妻の家庭料理は素朴で優しい味だ。
こういうのが母親の味というものなのかもしれないな、とネルは思った。
ネルの母親は酒浸りのろくでもない女で、ネルは母親に飯を作ってもらった記憶がない。
いつも出来合いの安い飯を買ってきて食べるばかりだった。
ネルは空にした野菜のスープの器を老主人の妻に差し出す。
「おかわりもらえるかい?」
「ええ。喜んで。たくさん食べてね」
おかわりのスープが来るのを待つ間、ネルは別の肉料理に手を伸ばす。
その時だった。
「ナメてんのか! 返済額が足りねえぞ!」
男の怒声が響くと同時に、店の老主人が倒れ込んできてネルの食事中の卓に突っ込んだのだ。
老主人は卓ごと倒れ、けたたましい音を響かせながらまだ料理の残っている皿が床に落ちて割れる。
ネルは顔をしかめ、倒れている老主人の腕を取って助け起こした。
「大丈夫か。爺さん。しっかりしな」
どうやら老主人は何者かに殴り倒されたらしく、顔を赤く腫らしていた。
慌てて厨房から老主人の妻が駆け寄ってくる。
それを手で制しながら老主人はネルに言った。
「す、すまねえ。料理は新しいのに取り換えるからよ」
そう言うと老主人は何とか1人で立ち上がった。
そしてその視線の先には、老主人を殴った張本人と思しき目付きの悪い小男が姿を現すのだった。
☆☆☆☆☆☆
ガスは安宿の老主人から受け取った金が明らかに少ないと見ると、それを数えもせずに老主人を睨みつけた。
「何だこりゃ。足りねえな」
双子を引き連れたガスが公園から目と鼻の先にある宿屋に着くと、軒先で老主人が待っており金を差し出してきたのだ。
だがそれは借金をすっかり返済できる金額ではなかった。
「返済額のおよそ4割だ。今はそれしか払えねえ。来月まで待ってくれ」
返済額の一部でも返すことで、返済の意思があることを示そうとしたのだろう。
それとてこの安宿の老主人にとっては決して少ない金額ではない。
身を切るような思いでかき集めたものだ。
だが苦虫を噛み潰したような顔でそう言う老主人に、ガスはこめかみに青すじをたてた。
「何を寝ぼけたこと言ってんだ?」
ガスはオーガストの下で数年間に渡って借金の取り立て業務に従事し、今では取り立て部隊の責任者を任されるようになっていた。
それゆえに彼は心得ている。
借主に対する貸主という優位な立場をより強固にする方法を。
「ナメてんのか!」
そう言うと同時にガスは拳で老主人の頬を殴りつけた。
老いた主人は後方に吹っ飛んで建物の中へと倒れ込んでいく。
屋内からは皿が割れるようなけたたましい音が響いてきた。
ガスはズカズカと屋内に足を踏み入れる。
そこは食堂となっていてガランとした中に1人だけ客がいるようだった。
しかしガスは客には目もくれず倒れている老主人に歩み寄ると、その胸ぐらを掴んで乱暴に引き立たせる。
相手を暴力で制圧することはこれ以上ない威嚇となり、相手の抵抗の意思を挫くことに繋がる。
そして優位な立場に立ったガスはますます高圧的に相手を威嚇するのだ。
「金が払えねえなら、この宿を売り払ってでも用意するのが債務者の義務ってもんじゃねえのか?」
取り立ての仕事は自分にとっての天職だとガスは思っている。
強い立場から弱い立場の者をいたぶるこの瞬間、ガスは興奮と喜びで頭の中が熱を持つのを感じるのだ。
自分は強い。
相手は弱い。
この絶対的優位な立場にガスは酔っていた。
だからこそ気付かなかったのだ。
老主人のすぐ横からスッと伸びてきた何者かの手が、老主人の胸ぐらを掴む自分の手の上に重ねられたことを。
次の瞬間、ガスは激痛に悲鳴を上げて老主人の胸ぐらから手を離した。
「いぎっ!」
ガスの人差し指が反対側に曲がっていた。
あまりの激痛にガスは目を剥く。
その目が捉えていた。
老主人の脇から手を差し出してガスの指を一瞬でへし折った人物の姿を。
それは赤毛で褐色肌の女だった。
ガスは驚愕する。
「なっ……何だてめえ! 関係ねえ奴は……」
それ以上、声を出すことは出来なかった。
赤毛の女が強烈な拳の一撃をガスの顔面に浴びせたからだ。
ガスは大きく後ろに吹き飛んで、先ほど入ってきたばかりの入口から外へと倒れ込んだ。
強い衝撃に気を失う前に、彼は自分を殴りつけた女の声を聞いた。
「人の食事中にうるせえんだよ」
そう言うと赤毛の女は鋭い目付きで、倒れたガスを見下ろしたのだった。




