第2話 『夕闇の街』
日が暮れ落ちた。
昼間に闘技場で戦いの熱狂に酔いしれていた観衆はそのまま夜の街に繰り出し、盛り上がりの場を酒場に移して今度は酒に酔いしれていた。
賭け事の勝利を祝う酒。
敗北を慰める酒。
酔客たちは各々に酒を酌み交わしながら喧騒を振りまいている。
上機嫌で歌い踊り出す者たち。
不機嫌で今にも喧嘩を始めそうな者たち。
夜の繁華街は猥雑な雰囲気に包まれ、まるで街全体が酔っているかのようだった。
そんな中を1人の赤毛の女が人混みをかき分けながら歩き続けている。
その背には弓を背負い、腰帯には矢の詰まった矢筒を下げていた。
ダニアの弓兵ネルだ。
闘技場を後にした彼女は初めて訪れるこの街で今夜の宿を探していた。
この大陸は西に王国、公国、共和国という大国が並び立ち、東側は12の小国が東側諸国連合という同盟を組んでいる。
その東側諸国連合でも西寄り、大陸のほぼ中央部に位置するこのリンディアは小国とはいえ、ここ首都ディガレストは人口が集中していることもあって常に大通りは人でごった返していた。
「ったく。何だってこんなに人が多いんだ。この街は」
ここは新興国だ。
ほんの20年前までは別の名前の国だったが、当時の王が内乱によって討ち取られ、王の首を取った男がそのまま玉座に座った。
王の一族を皆殺しにして。
現国王リンドウ1世は、元々は傭兵から将軍に上り詰めた男だったという。
そうした気性の荒い者が治める国らしく、賭け事や売春などの娯楽には大らかであり、そのため国民には気の荒い者が多く治安は悪かった。
その代わり経済はよく回っている。
男も女も金遣いの荒い者が多いからだ。
そうした国柄がこの繁華街にもよく表れていた。
「うるせえなぁ。もう少し静かな場所に行くか」
ネルは決して賑やかな場所を嫌いというわけではなかった。
だが、この騒々しい場所にいたくない明確な理由がある。
「お! ダニアの女じゃねえか! 双子のダチか?」
「姉ちゃんも試合に出ろよ! 双子と戦ってくれ!」
このようにネルの燃えるような赤毛や筋肉質な褐色肌の体を見てダニアの女だと気付いた酔客たちが、次々に気安く声をかけてくるからだ。
ネルにとっては鬱陶しいことこの上なかった。
「うるせえ! どけっ!」
ネルは苛立って乱暴に酔客たちを押し退ける。
彼女のその剣幕と強い腕力に驚いた酔客たちは慌てて道を空けるが、遠巻きにそれを見ている者たちは囃し立てるような声を次々に上げた。
「おっ! 場外乱闘が始まったぞ!」
「いいぞ! もっとやれ!」
そんな声を無視してネルは比較的静かな裏通りへと入って行った。
寂れた裏通りを足早に歩き続けるうちに徐々に街の喧騒が遠くなっていく。
ネルはやれやれと息をついた。
「ふう。酔っぱらいどもめ」
だがネルはそこで足を止める。
そして不満げに前方を睨みつけた。
路地の行く先に数人の男たちが立ちはだかっているからだ。
男たちはニヤニヤした目でネルを眇め見ていた。
ネルは鋭い目付きを男たちに向ける。
人数は5人。
身なりからするとゴロツキだろう。
皆、その手に小ぶりな短剣を握っている。
「何か用か? 女と遊びたいなら他を当たってくれ」
そう言うネルに男たちはヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべた。
「俺たち金もねえし女にモテなくてなぁ。かわいそうだろ? ヘッヘッヘ。姉ちゃんが遊んでくれたら嬉しいんだけどなぁ」
男たちの言葉と卑しい笑い声を聞いたネルは嘆息する。
「確かにおまえらモテなさそうな面してるもんな。いいぜ。かわいそうだからアタシが遊んでやるよ。来な」
そう言うとネルは弓と矢筒を路地の隅に起き、男たちに手招きをして見せた。
それを見た5人の男たちは一気呵成に襲いかかってくる。
刃物を持った敵が5人。
だがネルにとってはまるで問題ではなかった。
男らの中で一番背の高い兄貴分と思しき男が嬉々として声を上げる。
「遊べなくなるから殺すなよ! 押さえ込め! ダニアの女でも5人がかりならどうってことはねえ!」
だが男がそう言った時にはすでに1人の仲間がネルに殴り倒されていた。
ネルを押さえ込もうと勢いよく飛びかかったところ、それ以上の速度で素早く懐に飛び込んで来たネルの拳を交差気味に浴びて地面に倒れ、男は一撃で失神した。
ネルは続けざま、近くにいる男の顔面を鋭く蹴り飛ばす。
「ぶっ……」
男は真後ろに吹っ飛んで、建物の石壁に後頭部を打ち、昏倒する。
残った男たちが顔面を引きつらせ、なりふり構わず刃物をネルに向けて突き出してきた。
「この女! 調子に乗るな!」
「別に乗ってねえよ」
ネルは手刀で男の手首を打ち、あっさりと刃物を叩き落とすと、そのまま相手の顔面に強烈な肘打ちを叩き込む。
食らった相手は鼻血を噴き出しながら仰向けに倒れて動かなくなった。
そして背後のもう1人の首をネルは蹴りつけた。
蹴られた男は倒れて地面に頭を打ち、白目を剥いて気を失った。
残るのは兄貴分の男1人だ。
ネルは肩をすくめてその男に目を向ける。
「何だよ。遊び甲斐がねえな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。悪かった。あんたの実力を見誤っていた俺らが馬鹿だった。許してくれ」
兄貴分の男は情けない顔でそう懇願する。
ネルはすっかり興覚めした表情で鼻を鳴らした。
「フンッ。喧嘩売るなら最後まで売り通しな」
そう言うとネルは拳を握って男に迫っていく。
男は慌てて短剣をその場に放り捨てると、両手を頭上に上げて降参の意を示した。
「ま、待てっ! お、俺は闘技場の主と顔見知りだ。あんたのことを闘技場に紹介しよう。あんたの強さならかなり良い条件で契約が取れるはず。大儲けできるぞ」
そうまくしたてる男に詰め寄ると、ネルは容赦なく男の顔を殴り飛ばした。
「ぶはっ!」
男は転倒し、痛みと衝撃に目を白黒させる。
ネルはそんな男を侮蔑の目で見下ろすと、男の腹を上から思い切り踏みつける。
男は苦痛に目を剥いた。
「くはっ!」
「女を誘いたきゃ、もっと男を磨くことだな。ま、てめえには無理か」
そう言うとネルはつまらなさそうに男から足を離して踵を返した。
「まったく。ゴロツキどもってのはどこの国でも一緒だな。羽虫みたいに鬱陶しいぜ」
そう言いながらネルはすぐさま再び振り返る。
背中を見せたネルに男が起き上がって襲いかかろうとしていたからだ。
「見え見えなんだよ。マヌケ。気が付かねえと思ったのか?」
そう言うとネルは呆気に取られている男の側頭部に鋭い回し蹴りを叩き込んだ。
男は真横に吹っ飛んで石壁にぶつかり、そのまま倒れて動かなくなった。
「フンッ。死んでも恨むなよ」
そう言うとネルは再び振り返る。
そして驚きに目を見開いた。
路地の脇に置いておいたはずの弓と矢筒が無くなっていたのだ。
「あっ? 何でだ?」
ネルは走って弓と矢筒を置いた場所に向かう。
ほんの数秒前までは置いてあったはずのそれらは、影も形も無くなっていた。
ネルはハッとして顔を上げ、路地のすぐ脇に建ち並ぶ建物と建物の間の30センチほどの隙間に目を止めた。
そして彼女は見たのだ。
ネルの弓と矢筒を持って細い隙間を走り去っていく痩せた少年の姿を。




