第20話 『用心棒の男』
「ずっとアタシに熱い視線を送っていたのは、やっぱりおまえらだったのか。アタシはこれから街を出るところなんだが、わざわざお見送りに来てくれたってわけじゃないんだろう?」
街を出ようと東門に向かったところ、そこで彼女を待ち受けていたのはオーガスト商会の商務長ダドリーと彼が率いる数名の男たちだった。
ネルの言葉にダドリーは少々驚いたように目を見開いた。
しかし彼はすぐに口元に微笑を浮かべて一礼する。
「これは失礼いたしました。部下たちには無作法のないよう遠くからお姿を見守るだけにしろと言っておいたのですが、あなたはとても勘の良い方だ。お見逸れいたしました。昨夜のお話、どうしても諦め切れずに再度のお願いに上がった次第でございます」
慇懃な態度のダドリーにネルは迷惑そうな顔で大仰に肩をすくめて見せた。
「闘技場には出ないって言っただろう? たった一晩でアタシの気が変わるとでも思ったのか?」
「昨晩は突然のことでしたので、こちらとしても条件面での準備が整っておらず大変失礼いたしました。契約金や報酬の内容など詳しく条件提示させていただきたいのですが」
「いらねえって言ったろ。金はそんなに必要ねえんだ」
「そうですか。私のような世俗で金を必死にかき集める仕事をしている者から見れば羨ましい限りですね。ところで見たところあなたは弓兵のようだ。我が商会には類まれなる弓師がいます。ご興味があればあなたのために珠玉の一弓を作らせますが。もちろんお代はいただきません」
ダドリーの新たな提案にもネルは首を横に振る。
「弓は今持っているもんで間に合っている。こういうのは使い慣れたもんが一番いいのさ。そんなありがたいもんはいらねえよ」
「なるほど。あなたにその気になっていただくのはなかなか難しそうですね。あなた方ダニアの民は闘争を好むと聞きます。うちの双子も好戦的ですよ。他にも腕の立つ闘士や剣奴を大勢抱えております。腕試しにご出場いただくわけにはまいりませんか? きっとあなたにとっても刺激的な相手に巡り会えるかと」
ダドリーの数々の勧誘の言葉にネルは呆れたような薄笑みを浮かべた。
「随分と熱心に誘ってくれるな。アタシが出場するとそんなに客が呼べるのかい?」
「それはもう。ダニアの女戦士はこの国では非常に珍しい存在ですから」
「気に食わねえな。ダニアダニアってよ。この赤毛もこの体も見世物にするためにあるんじゃねえぞ。この話は終わりだ。そこをどきな」
そう言ってダドリーの横を通り抜けようとしたその時、ネルは強い敵意を感じて足を止めた。
ダドリーの両脇には2名ずつ合計4名の護衛の男が付いている。
だが向けられた強烈な敵意はその誰からでもなく、ネルは後方の東門付近に目を向けた。
そこには大柄な男が腕を組んで市壁に寄りかかり、じっとネルを見ていた。
年齢はネルよりかなり上であり、中年に差し掛かっているくらいだろう。
その男がゆっくりとこちらに向かって来る。
ネルは男に視線を向けたまま、ダドリーに声をかけた。
「あそこのデカい奴はアンタのところの闘士かい?」
「ああ。あれはアイザック。私の同僚です。元剣奴で、普段はオーガスト会長の護衛を専任で務めています」
そう言うとダドリーはニヤリとした。
だがネルはそんなダドリーの顔を見ることなく、アイザックの歩く姿を凝視している。
アイザックから向けられているのは明確な敵意。
今からおまえを殺しに行くぞという殺意すら感じられる。
ネルの頭の中で意識が切り替わった。
全身に緊張感を伴う力が満ちていく。
ネルはアイザックの視線と敵意を真正面から受け止め、相手を睨みつけた。
アイザックはゆっくりと大股で近付いてくる。
その迫力に周りの通行人たちは恐れて道を空けた。
(こいつ……隙がない)
歩き方を見ればその相手が腕の立つ人物かどうかネルには分かる。
アイザックは今ここが戦場であるかのように歩いていた。
いつどこから誰に斬りかかられようと即座に対処できる隙の無さだ。
間違いなくアイザックは腕の立つ男だとネルは感じ取っていた。
彼は腰に長い剣を一本帯びている。
だがそれを抜く素振りは見せず、ついにネルのわずか1メートル手前で足を止めた。
そしてアイザックは低く抑えた声でネルに言う。
「……四の五の言わずに来い。来ないならここで殺す」
「随分と強引な旦那だな。女の誘い方がなっちゃいないんじゃないのか?」
ネルとアイザックは至近距離で睨み合った。
今にも戦いが始まりそうな一触即発の気配にダドリーの護衛たちが息を飲む。
だがそこでダドリーが横から口を挟んだ。
「こんな街中で喧嘩騒ぎはやめましょう。アイザック。会長にご迷惑をおかけすることになる。控えてくれ」
ダドリーの言葉にアイザックはつまらなさそうに一歩引き、ネルを見たまま言う。
「その弓矢と筋肉は飾りか。つまらん腰抜け女が」
「安い挑発だな。けどアタシが腰抜けじゃねえところをそんなに見たいなら見せてやるよ。別にアンタをぶちのめすのに闘技場も観客もいらねえんだ。今ここでやろうぜ。公衆の面前でみっともないとこ見せたくないなら川原の橋の下に移動してもいいからよ」
ネルはアイザックを目の前にして闘志を掻き立てられながらも、決して相手の術中にハマらない冷静さを保っていた。
そんなネルの様子にダドリーもまた冷静さを失わずに問いかける。
「では我々は何をご提供すればあなたに闘技場に立っていただけるでしょうか」
「あきらめな。アタシはアンタらに何も求めちゃいない。見世物になってまで欲しい物なんて何もないんだよ。アタシにとってこの世で一番大事なのはしがらみのない自由な暮らしだ。それはアンタらじゃ提供できないだろう?」
「なるほど。これはまいりました。あなたをお誘い出来るだけの魅力的な材料を我々は持ち合わせておりません。たとえば……もしあなたが1試合でもご出場して下さったら昨夜のあの宿の借金を帳消しにする、などの条件はいかがですか?」
「今からこの街を出ていくアタシが何で一晩泊まっただけの宿の借金のために動くと思う? そんなお人好しに見えるか?」
薄笑みを浮かべたままそう言うネルにダドリーは鷹揚に頷く。
「ええ。お優しい方かと思いました。宿屋の使い走りをしている少年に親切にしてあげているようでしたので」
その言葉にネルは内心の苛立ちを隠して平静を保ちながら答えた。
「単なる暇潰しだよ。あんたらも大概暇なんだな。そんなところまで見ているなんて」
「いえ。我々にとって情報は命ですから。街のあらゆるところに目や耳を配っているのですよ。軒下に住み着いた野良猫の種類まで分かるほどにね」
そう言うダドリーの目がギラリと光る。
「彼はカール。浮浪児だったのがあの宿に住み着いて働くようになった。そして元々は……クレイグ孤児院の子供ですね。我が商会によって接収され、管理者だったクレイグ牧師は痛ましいことに事故死され孤児たちは散り散りに。商売の結果とは言え、心の痛む案件でした。そしてカール少年は……その被害者ですね」
カールの抱える事情を思わぬ人物から聞かされネルは怪訝な表情を見せる。
ネルのその反応にダドリーは涼しい顔で話を続けた。
「おや。そのご反応。彼の事情はご存知なかったですか。不幸な少年です」
ダドリーの言わんとしていることを理解し、ネルはそれでも顔色を変えなかった。
「そんな話に何の意味がある。アタシはもうここを出ていく。ここの住人がどうなろうと知ったことじゃない」
「そうですか。これは失礼いたしました。ああいう少年は成長すると我が商会への恨みで危害を加えてくるかもしれません。私は小心者ゆえ心配性でして、将来の不安材料になりそうな芽は早めに摘み取っておきたいのですよ」
そう言うとダドリーは部下たちに目を向ける。
4人の護衛のうち2人がそれを受けてすぐに動き出した。
先ほどカールがいた川原に向かって行く。
ネルは静かにダドリーに目を向けた。
ダドリーは不自然なまでに爽やかな笑みを見せる。
「大丈夫です。なるべく乱暴なことはしないようにしますよ。やはりあなたはお優しい方だ。私はこれでも人を見る目があるのですよ」
「そうかい。アタシもてめえが紳士の皮を被ったクソ野郎だってことがよく分かったぜ」
「これは手厳しい。まあ……否定はしません。私は主のために仕事を果たさねばならないので、手段は選んでいられないのですよ」
ダドリーがそう言った途端、1メートル先でじっとネルを睨みつけていたまま動かなかったアイザックがいきなり動いたのだ。
彼はその巨体に見合わぬ素早い動きでネルに対して拳を突き出してきた。




