第19話 『人を殺す覚悟』
「おまえはあの時、人を殺す覚悟があったのか?」
そう言うネルの言葉は重く、カールはすぐには返答を口にすることが出来ない。
親代わりであった亡き牧師を嘲笑され、頭に血が上ったカールは棒切れをガキ大将の頭に怒りのままに振り下ろしたのだ、
ガキ大将がカールの腕を押さえて受け止めていたから事無きを得たが、あのまま頭に当たっていたらカールの力でも相手を死なせてしまっていたかもしれない。
「ネル……俺……」
「勘違いすんな。別に責めてるわけじゃねえ。先に言っておくがアタシはこれまでの人生で100人以上は人を殺してる。正確な数は覚えていない。そんなアタシが人殺しはやめろなんて言うことはねえよ。おまえくらいの年にはロクデナシの母親を殺したいと毎日のように思っていたしな」
ネルの話にカールは思わず言葉に詰まってしまう。
その顔は引きつり青ざめていた。
だがネルは平然と、そして冷酷に言う。
「……けどな。一度人を殺したらおまえはもうこっち側の人間になるぞ。二度と今のおまえには戻れねえ。オーガストを殺すってんなら、その覚悟をしておくことだな。でないとおまえは苦しむことになる」
ネルの言葉にカールは急に心身が重くなったように感じられた。
人を殺す。
それはその相手の命を奪い、その人生を強制的に終わらせるということだ。
カールは先ほど自分が振り下ろした棒がガキ大将の頭を割って死なせてしまう場面を想像して身を震わせる。
それは……恐ろしいことだった。
立ち尽くしたまま言葉を失うカールにネルは言う。
「さっさと宿に戻りな。爺さんと婆さんにあまり心配かけんなよ」
そう言うとネルは踵を返して歩き出す。
カールはハッとして彼女の背中に追いすがるように声をかけた。
その声はひどく震えている。
「オ、オーガストは殺す。先生の仇だから。そうしなければ……俺は我慢が出来ない。でも……他の奴は殺さないよ」
そう言うカールにネルは足を止める。
そして振り返るとカールが掴んでいる棒をサッと奪い取った。
カールが驚いていると、ネルはその棒を鋭く振るってみせる。
「相手の数が多い喧嘩の時は、大将を狙うのが定石だ。親分を倒されりゃ、子分どもは脆い。けどおまえとあのガキ大将は体格差があった。勝つのは難しい。そういう時はまず子分を1人ずつ減らしていくんだ」
そう言うとネルはカール目がけて真横から棒を鋭く振るう。
カールはビクッとしたが、ネルは棒がカールの太ももを打つ寸前で止めた。
「狙うのは太ももか上腕。ガキなら強めに打たれれば痛みで戦意喪失する」
そう言うとネルはすぐに棒を持つ手を右手から左手に持ち替え、今度はカールの反対側の上腕の手前で寸止めする。
「すぐに反対側も打つ。痛みが連続して続けば、大人でも戦意を喪失する。ただし相手が戦闘訓練を受けた敵じゃなければな」
そう言うとネルは棒を再びカールに手渡す。
「おまえの復讐はおまえのもんだ。他人がとやかく言うことじゃねえし、アタシも別に止めない。けどその道を進むのは簡単なことじゃねえぞ。進むなら頭が痛くなるくらいよく考えて覚悟を決めな」
それだけ言うとネルは立ち去っていく。
カールは棒を強く握りしめながらその背中を見送った。
彼女の言葉を頭の中で反芻しながら。
☆☆☆☆☆☆
「余計なおせっかいをしちまったぜ。らしくねえな」
ネルは1人そう呟きながら川原の土手を上った。
カールが少年らに袋叩きにされているのを見かねたネルは止めに入ったのだ。
そしてカールに説教のようなことを言った自分にネルは少々呆れていた。
カールの身の上については詳しくは知らないし、聞くつもりもない。
まだ幼さの残る少年があれほど憎悪を募らせるのだから、よほどのことがあったのだろう。
だが相手は大きな商会の主だ。
当然護衛の数も多いはずだ。
細腕の少年が数年鍛えて多少強くなったところでどうにか出来るものでもない。
だが孤独な復讐心を抱える少年の姿に、ネルはかつての自分を重ねたのだ。
幼き日の自分にとっての復讐相手は世の中全てだった。
ロクデナシの父親、自分を殴る母親、そして自分を忌み嫌う周りの人間たち。
強くなってそんな連中を力づくで排除することがネルの復讐だった。
幼き日のネルは孤独の中でその思いをずっと胸に抱えて生きたのだ。
それゆえにカールに一言二言言ってやりたくなった。
それがお節介だとしても。
「ガキでいられるうちは無邪気でいられるのが一番いいんだろうけどな。そうもいかねえのが世の中か」
そう言うとネルは川原のすぐ先にある東門へ向かう。
街をグルリと囲む市壁の出口の一つである東門は馬車が横並びで2台ずつ通れる門が4門設置された交通の要所であり、多くの荷馬車や人が行き交っていた。
門を守る衛兵も30人近くいる。
川原の土手から反対側に降りて東門前の道路に向かおうとしたネルは足を止めた。
前方に数人の男たちが立っていたからだ。
そのうちの1人は昨夜、宿でネルの前に現れたダドリーという商人だった。
オーガスト商会の商務長らしく相変わらず上等な身なりをしており、その佇まいからも気品が溢れている。
ネルは辟易とした表情で頭をかいた。
「ずっとアタシに熱い視線を送っていたのは、やっぱりおまえらだったのか。アタシはこれから街を出るところなんだが、わざわざお見送りに来てくれたってわけじゃないんだろう?」
そう言うとネルは冷然たる視線をダドリーらに向けるのだった。




