第17話 『牧師の死』
「くそっ! あの女ふざけやがって! ぶっ殺してやりてえ!」
オーガスト商会の取り立て部門で責任者を務めるガスは、痛む顎を押さえてそう呪詛を吐いた。
ゆうべ赤毛の女に殴られて失神したガスは夜中に商会の医務室で目を覚まし、自分が仕事を完遂できなかったことを知ったのだ。
主であるオーガストからガスが一定の信頼を得ているのは、どんな手を使っても貸した金を回収してくるその執念深さを買われているからだ。
それを自覚しているからこそガスは執拗に借主を絞め上げて金を搾り取る。
もちろん借主の中には金を返そうにも無一文で返せない者もいる。
だがガスはそんなことでは引き下がらない。
金のない者からでも金を搾り出す方法をガスは心得ていた。
「あの貧乏宿屋。土地を売り払わせてでも金を毟り取るぞ。じじいが駄々をこねるようなら、漁船か炭鉱に放り込んでやる。ばばあは飯が作れるから、うちの系列の酒場で働かせるぞ。死ぬまでこき使って借金を返させるからな」
そう言うとガスは部下に命じる。
「あの老夫婦の家族関係を調べろ。子供、兄弟姉妹、親戚関係。あとは宿屋の関係者もだ。徹底的にやってやる」
本来ならば夕飯前の簡単な仕事のはずだった。
余計な横やりを受けたせいで失敗したことがガスの怒りに火をつけたのだ。
さらにはオーガストがあの赤毛の女を闘士として勧誘しようとしていると聞き、ガスの心はますますささくれ立っていた。
これではあの赤毛の女に仕返しをすることは出来ない。
せいぜい会った時に嫌味を言ってやる程度だ。
しかしオーガストの意向には逆らえないのでガスはそれをあきらめ、怒りを全てこの日の取り立て業務にぶつけることにした。
「さあ行くぞ。野郎ども。今日も金を返さない蛆虫野郎どもから徹底的に搾り取ってやろうぜ!」
威勢よくそう声を上げると、ガスは部下十数人を引き連れて街へと繰り出して行くのだった。
☆☆☆☆☆☆
昼の買い出しなども終えて宿の仕事を一段落させた少年・カールは、愛用している棒を手に川原で必死に鍛錬に打ち込んでいた。
毎日毎日棒を振るい、体を必死に鍛える。
小さくて細い自分の体が恨めしくてたまらなかった。
ネルのように逞しい体になりたかった。
やがて息が上がるまで棒を振るったカールは川の水で両手を洗いながら、ふと昔の記憶が甦ってきて怒りにその顔を歪めた。
「先生……」
カールが思い出すのはこの川原に打ち上げられた水死体となって発見された、恩師の無残な最期の姿だ。
カールの人生が狂ってしまったあの日に見た光景を彼は一生忘れないだろう。
カールは実の親の顔を知らない。
赤ん坊の頃に孤児院の前に置き去りにされていたからだ。
その孤児院は教会の牧師が院長を務めていた。
物心ついた時にはカールは他の孤児たちと共にこの牧師に育てられていた。
とても優しい初老の牧師のもとでカールは貧しいながらも穏やかな暮らしをしていたのだ。
あの日までは。
3年前にオーガスト商会が孤児院の建つ土地を地権者から買収し、開発のために孤児院の取り壊しを求めた。
牧師は毅然とこれに反対し、立ち退かせるなら代わりの場所を用意してほしいと商会に求めた。
そして借主にはそこに住み続ける権利があると法律を根拠に商会に翻意を求めたのだ。
だが、そんなある日、牧師は水死体となって見つかった。
カールや他の孤児たちは親代わりとなってくれていた牧師の突然の死に強い衝撃を受け、嘆き悲しんだ。
警吏が遺体の状況を調べ、川に転落したことによる溺死と断定した。
遺体が見つかる前夜に、酒に酔って川原をフラフラと歩く牧師の姿が目撃されたというのだ。
その話を聞いた時にカールは嘘だと思った。
牧師は酒など飲まぬ人だった。
日頃から節制し、少ない食べ物を子供たちに分け与え、自分は水で我慢するような優しい人だったのだ。
いくら自暴自棄になったからといって、酒を飲んで酩酊し、川に落ちることなどあり得ない。
カールは他の孤児たちと共に警吏署へと詰め掛け、牧師の死の原因をもう一度調べ直して欲しいと直訴したのだ。
しかし孤児の言い分など受け入れられるはずもなく、孤児たちはほとんど門前払いのような格好で追い返された。
納得が行かないカールは警吏署の前で1人粘っていたが、そこで彼は見かけたのだ。
見たことのあるオーガスト商会の男が1人の警吏と共に警吏署の裏に向かって行くのを。
カールは見つからぬようにそれを追い、物陰から聞いたのだ。
2人の男が声を潜めて話すのを。
法律を盾に孤児院からの退去を拒んでいた牧師をオーガスト商会は誘拐し、浴槽に沈めて溺死させた。
そしてその遺体を真夜中に川に捨てたのだ。
さらには金で抱き込んだ市民の1人に嘘の目撃情報を証言させ、検死をした警吏にもあらかじめ賄賂を渡して川に落ちての溺死と断定させた。
こうして商会にとって都合の悪い真相は闇の中に葬り去られたのだ。
衝撃的な真実を知ったカールは失意のまま警吏署を後にして孤児院に戻った。
知ったことは恐ろしくて誰にも話せなかった。
真相を知っていると知られれば、オーガスト商会は必ずカールを殺しに来るだろう。
後日、牧師のいなくなった孤児院に孤児たちは立てこもり、取り壊しに来た商会の作業員らを相手に徹底抗戦の構えを見せた。
しかし大人の力に敵うはずもなく孤児たちは引きずり出され、孤児院はあえなく取り壊された。
放り出された孤児たちは川の橋の下に住み着いて浮浪児となるほかなかった。
年月の経過と共に病で死んでいく者、いつの間にかいなくなる者、孤児たちはそうして散り散りになっていったのだった。
「オーガストの野郎……許せねえ」
追憶から我に返ったカールは、流れる水面を見つめながら怒りにその顔を歪める。
あの日の悲しさや悔しさは今も忘れない。
牧師のような正しい人が無闇に殺され、オーガストのような悪人がのうのうとこの世の春を謳歌している。
カールにはそれがどうしても許せなかった。
怒りを噛みしめるように歯を食いしばり、棒を握ると再びそれを振るい始める。
そんな時だった。
背後から声がかけられたのは。
「おいカール。そんなもん振り回して何やってるんだ?」
その声にカールは表情を険しくして振り返る。
聞き覚えのある声だからだ。
そこにはカールよりも2~3歳年上くらいの少年たちが5人ほど立っているのだった。
☆☆☆☆☆☆
ネルは監視の視線を感じながら、それを気付いた素振りも見せずに川原の道を歩いていた。
その手には露店で買った鶏肉の大串を持っており、歩きながら彼女は美味そうにそれを頬張っている。
しかしきちんと周囲に注意は向けられていた。
(かなり慎重な見張り方だな。今のところ接触して来るつもりはねえらしい)
そんなことを考えながら歩いていたネルは、ふと川原に目を向けた。
そこに見覚えのある人影があったからだ。
それは少年だった。
「あん? カールじゃねえか」
それは今朝、別れたばかりの宿屋の少年、カールだ。
彼は他の少年数人に囲まれている。
友人たち……というには何やら険悪な雰囲気だった。




