第13話 『少年の未来』
夜が明けた。
窓から差し込む朝の光と鳥の声にネルは目を覚ます。
しっかりと眠って疲れは取れており、クラリスに蹴られた両腕の痛みもほぼ消えていた。
窓を開けて庭を見下ろすと、そこではカールが早朝の冷たい空気の中で棒切れを振り回している。
「訓練ねぇ」
ネルは水差しから水を飲みながら、まだ体の小さな少年が弱々しく棒を振り回す様子を見た。
そして自分があの年頃だった時のことを思い返す。
カールと同じくネルも弓矢の訓練に明け暮れていた。
教えてくれる者などおらず、全て独学だった。
弓の上手い者の技術を盗み見し、必死にそれを自分に取り入れた。
祖国ダニアでネルが所属していた弓兵隊の隊長が双子であり、その人柄は好きではなかったがどちらも天才的な弓の使い手だった。
彼女らからもネルは大いにその技術を盗んできた。
そうしたことの積み重ねがネルを弓の達人に成長させたのだ。
「コラッ! カール! 棒切れ振り回してねえで、薪を持ってこい!」
宿の老主人がどやしつける声が響き渡り、カールは慌てて棒を放り出すと薪を担いで建物に入っていく。
その様子を見ながらネルは苦笑した。
「まあせいぜい頑張りな。坊主」
そう言ったネルは不意に顔を上げる。
窓から見える庭の向こう側の通りは、まだ早朝のせいか人通りはほとんどない。
しかし……ほんの一瞬だが誰かに見られているような視線を感じた。
ネルは周囲に目を配る。
だが、どこにも人の姿は無かった。
「まさか昨日の双子か? 執念深く待ち伏せをしていたりしてな。それならそれで面白えけどよ」
そう言ってフッと笑うとネルは窓を閉めて部屋を出た。
そして朝食のために食堂へ向かう。
宿の中はすでに朝食の良い香りが漂っていた。
朝早くから老主人の妻が食事の用意をしてくれている。
彼女はネルが食堂に入ってくるのを見ると朗らかな笑みを浮かべて声をかけてきた。
「おはよう。ネルさん。ゆうべはごめんなさいね。あれじゃ足りなかったでしょ。ゆうべの分も含めて朝食多めにしておいたから、たくさん食べてね」
「ありがとよ。婆さん」
ネルは食事を摂りながら食堂の中にそれとなく目を配る。
ゆうべは暗かったから分かりにくかったが、朝日が窓から差し込む中で見ると、建物内はかなり老朽化が進んでいた。
結局、この日の宿泊客はネル1人だけのようであるし、宿屋の経営状況はかなり悪いようだ。
何やら良くない筋の金貸しから借金しているのも頷けるとネルは思った。
子供時代に貧しい暮らしをしていたネルは、貧困の辛さをよく知っている。
その日の食べる物すら困って盗み食いをしたことも一度や二度ではなかった。
だが貧しい暮らしはどこにでもあるものだ。
それを乗り越えて豊かになるか、それに甘んじて生きるしかない。
皆、己の足で歩かなくてはならないのだ。
ネルは老主人の妻が出してくれた朝食を食べ終えると部屋に戻って身支度をした。
荷物をまとめて部屋から出ると、ちょうど廊下を掃除している老主人の姿がある。
ネルは老主人に声をかけた。
「世話になったな。爺さん」
「もう行くのか。大したもてなしも出来ずにすまんな」
「いや。十分さ。風呂は気持ち良かったし、婆さんの飯もうまかったよ」
ふと廊下の窓の外を見ると、またしても庭でカールが棒を振り回していた。
それを見た老主人はため息をつく。
「あんなことばかりしとるんじゃよ。もう少し宿の仕事を覚えてもらいたいのじゃがな」
「爺さん。もしかしてカールをこの宿の後継者にしようとしてんのかい?」
ネルの問いかけに老主人は思わず笑った。
「ほっほっほ。まさか。ワシらは子供もおらんし、この宿はワシら夫婦と一緒に幕を閉じるんじゃよ。そう遠くない将来にな。カールとてこんなくたびれた宿を任されても困るじゃろう」
そう言うと老主人はどこか遠くを見るような目で話を続けた。
「カールの人生はこれからじゃ。ここで宿の仕事を一通り覚えておけば、この先どこか他の宿でも働けるじゃろ。あいつは孤児で頼れる親もいないから、自分の力で生きていかねばならん。あんな棒切れを振り回していてもゴロツキにしかなれん」
「軍にでも入隊するつもりなのか? あいつは」
そう尋ねるネルに老主人は少しばかり沈んだ表情を見せた。
「それならばまだいいんじゃがな……まあ、おまえさんには関係のない話じゃったか。とにかく剣を手に取るばかりが生きる道ではないということをあやつには知ってほしいんじゃ。ああしてうちに転がり込んできたのも何かの縁。この老体に出来る限りのことをして、未来あるあの小僧に生きる術を教えてやりたいんじゃよ」
老主人の言うことはもっともだった。
軍に入隊すれば豊かとは言えないが食べるのには困らないだろう。
だがそれ以外で腕っぷしだけで食っていくならば、闘技場の闘士や富裕層の私兵にでもなるしかない。
それには相当な腕前が必要だろう。
大抵の者がそこまで腕を上げられずに中途半端な剣を振るうようになる。
そうなると行き着く先は盗賊かヤクザ者などのゴロツキだろう。
運よく一端の武人になれても常に命の危険と隣り合わせであり、総じて他の職種の者たちよりも長くは生きられない。
手に職をつけて地道に働くほうがよほど割がいいのだ。
それ以上はネルも踏み込んでは聞かなかった。
老主人の言う通り、ネルには関係のない話だからだ。
ネルは少々バツが悪そうに頭をかく。
「昨日は余計なことをしちまったかな」
取り立てに来たオーガスト商会の小男をネルが叩きのめしてしまったことを言っているのだろうとすぐに理解した老主人は笑った。
「何も心配しなくていい。気の荒い客がやったんじゃと奴らも分かっておるじゃろう。こちらこそせっかくの食事中に気を悪くさせてすまんかったのう。あんたは早々にこの街から立ち去ったほうがいい。オーガスト商会の連中はしつこいから」
「ご忠告はありがたく受け取っておくぜ」
そう言うとネルは廊下の窓から庭を見下ろしてカールに声をかけた。
「おいカール。アタシはもう行くからな。しっかり働けよ。じゃあな」
それだけ言うとカールの返事を待たずにネルは首を引っ込めて階下に降りていく。
老主人の妻もそこで出迎えてくれて、ネルは夫婦に見送られながら宿を後にするのだった。




