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モルフィの軌跡  作者: オレノマツ
第一章 監獄島編

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9.バロミロ

「――まぁ、こんな話をいきなりされても、信用できるはずがない。……そういう顔だな」


バロミロはアクリル窓の向こうで、獣のような牙を僅かに覗かせて薄く笑った。


「だが、分かるんだよ。

 この地獄の底に落とされてなお、目にハイライトを残し、次になにをしでかしてやろうかと画策している奴の面構えはな。

 お前は俺と同じ匂いがする」


バロミロは胸ポケットから高級な葉巻を取り出すと、躊躇なく火をつけた。

紫煙がゆったりと立ち上り、甘く重厚な香りが魔導アクリルの隙間からこちら側へと微かに漏れてくる。


俺はその優雅な所作をじっと見つめながら、喉の奥に引っかかっていた疑問を口にした。


「……いくつか、質問をしてもいいか?」


「なんだ? 答えられる範囲でなら、何でも聞いてやるさ」


「なぜ、あんたは囚人の身でありながら、これほどの贅沢を許されているんだ?

  看守たちも、あんたには怯えているように見えた」


「単純なことだ」


バロミロは煙を吐き出し、事も無げに言った。


「俺が、この島の最高権力者である看守長を『飼っている』からさ。

 ――もっとも、それも期限付きの特権だがね」


「……期限付き?」


「俺がかつて大陸で組織した、巨大な犯罪シンジケートさ。

 そこから定期的に、看守長の個人口座へ莫大な裏金が振り込まれるよう仕組みを作ってある。

 俺が裏社会で転がしていた株式投資の配当金や、引退時に隠匿した莫大な資産……それらが、あいつの強欲を満たし続けている限り、俺はこの島で王族のように振る舞える。

 だが、その資金源も永遠じゃない。

 いずれは底を突く。

 だからこその『期限付き』だ」


シンジケート、株式投資、配当金――。

地方の農村で生まれ育ち、泥泥の密売から這い上がってきたばかりの俺には、バロミロの口から出る単語の仕組みなど、何一つ理解できなかった。


だが、理屈は分からずとも、その言葉が持つ狂おしいほどの「重み」だけは、肌に突き刺さるように理解できた。


金で法をねじ伏せ、国の最高戦力すらも鎖で繋ぎ、監獄の支配者をも犬のように飼い慣らす。

暴力や悪魔の力とは全く異なる、世界の根底を支配する『真の権力』。


(――欲しい)


俺の胸の奥で、ドス黒い野心がこれまでになく激しく脈動した。

この男の持つ、すべてを支配する絶対的な力が、どうしても欲しかった。


「……大金を積まれているとはいえ、随分と義理堅い看守長なんだな」


俺の皮肉混じりの言葉に、バロミロは首を振って冷酷に嗤った。


「まさか。そんな綺麗な話じゃないさ。

 金はただの餌だ。

 俺の『ファミリー』が、看守長の自宅を四六時中監視している。

 もし俺の身に何かあれば、即座にあいつの妻と子供の首が届くように脅してあるのさ。

 強欲な奴ほど、失うものを恐れるからな」


金だけでなく、底なしの恐怖で縛り付ける。

そこまで徹底した支配を行っているのか。

冷徹極まりない手段だが、だからこそこの男の言葉には、抗い難い絶対的な魔力のような魅力があった。

俺の心は、完全にこのバロミロという怪物に引き寄せられていた。


バロミロは葉巻を灰皿に押し付けると、再び俺を真っ直ぐに見据えた。


「さて、本題に戻ろう。お前は、ここから生きて出ていきたいか?」


「当然だ。こんなところで腐り果てるつもりはねぇよ」


「ならば、ここを脱出する前に、私の持てる知識と技術、そのすべてを学んでいけ」


「……どうして、見ず知らずの俺にそこまでしてくれる?」


俺の問いに、バロミロの目が一瞬、昏い怒りで細められた。


「お前がここを出た後、俺の代わりに『敵討ち』をしてほしいからだ」


「敵討ち……?」


「俺は、最も信頼していた部下に裏切られ、この島に売られた。

 その裏切り者に、相応の報いを与えたい。

 ――そしてお前は、この世で最も成功した悪党になれ」


「……随分な買い被りだな。俺にそれを期待しているのか?」


「お前には、必ずそれができる」


バロミロは確信に満ちた声で、迷いなく言い切った。


「お前には、世界をひっくり返すだけの器がある。

 大丈夫だ。

 俺はお前を信じている」


これまで誰からも信じてもらえず、ただ世界から奪われ続けてきた俺の胸に、その言葉が深く突き刺さった。


「……あんたは、俺と一緒に脱出しないのか?」


俺の問いかけに、バロミロはそれまでの強者の仮面を外し、ひどく寂しげな笑みを浮かべた。

その顔には、隠しきれない深い疲弊が刻まれていた。


「悪魔の力を酷使しすぎた。

 もう私の身体は、あの絶海の荒波を越えられるほど保たないのだ。

 ここで静かに朽ち果てるのが、私の運命だ。

 ……だからこそ、俺のすべてをお前に託す」


その瞬間、重厚な扉が激しく叩かれ、現実に引き戻された。

ドンドン、と乱暴なノック音が部屋中に響き渡る。


「おい、三十分だ! 時間切れだ、戻れ!!」


扉が開き、看守たちが俺の腕を掴んで乱暴に引き剥がしにかかる。

足枷を鳴らしながら連れて行かれる俺の背中に向かって、アクリル窓の向こうからバロミロの鋭い声が飛んできた。


「月曜日と木曜日のこの時間だ! これから毎週、ここで会おう!!」


看守に突き飛ばされるように部屋を出た俺の頭の中で、その言葉が強く木霊していた。

こうして、俺とバロミロの、世界を揺るがす密約の日々が始まった。

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