8.同部屋
あてがわれた監獄の部屋は、狭苦しい二人一組の雑居房だった。
身体検査が終わると同時に、俺たちは家畜の耳に標識を打つように、囚人番号が不気味に印字された粘着質の札を、首筋の皮膚に直接貼り付けられた。
あとで確認するらしい。
簡単な手荷物のみ渡され、個別に渡された紙に書かれてある場所へ向かう。
二階、F棟の31号室。
重い鉄格子の扉が開けられ、中に押し込まれる。
一体どんな悪党が同室の住人なのかと視線を向けると、先客は信じられないといった様子で硬直していた。
「――随分と、早い再会だったな」
「げっ、モルフィ……!? うそだろ……」
頭を抱えたのは、つい昨晩「お前らとは金輪際、絡まねぇ」と絶交を言い渡してきたばかりのアンディだった。
「嘘じゃねぇよ。おそらく移送船に詰め込まれた順番のままだろ、細かいことを気にするな。
これも何かの縁、乗りかかった船だ。死ぬまで仲良くやろうぜ?」
「……おい、お前、あのオズレットって眼鏡はどうしたんだよ?
随分と大事そうに護衛を名買って出てたじゃねえか」
「まあいたら護衛するさ。それにあいつを助けたのは打算があってだ」
「打算?」
「単純な話さ、王宮の会計士なんて上級の人間だろ?
一般の囚人が逆立ちしても用意できないような『金』を、隠し持っているかもしれないだろ?」
アンディは呆れたように鼻で笑い、首を振った。
「へっ……馬鹿を言うな。こんな世界の果ての地獄に、いくら金を持ってきたところで何の役にも立ちやしねぇ――」
言いかけたアンディの言葉が、通路から響き渡った凄惨な絶叫によって掻き消された。
鉄格子の隙間から外を覗き見る。
少し離れた房の前で、一人の囚人が腹をナイフで深く刺され、白目を剥いて泡を吹いて倒れていた。
刺した側の男は、周囲の視線など一顧だにせず、倒れた男の衣服を乱暴に引きちぎって上半身を剥き出しにする。
そして、男の脇腹にある歪な手術痕のような傷口にナイフの刃を突き立て、肉を抉り裂いた。
血飛沫と共に肉の隙間から溢れ出たのは、鈍く輝く数枚の金貨と数枚の札だった。
金目のものを皮膚の下に埋め込んで密輸していたのだ。
男は血塗れの金貨を懐に押し込むと、何事もなかったかのように雑踏の中へと消えていった。
看守たちも、それを見て見ぬ振りをしている。
「――ほらな、意味あるだろ?」
引き攣った顔で固まっているアンディに、俺は冷徹に言い放った。
「どうして……あんな血塗れの金が、ここで何になるんだよ」
「決まってる。どれだけ厳格な監獄だろうが、動かしているのは欲深い人間だ。
最低でも看守を丸め込む取引の材料に使える。
だから俺は、あの眼鏡の頭の中に資産価値があるって目をつけ、交渉の席に着くためのカードにしようとしただけさ」
アンディは、言葉を失ったように俺を見つめていた。
「お前……そこまで、考えてあの時動いてたってのか……?」
「どうだ? 気が変わったら、俺と組む気になったか?」
「……断る。お前がただのトラブルメーカーじゃなく、本物の怪物だってことはよく分かった。
だが、頼むから俺を巻き込まないでくれ」
アンディはそれだけ言うと、拒絶の意思を示すように二階建てベッドの上段へと這い上がっていった。
別に上で何か作業をするわけではない。
ただ、俺から少しでも距離を置きたいのだろう。
俺は荷物代わりの薄い毛布を一階のベッドに放り投げ、どっかりと腰を下ろした。
その時、閉まったはずの鉄格子のドアが、金属音を立てて荒々しく叩かれた。
看守だ。
「おい、モルフィ。そこにいるな。お前に面会の依頼だ。今すぐ出てこい」
「……俺に、面会?」
「二度言わせるな。さっさと面を上げろ、来い」
看守は苛立ちを隠そうともせず、腰の鍵束を鳴らして鉄格子を開けた。
俺は重い足枷を引きずりながら、薄暗い廊下へと連れ出された。
案内された進路は、囚人たちの雑居房があるエリアとは明らかに違っていた。
頑丈な鉄扉をいくつか通り抜けた瞬間、劇的に周囲の景色が変わる。
コンクリートと泥に塗れた地獄から、絨毯が敷かれ、豪奢なランプが灯るホテルのような内装へ。
それは船の上から見上げた、あの看守たちの歪な楽園の内部そのものだった。
だが、俺の予想と決定的に違っていたのは、そこが看守たちの私的な静養所ではなく、その豪奢な空間にすら「囚人」が幽閉されているということだった。
通路の最奥にある、特別に強固な魔術刻印が施された一室の前で足が止まる。
「……この中に、俺への面会人がいるのか?」
「……」
看守は何も答えず、ただ俺を射殺さんばかりの鋭い目で睨みつけると、重厚な扉の鍵を開けて俺を中に押し込んだ。
「時間は三十分だ。余計な真似をすれば即座に射殺する」
それだけ言い残し、背後の扉が重々しく閉まった。
部屋の中央は、頑丈な魔導アクリル製の透明な隔壁で二つに仕切られていた。
その向こう側の暗がりに、誰かが静かに腰掛けているのが見える。
「……お前、名前は?」
隔壁の向こうから、地を這うような、しかし鼓膜に妙に響く低い声が降ってきた。
「……モルフィだ」
「フッ、お前の素性と、大陸でのやらかしはすでに耳に入っているぞ。
派手に薬物を捌いて、アルターの王宮をひっくり返しかけたそうだな」
「……そっちこそ、一体何者だ。あんたは?」
「俺の名はバロミロ」
その言葉と同時に、あちら側の部屋の灯りがパチリと点いた。
照らし出されたのは、顔中を覆う見事な髭面と、すべてを見通すような陰鬱で深い双眸を持った大柄な男だった。
一目見て、全身の肌が粟立った。
本能が警鐘を鳴らしている。
――こいつにだけは、絶対に逆らってはいけない。
ただそこに座っているだけだというのに、魔導アクリルをも透過して、こちらを圧殺せんばかりの凄まじいプレッシャーが部屋中に満ちていた。
これまで出会ったどの使徒よりも、圧倒的な「暴力の気配」を纏っている。
バロミロは俺の警戒を愉しむように、酷薄に唇を歪めた。
「安心しろ、お前と俺は同類だ。
――同じ、悪魔に魂を売った『悪魔付き』さ。
仲良くしようじゃないか」
「……なぜ、初対面の俺が悪魔付きだと分かった?」
「その両手首の腕輪を見れば、嫌でもな。
こいつは王宮が国宝級の魔術師に作らせた特注品だ。
悪魔の血を極限まで冷やす、銀と塩の呪詛が込められている。
そんな大層な玩具で縛られている男が、ただの凡人なわけがないだろう?」
あの看守の言葉は、誇張でも何でもなかったわけだ。
「さて、挨拶はこれくらいにして、本題に入ろうか、若き魔人よ」
バロミロは身を乗り出し、アクリル越しに俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「――お前に一つ、提案がある。お前、この監獄から脱出しないか?」
その言葉が、俺の胸の奥で燻っていた復讐の火種に、爆発的な油を注いだ。
これこそが、後に俺の生涯の師となる――バロミロとの、血塗られた出会いの瞬間だった。




