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モルフィの軌跡  作者: オレノマツ
第一章 監獄島編

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10.野望

雑居房へと連れ戻される道中も、俺の胸はバロミロという怪物の残像に激しく支配されていた。

あの圧倒的な存在感、法も監獄のルールをも手玉に取る底知れない権力。

あれこそが、俺が泥の底から這い上がって辿り着きたい、真の到達点だ。


(あの男から盗めるものは、知識も、技術も、そのすべてを骨の髄まで毟り取ってやる……!)


そう思うと、自然と口元から昏い笑みが漏れ、ニヤケが止まらなかった。


通路を通ると、昼間に腹を裂かれて刺殺された囚人の死体は、すでに跡形もなく片付けられていた。

代わりに、その死体から金を奪って悦に浸っていた男が、数人の看守たちに床へ組み伏せられているのが見えた。

男は警棒で骨が折れるまで殴りつけられ、せしめたばかりの血塗れの金貨をすべて看守たちに没収されていた。


部屋に戻ると、ベッドの上段からアンディがその様子を冷ややかに見下ろしていた。


「――ほらな。金を持ってきたところで、結局はああなるだけさ」


「いや、あいつが馬鹿だっただけだろ。やり方が雑すぎるんだよ」


俺は素っ気なく応じると、机に向かって一冊の冊子を開いた。

全囚人に配られた、建前だけの「懺悔ノート」だ。

俺はその余白に、これからの予定として『月曜日・木曜日:バロミロ』とだけ密かに書き込んだ。

あまり文字は得意な方ではないが最低限このぐらいは書ける。


この不毛な地獄の中で、最高の娯楽と武器が手に入ったのだ。


初日は、ひとまずこれで終わりのようだった。

だが、一つだけ気がかりなことがあった。オズレットの姿がどこにも見当たらないのだ。

死角の影で怯えているだけならいいのだが。


まぁ、明日になれば嫌でも分かることだ。

俺はそのまま、重い瞼を閉じた。




――翌朝、けたたましい鐘の音と共に、点呼の時間がやってきた。


看守の怒号にだるい身体を動かし、広場へと並ぶ。

普段ならこのまま朝食の配給に移るはずだが、今日は全員が一堂に会する全体の朝礼だという。不穏な空気が広場に満ちていた。


見渡すと、列の端にあのオズレットの姿があった。

顔は青白く、酷く怯えている。

声をかけようとしたその瞬間、二階の回廊からガナン看守長が鋭く声を張り上げた。


「――諸君、おはよう。残念ながら、今朝は極めて不愉快な報告をしなければならない。

 我が監獄島において、最も愚かな禁忌――脱走を試みた者がいる」


その言葉に、数千人の受刑者たちがザワザワと騒ぎ始めた。

衛兵たちに引きずられて連れてこられたのは、俺とオズレットの飯を砦で奪い合ったあの巨大な男だった。

俺が破壊した関節よりも顔は見る影もないほどボコボコに腫れ上がり、完全に生気を失った目で地面を見つめている。


「あろうことか、この男は逃亡の際、我が部下である優秀な看守一人を殺害した。

 ここでのルールは最初に説明したな?

 法と秩序に対する明白な反逆だ。

 ――万死に値する」


看守長の冷徹な宣告と共に、大男は抵抗する力もなく、広場の中央にある巨大なギロチン台へと押し込まれ、その首を固定された。


その光景を見た瞬間、隣のオズレットの喉からヒュッと息が漏れた。

ガナン看守長は帽子を脱いで胸に当てる。

それは聖職者の振舞のようだった。

だが帽子を持っている手とは逆の手は死神が宿っていた。

冷酷に右手を振り下ろす。


ガシャァン!!


重い鉄の刃が激しい金属音を立てて落下した。

あまりにも呆気なく、男の胴体と首が切り離される。

ゴロゴロと転がった首から、石畳へドクドクと赤黒い血が広がっていく。

一人の人間の命が、文字通り一瞬でゴミのように処理されたのだ。


周囲の囚人たちが静まり返る中、ひと際激しく動揺したのがオズレットだった。

凄惨な現実を直視させられた彼の精神は限界を迎え、激しい吐き気に襲われてその場に崩れ落ち、胃液をぶちまけた。


「おい……!! 大丈夫か!?」


列を乱さないという鉄則を忘れ、俺は思わずオズレットに駆け寄り、声をかけてしまった。


――そして、その一瞬の隙を、死刑台から見下ろすガナン看守長の鋭い目が逃すはずはなかった。


「……おい、そこ。死人に同情する余裕があるようだな」


ガナン看守長の冷たい視線が、俺とオズレットを射抜く。


「お前ら二人だ。朝食の前に、その薄汚い害虫の死体を裏の廃棄場へ処理してこい。それが貴様らの最初の任務だ」


それが看守長から下された、血生臭い初任務だった。



死体は鉛のように重かった。

ギロチンで首を撥ねられたこの大男――確か名はトーマスといったか。

筋肉と脂肪に覆われた巨体は、優に九十キログラムは超えていた。


悪魔の力は封じられているとはいえ、ある程度鍛えている俺はともかく、もやしのように非力なオズレットにとっては、肉体的にも精神的にも限界を超えた重労働だった。


死体を運ぶ前、千切れた首と胴体を無理やり大きな麻袋へ詰め込む作業をさせられたせいで、オズレットの顔は今や死人のように真っ青だった。


ガタガタと歯を鳴らし、今にも卒倒しそうな足取りで袋の端を握っている。


俺たちの数歩後ろからは、一人の看守が退屈そうに警棒を弄びながら、監視のために付いてきていた。

このまま無言で歩けば、オズレットの精神が恐怖で完全に壊れてしまうかもしれない。


俺は奴の気を紛らわせるため、そして純粋な疑問を解消するために、唇をほとんど動かさずに声をかけた。


「……おい、お前。どこの房に収監されてるんだ?

 昨日、一階の広場から雑居房まで一日中探したんだが、お前の姿だけ見当たらなかったぞ」


「あぁ……そのこと、ですか……」


なぜか敬語で話すようになっている。

緊張感でたかが外れたのだろうか。


モルフィはあえて触れなかった。


オズレットは虚ろな目で、途切れ途切れに答えた。


「僕は……ガナン看守長に呼び出されて、彼の個人的な税務や、この島の裏の帳簿を管理することになったんです」


「何だと?」


「だから、君たちがいる劣悪な雑居房とは別に……管理棟の近くに、個室を用意してもらいました」


「……そうか」


能力がある奴というのは、どこに行っても重宝されるらしい。

うらやましい.


監獄を動かしているのも人間だ。

看守長にとっても、自分の資産を増やし、不都合な帳簿を完璧に隠蔽できる一流の会計士は、そこらの奴隷囚人よりも遥かに価値があるということか。

ともあれ、昨日から抱いていた疑問はこれで綺麗に解決した。


だが、会話が途切れると、再び通路に重苦しい沈黙が訪れた。

そしてその直後、オズレットが握っている麻袋の底から、どす黒い血液がじわりと染み出し、石畳へと滴り落ち始めた。


当然の結末だった。


俺の方がオスレットより背が高い。

二人の身長差のせいで、傾いた麻袋の底――つまり、オズレットが持つ側に、首の断面から溢れ出た大量の血が溜まっていくのは自明の理だった。


「あ……あぁ、あ……っ!!」


手の平を濡らす生温かい感触と鉄臭さに、オズレットは悲鳴を上げて死体から手を離した。


恐怖に顔を歪め、ボタボタと滴り落ちた血溜まりに足を滑らせて、無様にその場へ転倒する。


「貴様!! 何サボってやがる、さっさと立て!!」


後ろにいた看守が、待ってましたと言わんばかりに激昂し、容赦なくオズレットの背中を警棒で殴りつけた。


鈍い衝撃音が響く。

オズレットは抵抗する気力すら失い、ただ痛みに耐えるように身を縮めていた。

このままでは、あのトーマスの時のように、見せしめで本当に殴り殺されかねない。


(――チッ、流石にやりすぎだ)


俺は本能的に、周囲の状況を慎重に見極めていた。

ここは裏手の廃棄場へと続く、看守たちの死角。

周囲に他の人影はない。


気づけば、俺の手は地面に転がっていた、大振りの尖った石塊を掴んでいた。


看守が次の暴行を加えようと警棒を振り上げた、その刹那。

俺は音もなく看守の背後へと肉薄し、全体重を乗せてその石塊を看守の後頭部へと叩きつけた。


鈍い破裂音が響き、看守は声も上げずにその場へ崩れ落ちた。


白目を剥き、完全に意識を失っている。


静まり返った通路。

激しい呼吸の音だけが響く中、俺の脳内で、胸の奥に潜む悪魔が狂おしく囁き始めた。


(……おい、これは千載一遇のチャンスじゃないか?)


恐怖と痛みで意識が朦朧としている、王宮の裏事情を握る会計士。

そして、目の前で無防備に転がっている、鍵束と武器を持った看守の肉体。

悪魔付きの枷は外せないままだが、この状況なら、今すぐにでもこの監獄島から逃げ出す算段が立てられる。


降って湧いたような剥き出しのチャンス。

世界を薬物で染め上げ、一度は奈落へと突き落とされた俺が、この千載一遇の好機をドブに捨てるわけがなかった。


俺は昏い笑みを浮かべ、看守の身体へと手を伸ばした。

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