6.護衛
オズレットは、差し出された粗末な木皿をひったくるようにして看守から配給を受け取った。
鎖の番号とチェックマークがあり、不正に二度もらう真似は許されない。
汁の濁った薄いスープと、石のように硬い黒パン。
配給を渡す際、看守が鼻で嘲笑ったような気がしたが、今のオズレットにはそれを咎める気力すら残っていなかった。
他者との接触を拒むように砦の薄暗い片隅へ身を寄せ、泥を啜るような思いで飯を口に運ぶ。
(馬鹿どもが。どいつもこいつも、ど底辺の無学なクズばかりだ。
なぜ、この俺がこんな獣どもと同じ泥水を啜らなければならないんだ!?
ふざけるな……!)
確かに、高貴なる貴族の令嬢に手を出した。それは事実だ。
だが、最初に色目を使って誘ってきたのは、退屈と性に飢えていたあの女の方ではないか。
にもかかわらず、すべての罪を押し付けられ、挙げ句にこの世の終わり地獄へ島流しにされるとは、あまりにも不条理が過ぎる。
(神よ……! なぜ、選ばれしこの俺にこれほど残酷な試練をお与えになったのですか……!!)
怒りと悔しさ、底知れぬ恐怖で、スープを持つ銀化の剥げたスプーンがガチガチと音を立てて顎を震わせる。
その時、オズレットの視界に、ぬっと巨大な影が差した。
見上げると、そこには熊のように大柄で、不潔な体臭を放つ囚人が見下ろしていた。
「おい、インテリ。それ、俺に寄越せよ」
「……断る。これは、僕の取り分だ」
オズレットが声を震わせながらも拒絶した瞬間、大柄な男の丸太のような腕が伸び、彼の胸倉を乱暴に掴み上げた。
あまりの衝撃に、オズレットは首を絞められながらも、執念だけで木皿を死守する。
「や、やめろ……! 揉め事は起こすなと、さっき看守が言っていただろ――」
「うるせえよ」
言葉の途中で、汚い手で口を強引に塞がれた。
直後、凄まじい力で木皿を強奪され、オズレットの身体は冷たい石壁へと激しく投げ捨てられた。
背中を強打し、地面に這いつくばる。衝撃で眼鏡が飛び、視界が酷くぼやけた。
「あ、ああ……僕の、僕の食事が……」
パニックになりながら、床に落ちたはずの眼鏡を求めて必死に這い回る。
だが、その視界の端で、誰かが先にその眼鏡を拾い上げた。
ぼやけた世界の中で、その男は眼鏡の汚れを袖でそっと拭い、オズレットの目の前に差し出した。
少年の面影、 そして顔に刻まれた一文字の傷。
先ほど握手を拒絶した、モルフィという男だった。
「……俺の言った通りになったろ」
モルフィは冷徹だが、どこか甘さを含んだ声で囁いた。
「そこでちょっと待ってろ。――お前の飯、取り返してやるから」
そう言い残すと、自分の取り分のスープの皿をオズレットに渡す。
そしてモルフィは眼鏡をオズレットの手に握らせ、獰猛な肉食獣のような足取りで、大柄な囚人の背中へと歩み寄り始めた。
「おい、そこのデカいの」
オズレットから木皿を奪った大柄な囚人が、怪訝そうに振り返る瞬間だった。
一切の躊躇なく踏み込み、男の剥き出しの膝関節を、真横から正確無比に蹴り抜いた。
「ぐぁああ……っ!?」
嫌な骨の鳴る音が響き、男の巨体が無様に傾く。
その体勢が崩れる一瞬の隙を見逃さず、モルフィは男の手からオズレットの配給を鮮やかに奪い取った。
「悪いな。これはあっちの眼鏡君のものなんだ」
掠め取った木皿を背後へ放り投げると、男は怒りで顔を真っ赤に染め、獣のような咆哮を上げて殴りかかってきた。
丸太のような拳が空を切る。
だが、そんな大振りの一撃が当たるはずもない。
モルフィは最小限の動きでその猛攻を華麗に躱し続けた。
まるで、風に舞う蝶のように。
その緊迫した攻防に、周囲にいた囚人たちの目が一斉に爛々と輝きだした。
退屈と飢えに狂う連中が、吸い寄せられるように円を組み、地鳴りのような罵声を上げ始める。
「やれ! 殺せ!!」
「その生意気なガキの頭を叩き潰せ!!」
広場が狂気の熱に包まれた、その瞬間だった。
乾いた銃声が石畳を穿ち、足元で火花が散った。
一瞬で静まり返り、囚人たちが一斉に地面へ伏せる。
「揉め事を起こすなと、あれほど言っただろうがァ!!!!」
二階の回廊から、看守長が硝煙の立つ銃口をこちらに向け、頭に血が上った様子で怒鳴り散らしていた。
銃弾を恐れず、伏せることもなく看守長を平然と見上げた。
「おいおい、俺はただ避けてただけだぜ? 手は出してねぇよ」
「嘘をつくなよ、このクソガキが……!」
隣で膝を押さえて呻いていた大柄な男が、顔を歪めて俺を指差す。
「騒ぐな、どっちも同罪だ!!」
駆けつけてきた看守たちの手によって、モルフィと大柄な男の背中に容赦なく鞭が振り下ろされた。
肉の裂ける激痛が走るが、声一つ上げずに男を睨み据えた。
「お前ら二人は今日の飯は抜きだ! 連れて行け!!」
吐き捨てられた命令のまま、モルフィと男は別々の場所へと引きずられていき、冷たい石柱に鎖で厳重に縛り付けられることとなった。
看守たちに散々タコ殴りにされ、冷たい石床に放置されたあと、内臓の奥からせり上がる鈍痛とともにゆっくりと意識を取り戻した。
「……ってて。クソ看守どもが、容赦ねぇな……」
上体を起こしながら、口の中に溜まったどす黒い血を床に吐き捨てる。
視線を巡らせると、薄暗い壁の影に、あの眼鏡――オズレットが膝を抱えて座っていた。
「……なんだ? お前、まだそこにいたのかよ」
モルフィが息を吹き返したことに気づくと、オズレットは無言のまま、手元にあった木皿を俺の前に静かに差し出してきた。
中には、冷めきった例の薄いスープが入っている。
「あ? 俺は今日、飯抜きって言われたはずだぜ」
「これはあんたの分だよ。
……あのデカいのに突っ込んでいく前、あんた、自分の皿を僕に渡しただろ?」
「……。じゃあ、お前の分はどうしたんだ?」
オズレットは眼鏡の奥の目を僅かに細め、酷く冷淡な笑みを浮かべた。
「看守が来る直前、僕はあんたが持ってきたスープの皿を飲んだ。
駆けつけてきた後にどさくさに紛れてまた配給をもらいに行っただけ。
……だから、これは没収を免れたあんたの飯だ」
すると鎖の番号に意図的に傷つけられた跡があった。
それでチェックリストを免れたのだ。
「へっ……なかなか狡猾な真似をする。
王宮の会計士ってのは、数字だけじゃなく立ち回りも計算高いらしい」
「褒め言葉として受け取っておくよ。
……ほら、喋ると傷が開く。
とりあえず口を開け」
オズレットがスプーンでスープを掬い、モルフィの口元へと運ぶ。
大人しくそれを迎え入れた。
「……相変わらず、大して美味くねぇな」
「本当にね。泥の水煮のようだ」
そう毒突き合いながら、運ばれるスープをモグモグと喉の奥へ流し込んだ。
ひとまず、この眼鏡には「護衛」として認められたようだ。
そんな奇妙な食事の最中、足音が近づいてきた。
見上げると、アンディが不機嫌極まりない顔でこちらを見下ろしていた。
「初っ端から盛大にやらかしてくれたな、お前さん」
「……なんだよアンディ。俺の食べっぷりに何か文句でもあるか?」
「大ありだ。悪いがモルフィ、出会って数時間だがお前らとはもう金輪際絡まねぇ。
監獄に入りもしねぇうちから看守に目をつけられるようなトラブルメーカーの隣にいたら、命がいくつあっても足りねぇからな」
現実的な、賢い判断だ。
この地獄で生き残るための、彼なりの一線なのだろう。
「……そうか。じゃあ、達者でな。
気が向いたら、いつでも戻ってこいよ」
俺がスープを咥えたまま不敵に嗤うと、アンディはそれ以上何も言わず、踵を返して群衆の闇へと消えていった。




