4.裁判
「……くそっ、色気を出して、少し調子に乗りすぎたか」
路地裏の闇に身を潜めた瞬間、頭を殴られたような激しい眩暈がモルフィを襲った。
視界が激しく明滅する。
悪魔の力は強大だが、その代償として生身の肉体を確実に削っていく。
やはり、短時間に何度も乱用すべきものではなかった。
奥歯を噛み締め、覚束ない足取りで仲間との合流地点へと急ぐ。
しかし、一歩遅かった。
不吉な金属音が響く広場では、すでに何者かによって仲間たちが完全に退路を断たれ、包囲されていた。
「モルフィ……!?」
窮地の中で僕の姿を見つけた仲間の一人が、縋るようにその名を叫ぶ。
(馬鹿野郎、声を出すな……!)
心の中で毒突くも、時すでに遅し。
包囲網の視線が一斉にこちらを向いた。
最後の気力を振り絞り、再び右肩の刺青に意識を集中させて悪魔の力を引き出そうとする。
しかし、呪われた血は冷え切ったように硬直したままで、指先一つまともに動かせない。
「――お前が、この禍々しい劇薬を広めた主犯だね」
鼓膜を突き刺すような、酷薄で冷徹な声。
直後、風を切る金属の風圧とともに、豪奢な鎧を纏った女が目の前に現れた。
抗う間もなく首根っこを鷲掴みにされ、容赦なく石畳の地面へと叩きつけられる。
背骨が軋むほどの衝撃に、息が詰まる。
「私はレディ・グレイ。
さて、我がアルター王国をここまで無様に蹂躙してくれたんだ。
相応の責任は、その命で取ってもらおうか」
グレイの冷たい双眸が見下ろしてくる。
モルフィは這いつくばったまま、自由の利く片手を懐へ滑り込ませ、残っていた白い粉の袋を掴み取った。
それを振りかぶる。
(強制的に吸わせる気か……!?)
女騎士が警戒し、弾かれたように距離を取る。
だが、モルフィがその袋を投げつけた先は、女騎士ではなく、仲間たちが囚われている包囲網の真ん中だった。
狂気の粉が夜風に舞い、白い霧となって周囲を包み込む。
「全員、そこから離れろ!! 粉を吸うな!!」
女騎士が鋭い号令を発し、包囲していた衛兵たちが狼狽えながら一斉に退避する。
「今だ、逃げろ!!」
モルフィは喉が張り裂けんばかりに叫び、仲間に命令した。
躊躇する彼らだったが、モルフィの鬼気迫る視線に押され、蜘蛛の子を散らすように夜の闇へと落ち延びていった。
「……なるほど。仲間を逃がすために、わざわざ自分を囮にしたわけだ」
呆れたような感心したような声とともに、モルフィの足元から漆黒の薔薇の蔓が生き物のように這い出づり、その四肢を雁字搦めに縛り上げた。
棘が肉に食い込み、鋭い激痛が走る。
「ぐっ……!!」
「何というか。醜い悪党の分に合わない、美しい友情というか、自己犠牲精神というか。
まあ、残党には逃げられたけれど、諸悪の根源であるあなたさえ捕らえれば、こちらの勝ちよ」
女騎士は拘束されたモルフィの前にしゃがみ込み、その端正な頬を、甲冑の手袋で冷良くなぞった。
「これほどの美形だというのに、もったいないわね。
……これから『島送り』だなんて」
「……島送り?」
モルフィが鋭い眼差しで睨み返すと、女は酷薄な笑みをその唇に浮かべた。
「あら、ご存じないの? ……まあ、せいぜい裁判のあとを楽しみにしておきなさいな」
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「――アルター王国の寄生虫、ノルディング村のモルフィよ。
大罪人たる貴様に、神の名において最後の審判を下す」
大聖堂を兼ねた厳粛なる法廷に、冷徹な声が響き渡る。
教皇が手にした木槌を打ち鳴らすと、重々しい音がステンドグラスを震わせた。
「終身、絶海の孤島への『島流し』とする。
二度とこの大陸の土を踏むことは、法と神の秩序において許されない」
重い鉄格子と魔力を封じる鎖に拘束されたモルフィは、ただ黙ってその宣告を聞いていた。
少年の面影を残す顔に刻まれた傷跡が、法廷の蝋燭の光に怪しく揺れる。
不気味なほどの沈黙を不審に思ったのか、教皇は憐れむような視線を向けた。
「……執行の前に、最後に何か言い残すことはあるか?
罪を悔い改める言葉であれば、神は聞く耳を持たれるだろう」
その言葉に、モルフィは低く笑った。
肩を揺らし、やがて顔を上げて教皇を真っ向から睨みつける。
「教皇。あんた、本当にこの世界に『神』なんてものがいると思っているのか?」
「無論です。
だからこそ、神を恐れぬあなたは悪魔に魂を売り、国を傾ける大罪を犯した。
今すぐ悔い改めなさい」
「じゃあ教えてくれよ」
モルフィの声から、一瞬で笑みが消えた。
声のトーンが地を這うように低くなる。
「僕たちの村が、飢えた盗賊に蹂躙された時も、血に飢えた魔物に喰い荒らされた時も、あんたらの国の衛兵が残った僅かな食料まで根こそぎ奪っていった時も……それも全部、その偉大なる神様のお導きってやつか?」
「……いかにも」
教皇は眉一つ動かさず、至高の座から冷淡に言い放った。
「それは神が与えたもうた試練です。
あなた方の信仰の深さを試し、乗り越えろと仰せられたのだ」
「――乗り越えろ、だと?」
モルフィの脳裏に、奪われ、焼かれ、死んでいった故郷の光景が過る。
どす黒い感情が爆発した。
「ふざけるなッ!!」
凄まじい脚力で、モルフィは目の前の重厚な証言台を蹴り飛ばした。
木片が爆散し、法廷の衛兵たちが一斉に武器を構える。
鎖を引きちぎらんばかりに身を乗り出し、彼は教皇に向けて吼えた。
「だったら、いまここで宣言してやるよ!!
あの地獄が神とやらの与えた試練だって言うなら、俺は全人類をその試練ごと泥沼に引きずり降ろしてやる!
神なんてくだらない存在は、この手で引きずり下ろしてぶち殺して、俺が新しい世界の神になってやるよ!!
そして犯罪者だけの国を俺がこの手で作ってやるからなぁ!!」
狂気と執念に満ちた絶叫が、厳かな大聖堂を支配する。
教皇は不快そうに目を細め、静かに首を振った。
「哀れな青年だ。
救いようのないほど、完全に魔に魅入られている。
……地獄の底で、永遠に後悔するがいい」
冷徹な宣告とともに、再び木槌が激しく打ち鳴らされた。
カン、カン、と、終焉を告げる音が虚しく響く。
こうして、王国を薬物で染め上げた少年、モルフィの軌跡たる序章にも満たない裁判は、幕を閉じた。




