34.4人の悪魔付き
「……」
看守たちが慌ただしく立ち働く中、カイザーはモルフィの両手首で鈍く光る特級魔導手枷をじっと見つめ、それから青年を鋭く睨み据えた。
「お前……その枷、悪魔付きか?」
「……そうらしいです」
モルフィは力なく視線を落とし、いかにも自分の状況を把握していない風を装って応じる。
「そうらしいって何だよ。自分の身に宿した化け物の自覚もねえのか?」
「書類上は『一般の囚人』として処理されていて、悪魔付きの記録はないんです。
なのに、なぜかこの手枷だけは嵌められていて……僕も看守からそう聞かされていただけで、詳しいことはよく分かりません」
「ふん。記録なしでその枷を嵌められているか。つくづくおかしな監獄だな、ここは」
不審に思ったカイザーは、確かめるようにモルフィの肩へと無造作に手を置いた。
その瞬間、カイザーの意識はモルフィの「内なる深淵」へと潜行する。
(いる……!!)
カイザーの脳裏に、澱んだ暗闇と、そこに君臨する禍々しい『蛾』の悪魔が姿を現した。
ぞっとするほど強大な気配。だが、カイザーの口元には傲慢な笑みが浮かぶ。
(だが、俺の敵じゃねえ。この程度、俺の『火の龍』の敵であるはずがない)
精神世界において、カイザーの背後から現れた圧倒的な焔の龍が、天を衝くような咆哮を上げた。
世界を焼き尽くさんばかりの熱波が蛾の悪魔を威圧し、その身をすくませ、黙らせる。
羽虫が龍に勝てる道理など、この世のどこにも存在しない。
圧倒的な格の違いを見せつけ、勝利を確信した――その時だった。
押し黙っていたはずの『蛾』が、あろうことか、意思すら感じさせない冷徹な拒絶の波動を放ち、カイザーの意識を精神世界から強引に「叩き出した」のだ。
力による敗北ではなく、世界そのものを概念を書き換えられたかのような奇妙な感覚。
「……ッ」
現実に戻ったカイザーは、僅かに目を見開いた。
「……チッ、中々いい悪魔を飼ってやがる。その割に自覚もねえとはな。
勿体ねえ宝の持ち腐れだ」
「はぁ……どうも……」
モルフィは何も気づいていないかのように、ただ怯えを装って頭を下げた。
その後、モルフィは手荒く一般房の一室へと押し込まれた。
かつてその部屋を独占していた馴染みの囚人、アンディの姿はどこにもなかった。
昨夜の地獄絵図の中で殺されたのか、それとも別の場所に転がされているのか。
床に残る乾いた血痕が、その不穏な結末を物語っていた。
代わりに、その部屋には先ほど医務室で繋がれていたバーネットが入れられた。
「暴動で死人が何人も出た影響で、房が丸ごと空いたからな。
お前ら悪魔付きは最後にまとめて詰め込むことになった。
しばらくここで一緒に暮らせ」
新しく来た看守が、忌々しそうに吐き捨てて鉄格子の鍵をガチャンと閉める。
重々しい閉塞感が二人を包み込んだ。
聞けば看守のほとんどが殺されたらしい。
殺されてなくとも治療を受けているそうだ。
「……あんたが同室になってくれて助かったよ。
俺は他の囚人たちから恨みを買っているからな」
「いや、それは違うな」
バーネットは壁に背を預け、自嘲気味に笑った。
「今はむしろ、お前を『大脱獄を引き起こした英雄』として神聖視している馬鹿どもの方が多いさ」
「……だといいんだけどな」
モルフィは油断なく周囲の気配を探りながら、独房の鉄格子に手際よく古びたシーツを括り付けた。
外を通る囚人や看守から、室内の様子を完全に見えなくするための目隠しだ。
死角が完成した瞬間、モルフィの目が冷徹な暗殺者のそれへと変わる。
「じいさん。これを見てくれ」
彼がボロ布に包まれた包帯の奥から滑り込ませるように取り出したのは、ガナン看守長とソフィア女医の私物――監獄のすべてを開放するはずの「マスターキー」それの束だった。
「お前……それ、まさか……!」
老宝石強盗の目が、驚愕で丸くなる。
「これがあれば脱出はできる。
だが、この両手首の手枷が外れないとどうしようもないんだ。
鍵穴の形状が特殊すぎて、この鍵じゃ合わねぇ」
「……当たり前だ」
バーネットは息を整え、声を潜めて手枷の構造を語り始めた。
「悪魔付きの力を抑え込む『特級魔導手枷』の鍵は、紛失や強奪を防ぐために、すべて王宮の本部で厳重に一括管理されている。
この島を探したところで、対応する鍵を見つけるのは絶対に不可能な構造になっているんだ」
「……そうか」
モルフィの瞳に、冷たい焦燥が宿る。
「だが、絶望するには早い。
外す方法なら、鍵を探す以外に二つある。一つは『作る』だ」
「……作る?」
バーネットは自身の縛られた手首を突き出し、モルフィに示して見せた。
「見えるか? この極小の鍵穴が」
「この、針の穴みたいなやつか?」
「あぁ。ここに融点の低い溶けた金属でも流し込み、内部の構造に合わせて即席の合鍵を鋳造できれば話は別なんだが……あいにく、この冷え切った独房にそんな都合のいい設備も金属も存在しない」
「夢のないことを言わないでくれ。もう一つの方法は?」
「『破壊』だ」
「……破壊? 悪魔付きの異能を封じる魔導金属を、人の力で破壊なんてできるのか?」
「この枷は純粋な魔力銀と鋼鉄、そして特殊な塩の結晶を練り合わせて作られている。一筋縄では早々傷一つつかんよ」
「結局、駄目じゃねえか」
「だが、王宮にあるはずの鍵を探すよりは遥かに合理的だ」
バーネットの不敵な笑みが、老怪盗としての鋭さを取り戻す。
「あのバロミロの脱獄だって、結局は手枷の破壊が始まりだった。
奴は数年もの間、わざと地下の湿気た監獄を選び、潮風と塩分を魔導金属の隙間に吸わせ続けて内部から錆び付かせ、最後は力任せに叩き割ったらしい」
「……気の遠くなるようなやり方だな。何年かかる」
「あぁ、手間と時間がかかりすぎる。
使徒が駐留している今、我々にはそんな猶予はない。
……他に、この特殊な金属の結合を瞬時に狂わせるような方法があればいいのだが……」
バーネットは再び手枷の鍵穴を睨みつけ、深く頭を悩ませ始めた。
その横で、モルフィは己の両手首を見つめ、バロミロから継承された知識の深淵へ、静かに意識を沈めていった。
その後、一般房へ移されたモルフィたちに、看守から思わぬ命令が下った。
――中央調理場へ赴き、囚人たちの食事を作れ、というものだった。大暴動の爪痕が残る今、臨時の「食事係」に任命されたのだ。
本来、調理場という場所は、包丁などの刃物や火線を扱う性質上、模範囚やガナン看守長に徹底的に媚びを売って信頼を得た、無害な「犬」のような人間にしか任されない安全圏である。
しかし、看守長の不審死と大暴動によって上層部が壊滅し、近く人員が総入れ替えになるという噂が飛び交う現在の監獄島には、そんな悠長な選別を行っている余裕は微塵もなかった。
ただ機械的に、動ける人員を労働力として投入するほかなかったのだ。
モルフィはこれを作戦の好機と捉えた。彼はバーネットの立ち回りを借り、看守の目を盗んで、ある「細工」を施した。
四六時中、特級魔導手枷を外されることのない、島内でも特に危険視されている「悪魔付き」の囚人、残り二名を作業要員として同じ調理場へ呼び寄せることに成功したのだ。
手枷がある人間の方が管理がしやすいという理由だ。
鉄格子の向こうでは、数名の看守が抜き身の長槍を手にじっとこちらを見張っている。
しかし、彼らもまた昨夜の暴動の恐怖と寝不足から、その視線は虚ろで、こちらに声をかけてくる気力すら失っているようだった。
広大な調理場に響くのは、大鍋がたてる湯気と、ジャガイモを刻む包丁の規則正しい金属音だけ。
その喧騒に紛れ、モルフィは作業の合間を縫って、集められた二人の悪魔付きの男たちへと、周囲に気取られないよう極めて自然に距離を詰めた。
そして、肉を刻む手を止めることなく、二人の耳元へ届く最小限の囁き声で、冷徹に言い放った。
「……ここから逃げる。力を貸してくれ」




