32.邂逅
結果として、この一夜の暴動によって監獄島に収監されていた囚人の「七分の一」が間引きされることとなった。
だが、生き残った者たちのなかに、それを誇る者は一人もいない。
むしろ、あの使徒たちの理不尽な暴力を前にして、いっそひと思いに殺されていた方が幸運だったのではないかと、絶望に身を震わせる囚人のほうが圧倒的に多かった。
この血生臭い牢獄で、底知れぬ恐怖に怯えながら終わりのない刑期を待つのは、死以上の拷問に他ならないからだ。
当初は容赦なく蹂躙していたカイザーも、途中からはその事実に気づき、可能な限り「生かす」方向へと手加減を切り替えていた。
国家の犬としての僅かな理性が、犯罪者には死ではなく、生きて地獄の労役で罪を償わせるのが一番だと判断したからだ。
それに強者はここにはいなかった。
あとは作業だ。
海岸線の制圧は完了した。
だが、広大な監獄内のすべてのエリアを完璧にクリアリングできたわけではない。
壁の中に潜んでいるかもしれない。
改めて血に染まった要塞を見渡す。
正直、カイザーにとってこの任務は退屈な暇つぶしに過ぎなかった。
あとの残務処理や囚人の再収監などは、残った兵士やエノワールたちに任せておけばいい。
自分は、王宮の絶対的な「強さの象徴」としてそこに君臨していれば、それだけで価値があるのだから。
しかし、その場に留まっていたカイザーのもとに、不穏な報せが飛び込んできた。
先ほど、この監獄の最高責任者であるガナン看守長の遺体が発見されたという。
場所は、彼自身の執務室のクローゼットの中。
そして、彼が肌身離さず持っていたはずのマスターキーも紛失していた。
それはつまり、看守長を暗殺し、鍵を奪って今なお要塞のどこかに潜伏している、あるいは脱獄を企てている狡猾な囚人がいるという明白な証拠だった。
(罪が死刑では、とてもではないが済まされないぞ。
それに鍵を持っているとなると……)
事態は思った以上に深刻だった。
王宮において、ガナン看守長の厳格な統率手腕は極めて高く評価されていたのだ。
それをあっさりと葬り去った何者かの影に、カイザーの眼光が鋭く光る。
それはどちらかというと書類を改ざんしていたオズレックの手腕なのだが、カイザーたちは書類で見た記録でしかそのことを知らない。
そしてまだ逃亡している可能性も捨てきれない。
手渡された紙マップを広げ、未だ足を踏み入れていない場所を確認する。
が、読むのすらめんどくさい。
「……悪魔付きのじいさん、案内頼むわ」
「だからワシを今日もこんなところに連れてきたのか……」
「いいじゃねーか、やることないだろ?」
「……まあな」
そういって、案内をする。
「ここが特別監獄だ」
「……独立した隔離房? 百三十二号室か」
看守棟のさらに奥、最深部にひっそりと佇むその独房へと足を運ぶ。
カイザーは予備の鍵を使い、重厚な鉄扉を静かに開けた。
「じいさんは外で待っていな。
余計な事すんなよ」
「へいへい……」
傍にあるパイプに悪魔付きの爺さんを手錠で繋ぐ。
薄暗い部屋の奥にいたのは、あまりにも見覚えのある人物だった。
「……あなたでしたか。
どおりで、この牢獄だけ他と比べて豪華なわけだ」
鉄格子の向こうから、鋭い眼光がカイザーを射抜く。
「お前の顔など、一秒たりとも見たくない。去ね、キッド」
「そんな冷たいこと言わないでくださいよ。
あとそんな昔の名前を持ち出さないでください」
カイザーは、かつて大陸で呼ばれていた忌名――『キッド』と呼ばれたことに苦笑し、大袈裟に両手を挙げた。
「あんたをこの腐った島にぶち込んだのは俺の親父であって、俺じゃない。
八つ当たりは勘弁してほしいね」
「……できることなら、お前の首を叩き切って、その傲慢な父親の元へ叩きつけてやりたいのだがな」
「勘弁してくださいよ。
あの『化物』を本気で怒らせたら、この大陸のどこを探したって、手を付けられる人間なんていやしないんだから」
おどけた口調とは裏腹に、カイザーの瞳には一瞬だけ本物の実父に対する昏い嫌悪が過った。
「……だが俺は、子供の頃、あんたの闘い方に本気で憧れていたぜ?」
「なら、教会直轄の飼い犬たる『使徒』などに成り下がるな。反吐が出るクズめ」
「仕方がねえでしょう。
給料は破格だし、安全に稼げて、おまけに特権や優先権もある。
『魔人選定者』としての地位は、そう簡単に捨てられるもんじゃない」
「……」
バロミロはそれ以上何も言わず、ただ軽蔑の眼差しを向けた。
「実父と互角に渡り合った大陸の伝説も、落ちぶれればここまでか。
牢に入ってしまえば、ただの耄碌した老人だな。
他の悪魔付きも似たようなもんか。
……ああ、そうだ。あんたのところの『スターク』は今も元気に裏で動いてるぜ?
あんたのような破滅の道は歩まずに、それでいてあんたのようになろうと必死に足掻いてる。
少しは褒めてやったらどうだ?
後継者として認めてやってもいいだろうに」
「ダメだ。あいつは未熟の極みだ。
お前ら王宮の連中に金をチラつかされ、易々と魂を売った時点で、あいつの器など底が知れている」
「男だろう? 人生で一回くらい、大金をパーッと派手に使いたい時だってあるさ」
「くだらぬな」
「相変わらず厳しいねぇ……」
カイザーは部屋の机に無作法に足を投げ出すと、偉そうにバロミロを見下ろした。
だが次の瞬間、その軽い空気は一変する。カイザーの身体から放たれた濃厚な魔圧が、真剣な眼差しとともにバロミロへと肉薄した。
「――で、あんたが隠した『遺産』はどこにある?」
バロミロは、その圧倒的な威圧感に眉一つ動かさず、静かに言い放った。
「もう渡した。お前たちのような王宮の狗の手には、逆立ちしても届かん場所へな」
「そ。まあ、いいや。そのくらい」
カイザーはあっさりと追及を諦め、つまらなそうに足を机から下ろした。
「遺産なんてなくたって、俺のこの腕があれば、いくらでも稼げるしな」
そう言って、背後の重い扉を開ける。
「では、残りの人生、素晴らしい牢獄ライフを!」
ドンッ!! と、カイザーは腹いせのように乱暴に鉄扉を閉め、その場を去っていった。
一人残された暗闇の中で、バロミロは己の額を触り、新時代への「継承」が完全に成功したことを確信し、昏く微笑んだ。
「はぁ……下らん下らん!どいつもこいつも過去の栄光にすがりやがって……!」
バロミロの独房を後にしたカイザーは、吐き捨てるように頭を掻きむしった。
廊下で待っていた白髪の老人は、その様子を鋭い一瞥で眺め、歩き出したカイザーの背中に声をかけた。
「……あのバロミロと知り合いだったのか?」
「……まあな。あんた、あの偏屈じじいに詳しいのか?」
「それなりに長く『悪魔付き』として裏社会を生きていればな、嫌でも名前は耳に入ってくるさ」
老人の言葉に、カイザーはふと足を止め、振り返った。
「……ちなみにじいさん、名前は何てんだ?」
「バーネットだ。ダイアン・バーネット」
その名を聞いた瞬間、カイザーの脳内の指名手配犯リストが一瞬で火花を散らした。
「……へぇ。20数年前、王宮の厳重な結界を文字通り『すり抜けて』宝物庫を空にした、あの宝石強盗の主犯か。
こいつは驚いた、目の前にいるのは伝説の大泥棒じゃねえか」
大陸を震撼させたレジェンド級の「悪魔の力」の持ち主。
カイザーは、バーネットの両手首で鈍く光る悪魔付き専用の特級魔導手枷にチラリと視線を落とした。
「そんな大層な異能を持っていながら、ただの泥棒で人生を終えるたぁ、勿体ねえことこの上ないな」
「これ以外の活用の仕方を知らなかっただけさ。
私にとっては、生きるための手段に過ぎなかったんでね」
「ハッ、運がねえなぁ」
カイザーは鼻で笑いながら、内心で(今ここでこのじいさんの手枷を外して、本気で戦わせたらどれだけ遊べるだろうか)と邪悪な妄想を膨らませた。
だが、すぐに退屈な現実に引き戻される。
昨夜、派手に『火炎龍王』をぶっ放して監獄ごと身内を巻き込みかけた罰として、現在は同僚たちに大剣を没収されている身なのだ。
素手で伝説の悪魔付きとやり合うのは、いくら彼でも少々骨が折れる。
「チッ……さて、次は医務室か。ガナンのクソ野郎が死んでた執務室の近くだ。
まあ、どうせ何もありゃしねえだろうが……おや……?」
目的の部屋の前に辿り着いたカイザーは、その奇妙な光景に眉をひそめた。
医務室のドアは、外側から完全に施錠されていた。
危険の疑いありと部下から申告があったので後回しになっていた。
本来は外開きの強固な二連構造の扉なのだが、その手すりの間に、重厚な木製の椅子や机がこれでもかと乱雑に噛まされ、まるで臨時の「閂」のような役割を果たしていたのだ。
内側からの閂なら理解できる。暴徒から身を守るために立て籠もったのだろう。
だが、これは『外側』からかけられている。
まるで、中にいる何かを、ここから絶対に叩き出さないように閉じ込めたかのような――。
「なんだこりゃ……? 悪趣味な嫌がらせか?」
カイザーは考えるのをやめ、邪魔な椅子を容赦なく蹴り飛ばした。
そのまま頑丈なブーツの底で、重い扉ごと前方の空間を蹴り破る。
バギィンッ! と凄まじい破壊音と共に、医務室の扉が内側へと弾け飛んだ。
「……誰もいねえ、か?」
漂う強い薬品臭の奥を見渡すが、静寂だけが返ってくる。
しかし、背後についてきていたバーネットが、細い目をさらに細めて部屋の奥を指差した。
「いや、いるぞ。そこの、鉄格子の中だ」
カイザーがその視線を追う。
散乱する医療器具と剥き出しになったベッドの奥、影になった暗がりに、何者かが静かに横たわっていた。
汚れた白いタンクトップ。
その逞しい肩口には、不気味なほど鮮やかに、一匹の『蝶』の刺青が刻まれている。
死んだように眠るその男からは、この大暴動の最中とは思えないほど、不自然なまでに凪いだ気配が放たれていた。
これが、第一使徒カイザーと、すべての元凶たる悪魔付きモルフィが、初めて交錯した瞬間だった。




