31.火炎龍王
結果として、監獄島の最深部へと進撃した第1使徒カイザーの暴力は、あまりにも圧倒的だった。
向かってくる暴徒をただの肉片に変え、要塞の壁ごと文字通り粉砕していくその進軍は、生き残っていた囚人たちの反逆の心を一瞬にして叩き折った。
人間としての種族の格があまりにも違いすぎる。
血の海と化した通路を抜け、カイザーが辿り着いたのは、未だ破壊されていない頑丈な特別監房だった。
その檻の奥、外の狂乱に加わることもなく、静かに床に腰を下ろしている一人の囚人がいた。
白髪の混じった、酷く痩せこけた老人。
だが、その両手首には、モルフィが嵌められているものと全く同じ、鈍い銀色に鈍く光る特級魔導手枷が鎮座していた。
「……で? お前ら『悪魔付き』の生き残りは、外のゴミどもと一緒に俺に向かってこないわけ?」
カイザーは大剣を肩に担ぎ、鉄格子を蹴り飛ばしながら、退屈そうに老人を見下ろした。
老人は、目の前の怪物が放つ、皮膚がひりつくような濃厚な殺気を浴びながらも、ただ静かに苦笑を浮かべた。
「……まさか。こんな呪いの腕輪を嵌められた状態で、あんたのような化物とまともに勝負が成立すると思うほど、私はボケちゃいませんよ」
人外と崇める「悪魔の力」すら、龍の血を宿した怪物にとっては、羽虫の抵抗にすらならないだろう。
それがまざまざと目の前で見せつけられた。
「はぁ……。どいつもこいつも、つまんねーの」
期待外れだとばかりに、カイザーはあからさまに溜息をつき、踵を返して次の獲物を探しに行こうとした。
老人はその背中を見送りながら、内心で冷や汗を流していた。
使徒にとって、この島中を巻き込んだ凄絶な暴動すら、ただの退屈しのぎの「お遊戯」に過ぎないのだという残酷な現実を、その背中が物語っていた。
おそらく憂さ晴らしなのだろう。
だが、数歩歩いたところで、カイザーが不意に足を止めた。
その獰猛な瞳が、悪戯を思いついた子供のように不気味に細められる。
「あ、そうだ。おい、爺さん。
お前、この監獄の道案内をしろよ。
他の囚人と違って、少しは話が通じそうだしな」
「……。断れば、その大剣の錆にされる、ということですかね」
「話が早くて助かるぜ」
カイザーは言うが早いか、鉄格子を紙細工のように強引にへし折ると、老人の細い身体を軽々と片手で掴み上げ、自身の頑強な肩の上へと無造作に放り出した。
「……いいだろう。お望み通り、特等席から案内して差し上げますよ」
老人は観念したように息を吐き、暴君の肩の上で身を委ねた。
こうして、モルフィが接触すべき「三人の中の一人」である老人は、使徒の連れ回しという最悪の形で連行されていくのだった。
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監獄島の一角にある薄暗い医務室で、ソフィア女医は全身の震えを止めることができずにいた。
「ひっ……、や、やめて……!」
彼女の視線の先、正気を失った囚人が、濁った欲望を剥き出しにした手をソフィアへと伸ばしていた。
厳格な修道院で清廉に育てられたソフィアにとって、理性を捨て去った異性という存在がこれほどまでに悍ましく、恐ろしいものだとは想像すらしていなかった。
外の暴動の衝撃によるものか、何かの拍子に医務室を守っていた鉄格子が不気味な金属音を立てて外れ、床へと崩落する。
障壁を失ったことで、飢えた狼のような囚人たちが一斉にソフィアへと襲いかかろうとした――その瞬間だった。
ドォンッ!!!
凄まじい風圧とともに、ソフィアの手前にいた囚人たちの身体が、まるで紙風船のように呆気なく弾け飛び、壁の向こうへと肉塊となって叩きつけられた。
「お、こいつは囚人か? にしては、衣服が違うな……」
「……いや、違う。私も見覚えない顔だ。
おそらく中央から派遣されてきた医療関係者だろう」
砂塵の向こうから現れたのは、身の丈ほどもある大剣を担ぎ、その頑強な肩に白髪の老人を乗せた異様な男だった。
その姿を見た瞬間、ソフィアの脳裏に、王宮の最高戦力としておとぎ話のように語られる怪物の名がよぎった。
「あ……、あ、あなたは……第一使徒のカイザー様、でしょうか……!?」
「ん? そうだが? なんだ、俺のファンか?
悪いがサインなら後にしてくれ、今は公務の最中なんだわ」
カイザーは邪魔な死体を蹴り飛ばしながら、退屈そうに鼻を鳴らした。
だが、ソフィアにとってこの邂逅は、地獄の底で蜘蛛の糸を掴んだも同然だった。
彼女は床に膝をついたまま、必死に声を振り絞る。
「お願いです……! 私の、私の父に……連絡を繋げていただけないでしょうか……!?」
それは、ただの雇われ女医のものではない、あまりにも場違いで、そして悲痛な叫びだった。
中央の最高権力者へと繋がる血脈を証明するかのような彼女の必死の懇願に、カイザーの獰猛な瞳が、わずかに細められた。
カイザーは怯えるソフィアを抱え、老人の乗った肩を揺らしながら、血臭の立ち込める医務室を後にした。
歩きながら事情を問い詰めてみれば、この若き女医は中央の「市長の娘」だという。
王宮の犬たる使徒にとって、恩を売る相手としてはこれ以上ない大物だった。
だが、カイザーの胸中には一つの疑問が浮かぶ。
「――で、そんな深窓の令嬢が、なんでまたこんな世界の終わりのような便所の掃き溜めにいるわけだ?」
「……私が、世間知らずでしたから」
ソフィアは青ざめた顔のまま、消え入りそうな声で視線を落とした。
「あー、なるほどな。悪い奴にでも騙されて、気付いたらこんな島に連れてこられてたって口か」
「え、いや……違います。
この監獄島が、これほど凄惨な状況になっているとは夢にも思っておらず……。
ひとえに、私の実力不足、認識の甘さが招いた結果です」
ソフィアは必死に弁明するが、カイザーが眉をひそめる。
彼が本当に知りたかったのは、彼女の就職事情などではない。
なぜ地下のあの「鉄格子の奥」に、まるで囚人のように閉じ込められ、襲われていたのかという具体的な経緯だった。
だが、ソフィアの怯えきった瞳と、どこか噛み合わない対話の違和感に、カイザーは「恐怖で精神のタガが外れかけているのか?」と結論づけ、それ以上の追及を喉の奥に引っ込めた。
これ以上、女の長話に付き合うほど気の長い男ではない。
病んでる女は嫌いだ。
「おい、出口はどっちだ! 爺さん!」
肩の上の老人が、事も無げに指を差す。
「右だ。まっすぐ進めば中央広場を経て港に出る」
「チッ、右だの左だの……あぁ、もうめんどくせぇ!!」
歩くことすら煩わしくなったカイザーは、容赦なく二人を地面へと放り出した。
突然の解放にソフィアが床へ転がるのも構わず、男は背負った大剣の柄に手をかける。
引き抜かれた巨大な刃が、大気を震わせるほどの熱量を帯びて赤黒く励起した。
「――『火炎龍王!!』」
退屈を切り裂くように、無造作に、かつ狂暴にその一振りが振り下ろされる。
瞬間、紅蓮の劫火を纏った凄まじい剣圧が爆発した。
それは強固な監獄の隔壁を紙細工のように消し飛ばし、直線上の建物を文字通り粉砕しながら、遥か先の港へと一直線に突き抜けた。
轟音と共に海さえも真っ二つに割り、そのライン上にいた暴徒たちは、悲鳴をあげる暇すら与えられず、一瞬にして消滅して灰へと変わった。
「よし、道はできた! 行くぞ!!」
煤煙の向こうにぽっかりと開いた、港へと続く「文字通りの直線道路」を満足げに見つめ、カイザーは再び二人を回収する。
その遥か先、港に停泊している軍艦の方向から、
「――ちょっと、バカじゃないのーーーー!!?」
という、凄まじい爆発に巻き込まれかけた同僚の、怒り狂った絶叫が島中に響き渡っていた。




