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モルフィの軌跡  作者: オレノマツ
第一章 監獄島編

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29.反逆通知

監獄島を包囲する絶海の地鳴り――あの特級の非常警報は、ただの身内への危険信号ではない。

発せられた通報は、魔導回線を通じて中央の王宮に仕える最高戦力のもとへ、自動的に、そして即座に伝達されるシステムになっていた。


「……まったく、脱走者だと? どこのどいつだ、こんな夜更けに。面倒なこと極まりない。

 俺たちの優雅な安眠を妨げた罪は、万死に値するぜ」


あくびをしながら頭をポリポリかいたガサツな男が港に兵士と一緒に現れた。


漆黒の夜海が広がる港。

不敵な笑みを浮かべた男が、ゆっくりと軍用高速艇へと足を踏み出した。

その背後には、異様な威圧感を放つ影がさらに二つ。


「王宮の使徒、三人。全員、乗り込んだな?」


「ああ、いつでもいける」


「ええ。というか、リーダー面している貴方が一番遅れてきたのだけどね?」


「気にするな。どうせネズミどもは、あの島の一歩外へすら出られやしない。

 俺をあそこを監獄にしろって命じたのは俺の父親だぜ?

 とりあえず、見せしめを兼ねた『全土制圧』が第一任務だな」


「制圧って……本当に全員大人しくさせられるの?」


「ふん、暴徒どもが何人死のうが、中央にはバレやしないさ。

 ……いや、むしろ全員死体に変えた方が早いか。

 とりあえず、徹底的に叩き潰すぞ」


囚人を護送してきた旧式の大型船とは比べ物にならない、魔導機関の咆哮を上げる漆黒の高速艇。

それはまるで夜海を切り裂く刃のように、凄まじい速度で紅蓮の炎に包まれつつある監獄島へと向かっていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


医療房の窓から這い出たモルフィが目にしたのは、すでに屋外へまで雪崩れ込んでいた囚人たちの狂乱だった。

彼らは武器を掲げ、島からの脱出手段である船を求めて血眼で港へと奔走している。

だが、そんな有象無象の動向などモルフィにはどうでもよかった。


気配を殺し、外壁の突起や屋根を驚異的な身体能力で伝いながら、モルフィは要塞の最深部、ある一人の人物が幽閉されている檻へと肉薄した。


「バロミロ……!」


低く鋭い声に、暗闇の中で鎖を繋がれた老人がゆっくりと顔を上げた。


「……モルフィ。この外の騒ぎは、一体何だ?」


「逃げよう。島全体の鍵を手に入れた。今なら脱獄できるッ!!」


しかし、バロミロは歓喜するどころか、まるでこれ以上ないほど哀しい、憐れみの混じった瞳でモルフィを見つめた。


「……このの暴動はお前の仕業か?」


「ええ……ああ、そうだよ。女医からマスターキーを渡されたんだ」


「手渡された、だと?

  奪ったのではなく、あの小娘が自らお前に……?」


「ああ。なんか看守長に目を付けられて、地下の隔離室に連れて行かれた。

 ……あいつを邪魔扱いしてた看守長なら、さっき俺がレンガで頭を叩き割って殺してやったよ。

 それでもっとすごいマスターキーを……!!」


「ガナンを殺しただと……!? ――莫迦者が!

 だったら、なおのことマズい。最悪の状況だ……!!」


バロミロの顔が、恐怖と焦燥で俄かに強張る。


「何がマズいんだよ!? 看守の指揮系統はバラバラだ、こんな絶好のチャンスは二度とない!」


「愚か者が、大局を見ろ! ここからどうやってこの絶海を渡るというのだ!」


バロミロに一喝され、モルフィは一瞬言葉を詰まらせた。

窓の向こうを見渡せば、そこは荒れ狂う波濤と切り立った断崖絶壁に囲まれた孤島だ。

陸地へ向かう船がなければ、生きて脱出することなど到底不可能な天然の要塞。


「だったら、看守たちの補給船が来るのをここで息を潜めて待てばいいだろう!?」


「違う! 補給船など来ん! その前に、あの怪物どもが来るのだ!」


「何の話だ!!」


「使徒だ!!使徒が来る!!それも上位のな!!」


「……使徒が、来るって言うのか?」


「このけたたましい警報音が鳴り響いた時点で、王宮には自動的に最上級の反逆通知が届いている!!

 そして、この暴動の地を収束させるために、即座にあの戦闘狂どもが派兵されるのだ!

 脱出の手筈も持たずに檻を開けるなど自殺行為に等しい!!

 今のお前たちが、あの使徒どもに勝てるわけがないだろう……!!」


バロミロは吐き捨てるように言った。

その言葉には、ただの憶測ではない、血を吐くような実感がこもっていた。


「……なぁ、なんであんたがそんな王宮の防衛システムを詳しく知っているんだ?」


「私が十数年前――お前と同じように、この島から脱獄しようとして、奴らに完璧に叩き潰されて失敗したからだ!」


モルフィは己の耳を疑った。

目の前の、ただ衰弱しているだけに見えるこの老人が、かつて自分と同じ不敵な野心を抱き、そして敗北した実例そのものだったとは。


「モルフィ。猶予はない。

 私の持てるすべての知識と経験を、今この場でギリギリまでお前に注ぎ込む。

 それと……次に本気で脱獄を試みる際、最大の障害となるその特級魔導手枷から、鍵なしで『自由』になる唯一のコツを教えてやる」


「……鍵なしで外す方法? そんな都合のいい方法があるのか?」


バロミロは深く、昏い目をモルフィに向け、一文字ずつ重く言い放った。


「――己の腕を、切り落とせ」


その言葉は、暗闇の檻の中にずっしりと重く、冷酷に響き渡った。


「お前は悪魔付きだ。傷の治りが異常に早い。

 ……だが、今のお前程度の小細工では、不意を突くことはできても、使徒の目を盗んで秘密裏にこの島を逃げ切ることなど不可能だ。

 ましてや、正面から一対一で戦って勝てるはずもない。

 だから今は、あの外の暴徒どもを肉の盾として使徒にぶつけ、己は一旦息を潜めて次の機会を待て。

 そして、肉体を再生させるための『魔力』を、その身に蓄えるのだ」


「……腕を切り落として、再生させる……。そんな、方法が……。

 だけど、本当にいいのか? こんな全島を巻き込むチャンス、二度とないぞ!」


「この千載一遇の好機は、さっきも言った譲渡に使う。

 ここで話すときはいつも魔力で間接的だったからな

 ――残った我が知識の、完全なる継承だ。

 直接お前の身体に触れられるだけの時間があれば十分。

 使徒の船がこの島に接岸するまで、海の様子を監視しておけ」


バロミロの骨張った手が、鉄格子の隙間からモルフィの額へと力強く押し当てられた。


直後、いつもの比ではない濁流のような膨大な知識、戦術、そして「魔力」の残滓が、モルフィの脳髄へと凄まじい衝撃と共に流れ込んできた。

外の炎の照り返しを受けるモルフィの瞳が、その知識の光を受け、より深く、昏く染まっていく。


バロミロの骨張った指先から、脳髄を直接灼くような膨大な情報が流れ込んでくる。

その凄まじい衝撃の合間を縫って、モルフィは意識を無理やり繋ぎ止め、気になっていた疑問を口に引きずり出した。


「――ちなみに、一つ聞く。ガナン看守長を殺したのは……そんなに不味かったのか?」


バロミロは額に手を当てたまま、忌々しげに、だが冷徹に昏い瞳を細めた。


「……当たり前だ。あの男は根っからの俗物でクズだったが、欲で動く分、こちらとしても非常に『便宜』が図りやすかったのだ。

 あの男が裏金の横領を隠蔽したかったからこそ、私の知識を餌に、お前との密会という不条理な特権を維持できていた。

 もし、中央から生真面目な思想を持つ新任の看守長が派遣されてくれば、二度とこのような真似はできん。

 だからこそ、先を考えずに処理したのは莫迦げた悪手だと、そう言ったのだ」


「そうか……。……すまない、余計なことをした」


モルフィは珍しく、己の短慮を悔いるように素直に謝罪の言葉を口にした。


「いや、いい。終わったことを悔やんでも時間は戻らん。

 ならば、この残された最後の時間で、私のすべてをここに搾り出し、やりきるだけだ」


バロミロの手に、さらに強く魔力の熱が籠る。


「モルフィ。今回の脱獄の不手際を恐れるな。

 次の、本当の脱出の機会にすべてを懸けろ。

 あんな外の暴徒どもが騒ぎ立てている程度の千載一遇など、後から振り返れば『ゴミ屑のような出来事だった』と笑い飛ばせるほどの本物の機会が、お前には必ず次、向こうから舞い込んでくる。

 私がそのための、絶大なる『牙』を今、お前に授けているのだからな」


「……だと、いいんだがな」


脳を侵食していく知識の濁流に耐えながら、モルフィは低く呻いた。


「――それと、もしこの後の混乱の中で少しでも時間が残されているなら、これだけは覚えておけ。

 この呪われた監獄島には、今のお前と私を除いて、あと『三人』の悪魔付きが収監されている」


その言葉に、モルフィの脳裏に、先ほど血の海と化した食堂の片隅で、自分と全く同じ純銀の魔導手枷を嵌められながら、冷徹にこちらを凝視していたあの三人の男たちの異様な眼光が、鮮烈にフラッシュバックした。


あまり意識はなかったがなぜか逃げずにずっと観察していたので嫌でも目に入ったのだ。


「あいつら……やっぱり、そうだったのか。

 ……そいつらを見つけて、俺は何の話を聞けばいい?」


「奴らがその身に宿す、悪魔付きとしての『実戦での戦い方』だ」


バロミロの言葉に、一層の凄みが加わる。


「私が今お前に授けているのは、マフィアの頂点として培った大局的な知識と戦術の理論に過ぎん。

 だが、奴らはそれぞれ、地獄の修羅場を自らの異能だけで生き抜いてきた実戦の化け物どもだ。

 悪魔の力を引き出す感覚、その魔力を肉体に循環させる術……それらの生きた経験を奴らの口から聞き出せ。

 知識として持っているだけで、来るべき使徒との戦いにおいて、お前の生存率は随分と変わるはずだ」


「分かった。……生き残って、何とかそいつら接触してみる」


「よし。――では、継承を続けるぞ。耐えろ、小僧」


そう言い放つと、バロミロは自らの命を削り取るかのように、大陸の裏社会を支配した伝説的な資産――無形なる知略と魔力のすべてを、モルフィの奥深くへと休むことなく譲渡し続けた。

外から響く囚人たちの絶叫と炎の爆音を背景に、怪物の雛が、完全なる覚醒の時をじっと待ち伏せるように。

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