7.不貞を疑われる
カツカツと高い足音を響かせて、こちらへ向かってくるその形相。
鬼気迫ると言った方が正しいその表情は、普段の彼の穏やかさなどどこかへ捨ててきたみたいだった。
「ハ、ハスアン……」
ガシッ、と強く手首を掴まれた。
「……っ、痛っ」
「何を、しているんだ」
「ハスアン、痛いわ」
「ここで、この男と二人で、何をしていたんだっ」
慌てたようにこちらへ向かってこようとする店員に、首を振ってみせた。
騒がせてしまって申し訳ないわ。
どうしたら、落ち着いてくれるかしら。
「ハスアン、お店にご迷惑よ。ちゃんと話を聞いて」
「君は黙ってろっ!」
手首を掴んだまま、ハスアンの瞳はダレストン先生に向けられている。
今にも射殺しそうな視線だった。
「貴様、彼女は僕の恋人だと言ったはずだっ。何故こんなところで、二人きりでいたんだっ!」
対するダレストン先生は、口元に笑みを浮かべたままゆったりと長い脚を組み替えた。
「聞いているのかっ」
「あぁ、聞いている。だが、随分と視野が狭いんだな?」
「何を……っ」
「あらぁ?サラジ先生?どうかされまして?」
軽やかな足音を響かせて、フェンヤ先生が戻ってきた。
先ほどよりも、少し頬の赤みが引いているように見える。
勢いよく振り返ったハスアンが、焦げ茶の瞳を見開いた。
「あ……フェンヤ、先生……?」
まだ少しふらついているようなフェンヤ先生を支えようと、ハスアンに掴まれていた手を振り払った。
「……っ!」
「フェンヤ先生、大丈夫ですか?」
「少し、飲み過ぎたのかしら。楽しい時間はあっという間ね。そろそろ、甘い物をいただいて帰りましょうか」
フェンヤ先生の腕に手を添えて、椅子に座るのを助ける。
「それで、サラジ先生はどうしてここにいらっしゃるの?」
ハスアンが何か答えようとする前に、低い笑い声が向かいから聞こえた。
「ダレストン先生?」
「ククッ。……あぁ、いや失礼。サラジ先生は、可愛らしい恋人が心配でたまらないようですよ。跡でも尾けていたんですか」
「な……!」
ダレストン先生の言葉に、ハスアンの顔が真っ赤に染まった。
え、本当に跡を尾けてきたの?
さっき窓の外に見えた人影は、やっぱりハスアン――?
寒くなったような気がして、腕をさする。
何も言えなくなったわたしをじっと見つめた後、ダレストン先生が立ち上がった。
「さて。私は甘味は結構です。フェンヤ先生、支払いを済ませてきますよ。その後、家までお送りしましょう」
「あら、今日は貴方がたの着任祝いですのよ。あたくしが払いますわ」
「それは、いずれまた。私に格好をつけさせてくださいよ」
フェンヤ先生に片目を瞑ってみせて、ダレストン先生がわたしの横を通り抜ける。
ふわっと、甘い花の香りが漂った。
『また今度な』
頭の中に響くような低音に、肩が跳ねた。何、今の――。
「ナスティディア?」
ぐいっと腕を引かれて視線を上げる。
「ぁ……」
わたしを見下ろす、焦げ茶色が暗く淀んでいた。
「ハスアン……」
「その、悪かった」
「えっ?」
「フェンヤ先生が一緒にいたんだな。てっきり、あの男と二人きりで不貞を働いていたのかと……」
決まり悪そうに言うハスアンは、いつもと変わらない穏やかさを取り戻しているように見えた。
あれほど激昂して、しかも不貞と決めつけていたなんて、彼らしくなかった。どうしてだったのかしら。
ハスアンの瞳を見つめ返して、首を振る。
「いいえ。わたしも、貴方に黙って外に食事に出たから。ごめんなさい」
「けど、次からは必ず僕に言ってくれ。君は世間知らずなんだから、騙されたりしないように僕が守る」
「……」
「ナスティー、返事は?」
わたしを「ナスティー」と呼ぶ時は、彼が自分の意思を押し通したい時だ。
ここで拒否すれば、ハスアンの機嫌は最悪に急降下する。
これまでの付き合いでそれがわかっていたわたしは、小さく頷いた。
「……わかったわ、ハスアン」
そう答えると、安心したように笑ってハスアンがわたしの体を抱きしめた。
人前ではやめてと、あれほど言っているのに――。




