78.進む準備
招待状を書き終えた。
それほど知り合いの多くないわたしが招待するのは、学院での同僚たちがほとんどとなる。
それと、故郷で実家の管理をしてくれている、遠縁のコルンの小父様には知らせだけを出した。
夏の長期休暇で逃げるように彼の前から帰ってしまって、実家についての手続き以外で連絡を取っていなかったけれど、丁寧な祝福の返信をいただいた。
母と暮らしたあの家も、無事に譲渡を終えて町の管理下に置かれている。
ふ、と息を吐いて窓の外を見る。どんよりと曇って、今にも雪が降りだしそうだった。
セレーヌが、暖炉の火に薪を足してくれた。
カリファーのお屋敷の、談話室。今夜は泊まっていく予定だった。
淹れてもらった温かいお茶で、体を温める。
後ろからそっと抱きつかれた。
「招待状の準備は終えたか?」
柔らかい声が頭上から降ってくる。微笑んで頷いた。
「ええ。後は、長期休暇が明けたら配達屋さんにお願いするだけね」
年が明けて春になれば、カリファーとの結婚式が行われる。
貴族の令嬢たちは、花嫁衣装を実家で準備できる。代々受け継がれてきたものや、嫁ぐ祝いに両親から贈られたりする。結婚相手である婚約者の家から贈られることもあった。
平民の子女でも、裕福な商家の娘たちは貴族令嬢と同じように準備できる。
けれど、わたしのように親もいない財力もない平民では、何とか自分で稼いだお金で衣装を用意するのがこの国では主流だった。平民同士の結婚の場合は、衣装はそれぞれで準備するものだと思っていた。
けれど、それにカリファーが苦い顔をしたのだ。
『花嫁衣装を贈る甲斐性が、俺にないとでも?』
そんなつもりはなかったのに、拗ねた口調が可愛くて笑ってしまったわ。
貴族ではないカリファーに、負担なんてかけたくないのに。
学院の給金だけでは、足りないのではないかしら。
腕の中から、彼の顔を見上げる。
「どうした?」
「いえ……」
聞くのは失礼よね。どうやって、花嫁衣装のお金を捻出したんですか、なんて。
「花嫁衣装か?」
「っ!」
どうしてわかるのかしら。思わず頬に手を当てる。
「顔に、出てた?」
「まあ、お前の考えていることは大体わかる」
「何だか悔しいわ」
クツクツ笑いながら、腕の拘束を解いてくれたカリファーが隣に座った。
長い脚を組んだ彼の黄金色が、わたしを見つめる。
「この国に入る前に、領地を一つ、手に入れてある」
「領地?」
「代官を置いて、税収だけが入るようにしてあるんだ。それで、この屋敷も維持している」
それって、結局貴族なのではないかしら。
「あー……正規の手続きで手に入れたわけではないからな」
決まり悪そうに頬を掻くカリファーが、不安そうな顔でわたしを見る。
「生真面目なリリンカ先生には、許せないかな?」
「っ、やめて、笑わせないで」
きっと、わたしにはわからない不思議な力を使ったのよね。
「その、代官って?」
「眷属の一人だな。まぁ、色々誤魔化しているから、この国の貴族というわけではない」
「誤魔化して……」
「その内、マドゥーの手を借りて、正式な身分を手に入れてもいい」
ぐいっと引き寄せられて、彼の腕の中に収まった。頭のてっぺんに、彼の頬が乗せられる。
「この先、お前に不自由などさせない」
「カリファー」
「お前は、贅沢など望まないだろう?だが、妻をいつも美しく飾っておきたいのは、男の性だ」
そんなことを言われてしまったら、恥ずかしくて顔が上げられないわ。
「花嫁衣装は、アスナ先生に教えてもらった店で仕立てている。王族も羨むほどのものが出来上がるだろう」
「何だか、怖いわ」
耳にそっと手をやった。シャラン、と耳飾りが音を立てる。
「これを貰っただけでも、十分だったのに」
「それは、婚約の証であり、お前の守りとなるものだからな。着飾るものとはまた、別だ」
そういうものなのかしら。
夜の王だったカリファーの血を垂らした、不思議な耳飾り。そんな機会はこれまでなかったけれど、もしわたしの身に何か危険が迫ったなら、眷属が飛んで来ると説明された。
本当は、カリファー自身が駆けつけるつもりだったみたいだけど、影を渡れなくなった今の彼には不可能になったから。
「それと、あの子どもだが」
「えっ?」
耳飾りから手を離して、カリファーを見つめる。
「あの短剣は、護身用にと親から持たされていたらしい」
カリファーに深い傷をつけた、子爵令息の銀の短剣。
そう言えば、セレーヌたちがどこかへ隠したと言っていたわ。
「かつて同胞たちが多くいた頃には、人と敵対する時代もあった。脆弱な人間たちが、俺たちに対抗する為に作り出した銀製の武具の名残りが、巡り巡ってあの子どもの子爵家に流れたらしい」
「そんなことが……」
ふっと息を吐き出して、カリファーがわたしのつむじに唇を落とした。
「もう油断などしないが。あの短剣は杭とは別の場所に秘匿しておく」
カリファーには脅威でなくなったとしても、このお屋敷にはまだ、彼の眷属たちが仕えている。
隠していてもらえるなら、その方がいい。腕の中で小さく頷いた。
長く深い口づけを交わし、見つめ合う。
カリファーの黄金色の瞳に熱が籠って、胸が高鳴った。
「長期休暇が明ければ、春はすぐそこだ」
「ええ」
「それなのに、こうして離れがたくなるのは、何故だろうな」
抱き込まれ、彼の鼓動と体温を感じる。
「いつまでも、触れていたい。俺は、随分欲張りになったようだ」
「……わたしもよ」
そうして夜に溶けるように、人としての時間を朝まで過ごした。




