76.これからのこと
寝室に運ばれた朝食を、ゆっくりと咀嚼しているカリファーを見つめる。
朝に食べるところを見るのは初めてだわ。とても新鮮。
給仕してくれているセレーヌも、扉側で控えるレストも、黙って彼らの主を見つめている。
「……手が止まっているぞ」
ふと零された言葉に我に返った。
「あ……」
「俺が食べているところを見るのは、面白いか?」
「ごめんなさい。これまで、朝に貴方が食事をしているところを見たことがなかったから」
慌てて食事を再開する。
「気分はどう?」
「そうだな。まだ、不思議な感覚だ」
水を一口飲んで、カリファーが息を吐き出した。
「腹が減ったことにも驚いたが。もう、蝶も出せない」
手の平を上に向けて、カリファーがじっと見つめている。
「それに……」
「それに?」
「月光の影を渡って、教員寮のディアの部屋に忍び込むことができなくなった」
「っ、ごほっ」
何を言い出すのよ。咽せて水の杯を手に取った。
「そっ、それは……本当はしてはいけないことでしょう?」
「残念だな」
クツクツと笑いながら、カリファーが朝食をすべて食べ終えた。
お腹が満たされて、寝台の側の長椅子に並んで座る。
繋いだ手から、カリファーの温かい熱が伝わってくる。
「さて。これからのことだが」
「学院には、これまで通りに?」
生殖学の臨時講師、ダレストン先生として、通うのかしら。
「ディアがいるのに、俺が学院を去ることはない」
「学院長先生には?」
眷属の、末裔だと言っていた。話すのかしら。
「俺の変容は、奴には察知できないだろう。だが、お前と婚約したことは知っているからな。話しておいて、今後も役に立ってもらった方がいいだろう」
「貴方が王でなくなったと知っても、従ってくださるかしら」
「あいつは、すでに只人と変わりないと伝えたろう?俺に対して、反抗などできん」
セレーヌが注いでくれた果実水で、喉を潤す。
「それと、あの子どもだな」
「子ども?」
「忌々しい、銀の短剣など隠し持っていた、子どもだ」
「ああ……」
カリファーとの決闘で負けて、背後から短剣を突き刺した卑怯な子爵令息ね。
「そう言えば、彼はあの後どうなったの?」
「捕らえてあります」
淡々と告げられて目を剥いた。
振り返ると、セレーヌが表情を変えないままで立っている。
「捕らえて?」
「我らが主に傷をつけた者など、許しは致しません」
「それは……」
静かな怒りが伝わってくる。けれど、カリファーがこれから人として生きるのなら、あまり過激なことはさせられない。
「セレ……」
「処分は任せる。だが、人の世界には返してやれ」
わたしの言葉を遮ったカリファーに、セレーヌだけでなくレストまで目を見開いた。
「ですが、ご主人様」
「いいな?」
有無を言わせないカリファーの雰囲気に、セレーヌが不承不承といった様子で頷いた。
「……まぁ、洗脳してしまえばよいですわよね」
「セレーヌ?何と言ったの?」
呟きを聞き取れなくて尋ねたわたしの顎に、カリファーの長い指が伸びてきた。そっと、彼の方を向かされる。
深い口づけが降ってきて、息が上手くできない。
ようやく唇を離されて、彼の胸に顔を埋めた。
「……恥ずかしいわ」
「セレーヌたちは使用人だ。慣れろ」
「努力、するわ」
カリファーはこの国の貴族ではないけれど、使用人のいるお屋敷で暮らすことになるのなら、確かに慣れなくてはね。
……えっ、わたし今、何を考えたの?
「いつ結婚しようか」
わたしの内心を読んだように、カリファーが甘く囁いた。
「カ、カリファー?」
「婚約だけでは足りない。お前と、一刻も離れたくない」
じわじわと頬に熱が集まる。彼の言葉の意味が、胸の内に浸透してくるみたいだった。
「じゅ、準備が色々と、あるのよっ」
苦し紛れの言葉に、カリファーが吹き出した。
「俺も、あまり詳しくないからな。レストに調べさせるが。俺もお前も成人済みの大人だろう?いつ結婚しても、自由なはずだが」
それはそうなんだけど。
「ら、来年っ!」
「来年?」
「結婚式を挙げる神殿に予約をして、花嫁衣装の準備や、招待客への案内や……やることはいっぱいあるのよ」
具体的な話をすると、急に彼との未来が現実味を帯びてきたような気がする。
「では、それまでは甘い婚約期間を過ごせるということか?」
「今でも十分甘いと思うのだけど」
「ククッ。お前には、いくらでも甘くなれる」
そう言って、カリファーが再び口づけてきた。
「式は来年。そうだな……俺たちが出会った記念に、春がいいだろう。満開の花の下、陽光に照らされたお前の花嫁姿を拝みたい」
「……ええ」
それだけ答えるのがやっとだった。




