73.短剣を抜く
カリファーの寝室に入る。
寝台の脇にレストが控え、その隣にセレーヌが戻って来ていた。胸に黒い箱のような物を抱えている。
ゆっくり、近づく。
二人がわたしに向かって、深く頭を下げた。
「セレーヌ、それが……?」
声が震える。情けないわ。
寝台脇の小卓にセレーヌが箱をそっと置いた。白い指が、慎重に蓋を開ける。
元は白だっただろう、赤く滲んだ物で汚れた布がぐるぐると巻きつけられていた。
「申し訳、ございません。これ以上は、触れません」
謝るセレーヌに首を振って、ゆっくりと布を剥がしてみた。
「っ!」
幾重にも巻かれていた布の中から、室内の明かりを受けて輝く銀色の杭が現れた。
わたしの両手で持ち上げられそうな大きさの、先の尖った物だった。
「主は今、意識を失っておられます」
静かに告げられたレストの言葉に、寝台を振り返る。
「では……どうやって、飲んでもらえばいいのかしら」
わたしの血を与えながら、短剣を抜き、この杭を突き刺さねばならないはず。
「少々痛むかもしれませんが、こちらを」
レストが、いつもカリファーが赤酒を飲む時に使っている杯を差し出してきた。
「……?」
横から、セレーヌがそっとわたしの手首を掴む。その手には、果物用の小刀が握られていた。
「セレーヌ?」
「こちらで、御身に傷をつけますこと、お許しくださいませ」
「傷?」
苦悩の表情を浮かべるセレーヌをじっと見ていると、小刀をわたしの手首に当ててきた。
「切るの?」
「は、い……その、主に与えるだけの血をいただきたく」
そんなに申し訳なさそうな顔をしなくてもいいのに。彼女たちは、きっとわたしが意識を失うほどの血は取らないと信じている。
「お願いするわ」
「っ!」
あっさり頷いたわたしに一瞬目を丸くして、セレーヌが肌を切り裂いた。
ポタリ、と垂れる赤い血をレストが杯で受ける。
焼けつくような痛みを手首に感じるけれど、彼らの手が止まってしまうのは避けたかった。気づかれないように、奥歯を噛みしめる。
「必要な分を、必要なだけ取ってちょうだい」
「それでは、お体にご負担が……」
「あとで十分、治療して休ませてくれるでしょう?カリファーの為に必要なら、いくらでもあげるから」
杯に溜まっていく自分の血を、不思議な気分で眺める。
もう、カリファーに血を飲んでもらうのは最後になるかもしれない。
首筋に牙を立ててもらえなくなるのは、寂しいような気がしてきた。
「これで、十分でございます」
セレーヌが、手首に清潔な布を当てて包帯を巻いてくれた。
「ありがとう」
血の匂いに反応したのか、カリファーが小さく呻いた。
慌てて寝台に乗り上げる。
そっと、カリファーの額を撫でる。汗で髪が張りついてしまっていた。
レストが側に血を注いだ杯を置いてくれた。
「私どもは、扉外に控えております」
「どうか、主をよろしくお願い致します。何かあれば、すぐにお呼びください」
そう言って、二人が出ていく。
そうよね。さすがに、見られるのは恥ずかしすぎて耐えられそうにないわ。
杯から一口、赤い血を含む。鉄の味が広がって気持ち悪い。
そのまま、カリファーの唇に自分の唇を重ねた。薄く開いた唇から、少し垂れてしまったけれど。
こくり、とカリファーの喉が鳴った。あぁ、飲んでくれたわ。
耳元に唇を寄せる。
「カリファー。今から貴方と肌を合わせるわ。意識のない貴方を襲う、はしたないわたしを許してね」
何も身に着けていないカリファーの肌に、口づける。
緊張して、心臓が口から飛び出してきそうだった。でも、誰にも見られていないのだから、いくらでも大胆になれる。
枕元に純銀の杭を引き寄せる。……重たいわね。
すぐ側に置いておきたいけど、カリファーに近づけすぎない方がいいかしら。
まずは、短剣を抜かないと。もう一口、カリファーに血を飲ませながら短剣の柄に手を掛けた。
深く突き刺さる刃の周りを、止血の為の布が覆っていた。ぐっ、と手に力を込める。
注意深く見ていたカリファーの喉が動いたのと同時に、銀の短剣を引き抜いた。
溢れてくる血を、止血の布で押さえながらカリファーの様子を見る。
少し呼吸が荒いけれど、灰になる気配はない。ほーっと、深く息を吐き出した。
なかなか止まらない出血に胸が苦しくなってきたけど、動揺している場合ではないわ。
止血の布をきつく巻き直して、傷とは反対側からカリファーの体の上に乗った。脱いだ夜着を床に落とす。
身動いだカリファーの肌に、そっと触れた。上から順に、口づける。
わたしでは、上手くできなくて彼に痛みを与えてしまうかもしれない。それでも。
闇に包まれた寝台の上、わたしは彼と一つに溶け合った――。




