66.隠される
アスナ先生が保健室から教員室へと戻って来た。カリファーの姿はない。
午前の授業を終えていたわたしは、フェンヤ先生と生徒たちの成績表を作成しているところだった。
「……疲れましたぁ」
心の底から言っているような声を漏らして、アスナ先生がわたしの隣に腰を下ろした。
彼女の席はカリファーと挟んで反対側だった。
向かいのフェンヤ先生がチラリと視線を向ける。
「ダレストン先生はどうなさったの?」
「何かぁ、ホジャ先生にぃ、学院長先生への連絡を任せるってぇ。令嬢についていようとしたあたしにぃ、リリンカ先生の側にいてあげてほしいって言われたんですぅ」
「では、ダレストン先生は今、あの令嬢と二人きり……?」
フェンヤ先生の言葉に、思わず立ち上がりかける。
慌てたようにアスナ先生が両手を胸の前で振った。
「いえいえぇ!デュロー伯爵令嬢にはぁ、お家の侍女がついてましたからぁ。ダレストン先生とぉ、二人きりじゃないですってぇ」
「あ、ああ。侍女がいたんですね」
それはそうよね。貴族のご令嬢が、謹慎中に一人で出歩けるはずはない。
「でも、どうやって家を抜け出してきたのかしら」
「うーん。あの侍女の態度から察するにぃ、無理矢理言うことを聞かせたみたいですねぇ」
「無理矢理?」
首を傾げていると、アスナ先生が声を潜めた。
「あの侍女はぁ、身分が低いって感じでしたからぁ。ご令嬢に弱みを握られてぇ、無茶な命令に従わされてるって感じぃ?」
「……」
傲慢そうな表情を思い出した。あの伯爵令嬢は、自分の願いはすべて叶うとでも思っているのかしら。
フェンヤ先生が溜息を漏らした。
「デュロー伯爵は立派な方だと聞いていますのに。遅くにできた子だからと、甘やかしたのかしら」
「元々の気質じゃないですかぁ。どんな人格者の親からでもぉ、非道な子どもは生まれますぅ」
アスナ先生らしくない冷淡な物言いに、少しだけ寒くなった。
平民出のアスナ先生も、これまで貴族の生徒たちに苦労させられた経験があるのかもしれない。
「ダレストン先生はぁ、きちんと説得してわかってもらうって言ってましたけどぉ。あのご令嬢の態度ではぁ、難しいんじゃないかしらぁ」
カリファーが、わからせる……。
どんな説得をするのか知りたいような、聞きたくないような……。
ぶんぶんと頭を振って、気持ちを切り替える。
「とにかく、お疲れ様でした、アスナ先生。あとは、デュロー伯爵家からの迎えを待つだけのようですし、仕事に集中しましょう?」
「リリンカ先生の言う通りね。武術大会も近いことだし、アスナ先生も忙しいでしょう?」
「はぁい」
そこで、この話は終わりになった。
カリファーが学院長に、どんな交渉を――いえ、命令を下しているのかなんて、わたしが知ることはなかった。
放課後になって教員室に戻ってきたカリファーが、わたしに手を差し出した。
「遅くなりました。寮まで送りましょう」
隣のアスナ先生が、楽しそうに目を細めた。恥ずかしい。
「あ、ありがとうございます」
そっと体を引っ張り上げられ、荷物を手に取る。
「アスナ先生、お先に失礼致します」
「はぁい、お疲れ様でしたぁ」
「では、アスナ先生。お先に失礼します」
カリファーにも挨拶を返したアスナ先生に頭を下げて、教員室を出る。
「食事をして帰るか?」
「そう、ね……いえ、やめておくわ」
夕日の差し始めた道をゆっくりと歩きながら、首を振った。
「何故?」
「今夜、一緒に過ごしたら。貴方を問い詰めてしまいそうだから」
カリファーが、わたしの為に隠していることを、彼から話される前に暴きたくはなかった。
「貴方はいつも、わたしの為に動く。その貴方が話さないことを、無理に聞きたくないわ」
「……ディア」
「本当は、とても知りたいけど。でも、貴方はわたしが怖がると思っているでしょう?だから、まだ聞かないわ」
ぐいっと引き寄せられた。
「カリファー!?」
肩を抱かれ、顎を掴んで上を向かされる。
「どうしたの?」
こちらを見下ろす黄金色に、夕日が反射してとても綺麗だわ。
「お前の憂いなど、俺がすべて取り除く」
「憂い?」
「あの男も、あの小娘も。お前の前には二度と姿を現させない」
えーっと……。
小娘は伯爵令嬢よね。あの男って?サラジ先生のことかしら。
つい首を傾げてしまったわたしに小さく笑って、カリファーが体を離してくれた。
「すまない。ディアは人前で抱き寄せられることなど、嫌っていたな。こんな往来で触れてしまって悪かった」
言われて周りを見回す。
人影なんてないけれど、教員寮までの帰り道では誰に見られるかわからない。でも――。
「貴方になら、触れられたいと思うわたしは、おかしくなってしまったのかしら」
「っ!」
がっくりと、カリファーがその場で膝から崩れ落ちた。




