65.騒ぐ伯爵令嬢
どんなに眠れない夜を迎えても、朝は必ずやって来る。
窓の覆い布の隙間から差し込む朝日の光に、目を細めて覚醒した。
昨夜はなかなか寝つけなかった。結局、マドゥー学院長との関係のことしか聞けなかった。
それ以上に衝撃的な話をされて、脳が考えることを放棄したみたい。
ゆっくりと身を起こした。
軽く頭を振って寝台から立ち上がる。
水で喉を潤して、窓を開ける。両手でパンッと頬を叩いて気合を入れた。
着替えて朝食を済ませたわたしは、いつも通りに学院へ到着した。
門前が何だか騒がしい。何かあったのかしら。
人だかりができている方へ足を向けると、アスナ先生がこちらに気づいて片手を上げてきた。
「あっ、リリンカ先生ぇ。おはようございますぅ」
「おはようございます、アスナ先生。何かあったんですか?」
「それがぁ……正門前で騒いでいる令嬢がいるみたいなんですぅ」
「令嬢?」
首を傾げて、皆が見ている方へ視線を向ける。
金切り声が聞こえてきた。
「――ですからっ。ダレストン先生に会わせてくださいませ!わたくしが謹慎だなんて、何かの間違いですわっ!」
あぁ、聞き覚えがあるわね。頭を抱えたくなった。朝から、何を騒いでいるのかしら。
「……メルリー=デュロー伯爵令嬢ね」
「謹慎中のぉ?」
姿を見たことがなかったのか、アスナ先生が眉を寄せて騒いでいる令嬢に視線を投げた。
「……お貴族様とは思えない、醜態ですね」
冷ややかな声に驚いた。
いつも語尾を伸ばして楽しそうに話すアスナ先生の、こんな口調は初めて聞いた。
「何の騒ぎです?」
背中から愛おしい声が聞こえた。怪訝そうな響きに、苦笑が浮かぶ。
振り返ってカリファーに微笑みかけた。
「おはようございます、ダレストン先生」
「ああ。おはようございます、リリンカ先生。アスナ先生も」
「おはようございますぅ」
カリファーの視線も、騒ぎの中心に向けられた。そして、思いきり眉が顰められる。
「あれは……」
「ダレストン先生はぁ、顔を見せない方がいいかもですぅ」
「何故?」
カリファーの問いに、甲高い声が重なる。
「早くどなたかっ、ダレストン先生を連れて来てくださいませっ!」
「……成程」
人だかりが大きくなってくる。高等学院の敷地内に入る為には、伯爵令嬢が騒いでいる横を通り抜けなければならない。正門の中央で騒いでいるから、誰も近づきたくないのね。
教職員や生徒たちが困惑したような表情を浮かべる中、カリファーが小さく笑って足を踏み出した。
「カ、カリファー……」
思わず名前を呼んでしまったわたしに、カリファーが安心させるような笑みを向けた。
「片づけてくるから」
「えっ?」
心配いらないというように片目を瞑って、カリファーはゆったりと進んでいった。
カリファーの姿に気づいた伯爵令嬢の顔が、喜色を浮かべた。
次の瞬間、真っ青になって気を失ったように見えた。ざわり、と周囲の空気が揺れる。
「あぁ、大変ですね。気絶されたようです。保健室に運びますので、どなたか手伝っていただけますか?」
穏やかな声で告げられた言葉に、少し躊躇いながらホジャ先生が近づいていった。
「だ、大丈夫ですか!?」
声の大きいホジャ先生が、それでも気を失った令嬢に配慮するように精一杯声を潜めている。
「保健室の寝台に寝かせて、学院長に報告しましょう。お家からの迎えをお願いしないと」
「な、成程!わかりました!」
大柄なホジャ先生が、軽々と伯爵令嬢を抱え上げた。
カリファーが彼女に触れなくてホッとしているわたしは、心が狭いのかしら。
「さあ、皆さん。始業に遅れてしまいますよ」
見ていた人たちを落ち着かせるようなカリファーの声で、その場の皆がそれぞれ動き始めた。
わたしも足を踏み出しかけて、カリファーと視線がぶつかる。
『心配するな。きちんと処理する』
慌てて耳を押さえた。いえ、耳に聞こえた声ではなかったのだけど。
処理って何かしら。物騒なことを考えていなければいいのだけど。
わたしも、随分カリファーに毒されてしまったのかしら。
軽く頭を振って教員室を目指した。




