58.前世
ぎゅっと大きな腕の中に抱き込まれて、震えが少しずつ治まってくる。
何も言わないカリファーに、どう思われたかしら。
怖い夢を見て泣いていたなんて、恥ずかしいわ。
「カリファー、もう大丈夫よ」
ぽんぽんと腕を叩いて離してもらおうとしたけれど、彼の力がますます強くなった。
「カリファー?」
「……俺を、置いていくな」
「えっ?」
さっきまでわたしが震えていたのに、今はカリファーの方が何かを怖がっているみたい。
「カリファー?」
「二度とっ、俺を置いていくなっ!」
空気を震わせるほどの叫びだった。
でも、待って。どういう意味?
「何を、言っているの」
それは、あの夢の「わたし」の話なの?
「カリファー。貴方は、誰を、見ているの?」
呟いてしまった言葉にハッとしたように、カリファーの腕の拘束が緩んだ。
そっと、彼の顔を見上げる。黄金色が切なそうに揺れていた。
「お願い、教えて。貴方は、本当にわたしを……愛しているの?」
「ディア?」
「貴方が愛しているのは、わたし?それとも……リーディア?」
「っ!!」
聞きたくなかったのに。彼の瞳を見つめている内に口走っていた。
苦しそうな表情を見て後悔が浮かぶ。零れた言葉はもう戻らないのに。
「何故、その名を……」
カリファーが声を震わせるところなんて初めて見た。
それだけ、リーディアというのは特別な存在なの?
「ディア……ナスティディア。何故知っている?」
彼にリーディアと呼ばれなくてホッとした。わたし、冷静ではないのね。
「……夢を、見たわ」
「夢?」
「これまでにも、何度か見たことはあったの。でも、今夜は……」
いつも、空から見下ろすだけだった。
カリファーの顔も、彼女の表情もよく見えなかった。けれどさっきの夢は違った。
まるで、夢の中の彼女にわたし自身が吸い込まれたみたいだった。
「貴方と触れ合う彼女を見るのが、我慢できなかった。彼女を見つめる貴方の瞳も、耐えられなかった」
「……ディア」
「あれは、わたしなの?わたしと、貴方?」
床に胡座をかいたカリファーの足の間に、そっと座らされた。
ぎゅっと背中から抱き込まれる。
「カリファー?」
「今のお前には、話すつもりはなかった」
「えっ?」
肩に優しい重みがかかった。カリファーの額から、熱が伝わってくる。
「これまでと違って、お前は思い出していないようだったから」
「……?」
「すり減ったお前の魂に、これ以上負担をかけたくなかった」
どういう意味かしら。
ふう、と息を吐いてカリファーが続ける。
「俺の為に、お前は何度も生まれ変わってきた」
「っ!」
「いつもは、記憶を引き継いでいたんだが」
ちゅ、とこめかみに彼の唇が触れた。
「だが、思い出さないならそのままでも構わなかった。俺が惹かれたのは、今世のナスティディアだから」
「……本当に?」
わたしであってわたしでない彼女を、ずっと愛しているんでしょう?
言葉にできない想いを感じ取ったのか、カリファーがさらに頬に口づけてきた。
「お前の魂を愛しているのは事実だ。だが、よく聞いてくれ」
「……」
「お前は、何度も生まれ変わって俺の側にいたが。肌を合わせたいと思えたのは、今世のお前が初めてなんだ」
「え……っ?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
彼が愛しているのがわたし自身ではないことが怖かった。今のわたしでなくとも、その魂ならば愛せるということでしょう?
「誰かと体を繋げるなど、生まれて初めての経験だった。永遠のような時を生きる、この俺が」
「それ、は……」
ぐるん、と彼の方へ体を向けられる。
黄金色が闇の中で揺れていた。
「前世のお前は前世のお前。今世のお前は、今世のナスティディアだけだ」
「……っ」
「今、お前の目の前にいる俺が愛しているのは、ナスティディア=リリンカだけだ。それでは、不満か?」
そんな言い方、ズルい――。
もう、こんなに、貴方から離れられなくなっているのに。
結局また、涙が頬を伝う。優しく、彼の指が拭ってくれた。
「わたし、は……思い出した方が、いいのかしら」
「前世を、か?」
小さく頷いた。わたしが思い出せないことで、カリファーを不安にさせているのなら嫌だった。
「どちらでも構わない」
「えっ?」
「過去の記憶があろうとなかろうと、ここに今ディアがいることに変わりはない。すべてをかけて愛すると誓ったろう?」
「カリファー」
堪えきれずに、彼の大きな体を抱きしめた。




