54.婚約者
静寂が流れる。
彼の息遣いを、安心する腕の中で感じる。
長い告白を、それでも聞き終えて胸に過ったのは、カリファーが孤独だったのではないかということだ。
何を守る為だったのかはわからないけれど、彼は守るべきものを失ったということ。
そうして故郷を捨てて、はるばるこの国までやって来た。
腕の中から彼の顔を見上げる。
「俺が、怖いか?」
いつも聞いてくれる。わたしが選ぶのを、待っていてくれる。
どうしてそんなに優しいのかしら。
「わたしは、貴方を理解できないことが怖い。だから、話してくれて嬉しいわ」
柔らかい唇が降ってきた。
額に、こめかみに、頬に――。
そしてそっと、唇に熱が触れた。
カリファーの顔を見つめていると、ふっと笑い声が漏れた。
「さて。名残惜しいが、そろそろ送って行かないとな」
「カリファー?」
「明日からまた学院だろう、リリンカ先生?」
からかうような呼び方に、頬を膨らませてしまった。
重たくなってしまった空気を変える為だとは、わかっている。でも、何だか急に子ども扱いされたような気分だわ。
くすくすと笑いながらわたしの頬を指で突くカリファーの首に、両腕を回してしがみついた。
「ディア!?」
戸惑うような雰囲気の彼の肌に、そっと歯を立ててみた。
「っ!」
ダメね。カリファーのような牙がないわたしでは、上手く噛みつけない。
そもそも、わたしは血を飲んだりしないのだから、あまり意味がないかしら。
そんなことを考えていると、深い溜息が聞こえた。怒らせたのかしら。
「カリファー?」
ぐいっと体を引き上げられて、彼の膝の上に座らされた。
首筋をそっと、指でなぞられる。
「カ、カリファー」
「悪戯とは、感心しないな」
そうして、白い牙の感触を感じた。
「今日は我慢してやろうと思ったんだが。お前が悪い」
じんわりと頭の奥が痺れてきた。
こくり、とカリファーの喉が鳴る。唇が離れていき、吐息が漏れた。
「まったく。今日は本当にこれで終わりだ。吸い過ぎれば、お前の体を損なう」
カリファーの膝の上から下ろされ、隣に座らされる。
「明日は、学院長に報告に行く」
「報告?」
まだぼんやりとしていたわたしは、彼の次の言葉で一気に意識がはっきりした。
「お前と婚約したと、報告する」
「っ!」
それは、わたしたちの関係を公に知らせるということだ。
アスナ先生にからかわれる未来しか思い描けない。
「学院の教師たちにも、生徒たちにも。お前は俺の女だと、周知しないとな」
「は、恥ずかしいわね」
「嫌か?」
不安そうな顔で尋ねられて吹き出した。
「いいえ、嬉しいわ」
「人の世の定めはよくわからんが。これからもお前の隣にいる為には、必要なことだろう?」
国外の貴族だと思われているカリファーと、平民の臨時講師のわたし。
釣り合わないと言い出す人がきっといる。
でも、彼を選んで、彼に選ばれたわたしなら大丈夫よね。
「では、明日から婚約者として、よろしくお願いしますわ」
カリファーの長い指が、するりとわたしの髪を撫でた。
「こちらこそ。……ディア、愛している」
「っ!」
不意打ちは、よくないと思うわ。
カリファーと手を繋いで、教員寮までの道を歩く。
穏やかな昼下がり。ふと気になって、隣のカリファーを見上げた。
「どうした?」
「貴方は、陽の光が苦手ではないの?」
故郷への旅をした時に、セレーヌがそう言っていた。
過去の話をしてくれたカリファーも、陽光を避け、と言っていたわ。
「……好きではない」
「では、今の貴方は無理をしているの?」
わたしを送り届ける為だけなら、そんな無理をしてほしくなかった。
「昨夜も今朝も、お前に血を貰ったからな。夜と同じようにとはいかないが、平気だ」
「そういうものなの?」
彼と同じ存在ではないわたしには、やはりよくわからなかった。
「無理はしていない。だから、そんな顔をするな」
どんな顔をしていたのかしら、わたし。
寮の建物が見えてきた。もうすぐ、今日はお別れだと思うと寂しいわ。
「明日から、朝は迎えに来ようか?」
婚約者と一緒に並んで通勤。憧れはあるけれど、首を横に振った。
「いいえ。学院で会えるまでの時間を楽しみにできるから、お迎えは結構よ」
「そうか」
ふっ、と笑ってカリファーが手を離した。
「では、また明日。婚約者どの」
「ふふっ。はい、また明日」
背を向けたカリファーをじっと見送る。
まだ日の高い空の下、彼が風景に溶けていきそうだった。




