51.余韻の朝
甘い甘い花の香りに包まれて、ゆっくりと目を覚ました。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
……眠っているカリファーなんて初めて見たわ。
いつもわたしを射抜く黄金色が見えなくなって、白い肌に長い睫毛が影を作っていた。
あ、睫毛も髪と同じで漆黒なのね。
そっと頬に手を伸ばす。すべすべの手触りが気持ちいい。
ゆっくりと撫でていると、彼の唇に指先が触れてしまった。
驚いて手を引こうとすると、手首をやんわりと掴まれた。
「……っ」
「朝から悪戯か?」
からかうような声でそう言って、カリファーの唇から白い牙が覗く。
かり、と指先を噛まれた。
「カ、カリファー……ッ」
「あぁ、朝から酩酊しそうだな」
優しく啜られる音に、全身が沸騰しそうに熱くなる。
開かれた黄金色が、眩しそうにわたしを見つめた。
「体はきつくないか?」
きつくはないけれど、指先に熱が集まって熱い。
「ディア?」
朝だからかしら。少し気怠げな声が、とても色っぽい。
いえ、何を考えているのかしら。
頭を振って彼から手を取り返した。
「体は何ともないわ。でも、汗を流したい」
「一応、昨夜お前が眠った後で身を清めてはあるが」
「そっ、そういうことは、言わないで……っ」
待って。清めたって、誰が?
思わずカリファーを睨んでしまうと、彼は楽しそうにクツクツ笑っていた。
「何がそんなに恥ずかしい?」
「全部よっ!」
叫んだ勢いのまま、寝台から立ち上がろうとした。
ペタリ、と床に座り込んでしまった。足に力が入らない……。
何も身につけていないことに気づいて、慌てて敷布を引っ張って巻きつける。
「隠すなど、勿体ない」
「カリファー!」
「すまんすまん。あまりに愛らしかったのでな。セレーヌを呼ぶから、身支度を手伝ってもらえ」
彼の手の平から、黒い蝶が飛び立って扉をすり抜けて行った。
いえ、セレーヌと顔を合わせるのも気恥ずかしいのだけど。
セレーヌが寝室の扉を開いた時、わたしは寝台の上でカリファーに後ろから抱き込まれていた。
大きな腕の中にすっぽりと包まれ、彼の長い指がわたしの毛先でくるくると遊んでいる。
明るい中で肌を見られるのが恥ずかしいと懇願したわたしに、後ろから抱えれば見えないと言いくるめられてしまったのだ。
でも、部屋に入ってきたセレーヌとしっかり目が合う体勢だったから、余計に恥ずかしくなってしまったわ。
「お、おはようございます。ご主人様、ナスティディア様」
一瞬目を丸くしたように見えたセレーヌが、いつもの無表情を作って頭を下げた。
「ディアの身支度を任せる。それと、まだ食事が必要だろうから、朝食の用意もな」
「御意」
「カリファー?」
彼の言葉に驚いて、恥ずかしさも忘れて振り返った。
「何だ?」
「どういう意味?」
「何がだ?」
「食事、まだ必要、って」
わたしの言葉に、カリファーがああ、と頷く。
「お前は、まだ夜に生きる者ではない。これまでと変わらない食事を取らなくては、体を壊す」
「それ、は……だって。どうして……?」
彼と肌を合わせて、わたしは彼と同じ存在になったのではなかったの?
わたしは、そう覚悟してここに来たのに。
じっと見つめていると、カリファーが気まずそうに視線を逸らした。
「……俺に、覚悟が足りなかった」
「覚悟?」
よくわからずに首を傾げると、微笑んだカリファーがわたしの頬に口づけた。
「っ!」
「それと、昨夜は初めてだったから、お前の肌に溺れて余裕がなかった」
「っ、カリファー!」
真っ赤になっただろうわたしに、背後から冷静な声が掛けられた。
「睦み合いたいお気持ちはよくわかりましたから、そろそろお支度に取り掛からせてくださいませ」
「むっ、睦み……っ」
「セレーヌ。年々遠慮がなくなっていくな」
ギロリと睨むカリファーにも、セレーヌは怯まなかった。
「ご主人様は、時の感じ方が他者よりも鈍うございますので。お気持ちが固まるまでお待ちしていては、世界が終わってしまいます」
何だか酷い言われようね。
ふふっと笑って、カリファーの頬にお返しの口づけをした。
「着替えてくるわ」
「……ああ。食堂で待っている」
愛おしそうに細められた黄金色に見送られて、セレーヌに手を引かれて寝室を出た。
扉の閉じられた寝室で、カリファーが冷たい声でレストに命じていたことなんて、知らなかった。
「メルリー=デュローとその取り巻きについて、徹底的に調べろ」
「御意」
「ディアの手を踏み、肌に傷をつけた者など、俺が許すはずはない」
そんな会話が交わされていたなんて、浮かれていたわたしはちっとも知らなかったわ。




