50.彼の寝室へ
セレーヌが、湯殿で全身を磨いてくれた。
彼の香りのとろりとしたお湯が、わたしの芯まで満たしていくようだった。初めて影を渡った馬車酔いのような浮遊感を、ゆっくりと落ち着けてくれる。
香油を垂らされて、心地よい強さで揉みほぐされる。
うっとりとしてしまうわたしに、別の侍女が果実水を飲ませてくれた。
「ありがとう」
微笑んでお礼を言うと、彼女は顔を真っ赤にさせて下がっていった。
「どうしたのかしら」
わたしの呟きに、セレーヌが珍しくくすくすと笑い声を漏らした。
「ナスティディア様のお美しさに、驚いたのでございますよ」
「大袈裟ね」
「本当でございますよ。……ナスティディア様」
背後にいたセレーヌが、長椅子を回り込んでわたしの顔が見えるところまで歩いてきた。
「セレーヌ?」
床に膝をつき、わたしの目を真っ直ぐに見上げてくる。
「どうしたの?」
「主と長い夜をゆく覚悟をお決めくださり、眷属一同、心よりの感謝を申し上げます」
「え……?」
すっと差し出された手に、首を傾げながら手を乗せる。
「セレーヌ?」
「私どもの旅は続くようでございます。ですが、貴方様が主に並び立たれ、夜に生きる我々の道を照らしてくださる」
身を起こすのを助けられながら、セレーヌの無表情から目を離せなかった。
彼の眷属の証だという黄色い瞳が、月を映したように煌めいていたから。
「今宵、我が主の伴侶となられますナスティディア様に、我らよりの尊敬と忠誠を捧げます」
跪いたセレーヌが、わたしの手の甲に額を押し当てた。
「セレーヌ」
「主の渇きを癒してくださることができるのは、この世に貴方様ただお一人。どうか、いつまでもそのお側に」
「……貴方の忠誠を、受け取るわ」
何故か、そう答えなければいけないような気がした。
ずっとずっと長い間、紡がれてきた言葉だと感じる。
薄い夜着を身に纏って、セレーヌに手を引かれてゆっくりと廊下を進む。
目指しているのはお屋敷の最奥だ。いつも泊まる客室とは廊下を挟んで反対側の、屋敷の主人の寝室。
緊張で喉がとても渇く。汗ばんでいないか、心配になってきたわ。
「大丈夫です。とてもお綺麗ですわ」
どうして考えていることがわかったのかしら。
でも、セレーヌにそう言ってもらえて少し安心した。
寝室の扉横に控えていたレストが、そっと扉を開けてくれる。
ほんのりとした明かりが灯っていた。
大きな寝台に座って待っていたらしいカリファーが、立ち上がってこちらへやって来る。
セレーヌの手からわたしの手を受け取って、カリファーが彼女たちを下がらせた。
扉が閉じられ、この寝室に二人きりだと思うとドキドキして、胸が破裂しそうだった。
きっと、顔も真っ赤になっているだろう。夜でもよく見えるカリファーの目に、今のわたしがどう映っているのかとても気になる。
「……ディア。今宵のお前は、いつにも増して麗しい」
「あり、ありがとう」
上手く言葉が出てこないわたしに、カリファーがふっと笑った。
「緊張しているのか?」
「あっ、当たり前でしょう?」
「そうか」
何故か嬉しそうにそう言って、カリファーがわたしの体を横抱きに抱え上げた。
驚いて、彼の首に抱きつく。
「覚悟はいいか?」
「……ここまで来て、それを聞くの?」
少し拗ねた口調になってしまったわたしに、カリファーが再び笑う。
「今夜ともに過ごして、幻滅されたらと思うと不安でな」
寝台へと近づきながら、そんなことを言うカリファーに、わたしもつい笑ってしまった。
「貴方に幻滅なんて、するわけないわ」
「それは、励まないとな」
「……励む?」
そっと、大きな寝台に下ろされた。
見上げた黄金色が、艶々と光ってとても綺麗。
耳元に唇を寄せられ、囁かれた。
「俺のこと以外、何も考えられなくしてやる」
「っ!」
嵐のように激しく、けれど優しく、唇に噛みつかれた。
夜に溶けるように、わたしはカリファーに翻弄された――。




