49.求婚
夕日で長く伸びる影を見つめながら、カリファーと手を繋いで歩く。
教員寮までの短い距離が、物足りない。
隣から伝わる彼の温もりが心地よかった。
「……嬉しかった」
「えっ?」
ポツリ、と零された呟きに視線を向ける。
「カリファー?」
「俺と、正式にお付き合いしている、と」
「あ……っ、あれは」
カリファーの足が止まる。つられて、わたしの歩みも止まってしまった。
教員寮は、もうすぐそこだった。
「俺は、ディアを伴侶に迎えたい」
「……っ」
「だが、それはお前を夜に生きる者にすることだ。これまでのすべてを、捨てさせることになる」
カリファーはいつもそう言って、わたしの体に無理矢理触れようとはしない。
わたしが選ぶのを、待っている。
「カリファー」
名前を呼ぶだけで、こんなに胸が熱くなるのに。
「それでも。お前が選んでくれるなら、俺はすべてをかけてお前を愛そう」
黄金色に、絡め取られてしまいそうだった。
「お前は、俺の妻になるか?ナスティディア=リリンカ」
「……っ」
唇が震える。言葉が上手く出てこない。
彼の側で、彼に触れて。そして彼に触れられて。
そうしてずっと、いつまでも一緒にいられるなら、それはとても幸せなことのように思えた。
「わたし、は……貴方が好き。愛しているわ」
繋がれた手が、カリファーの胸元に持っていかれる。
「俺と、永遠の夜を生きるか?」
頷いてしまえば、きっともう、戻れない。
怖い。自分が一体どうなってしまうのかわからなくて、怖い。
でも彼と一緒にいたい。もう、離れられないんだわ。
「貴方の、妻に、なりたいわ……」
ぐいっと、彼の腕の中に引き寄せられた。
耳元に、カリファーの唇が寄せられる。
「あまり、喜ばせるな」
「カリ……」
「では、婚約成立だな」
少し悪戯っぽい声で、カリファーが囁いた。
顎に指をかけた彼に上を向かされたわたしの唇に、柔らかい熱が優しく触れた。
いつの間にか、寮の個室で寝台に座ってぼんやりしていた。
机に置いた黒兎の人形が目に入る。
黄金色の石を嵌め込まれた目が、こちらを見ているような気分になった。
立ち上がって近づき、人形を持ち上げてみた。
カリファーは、もうお屋敷に帰り着いたかしら。
今になって、自分の大胆な言葉に顔が熱くなってきた。
「貴方の妻に、だなんて……はしたなかったかしら」
人形を胸に抱きしめたまま、部屋の中をうろうろと歩き回る。
「でも、彼の妻にって、どうやってなるのかしら」
彼は人ではないと言う。
けれど、わたしは人間だ。少なくとも、血を飲もうと思ったことも、世界に闇を引き寄せるような力もない。
そんなわたしが、彼の妻になれるのかしら。
黒兎を手に寝台に倒れ込んだ。
頭の奥がぽわぽわとして、とても考えが纏まりそうにない。
目を閉じると浮かぶ黄金色に、心を鷲掴みにされているみたい。
さっき別れたばかりのはずなのに、無性に会いたくなった。
「カリファー、貴方に会いたいわ……」
「光栄だ」
聞こえるはずのない声に驚いて目を開けた。
夕日に照らされていたはずの室内が、濃い夜の気配に染まっていた。
ガバリと身を起こす。
「……カリファー?」
いいえ、ここは教員寮の個室なのよ。彼がいるはずはないわ。
では、今の声は――?
コツリ。
わたしのものではない足音が、密やかに響いた。
誰もいないはずなのに、何が起こっているの?
震え始めた体を両腕で抱きしめる。
「怯える必要はない。迎えに来ただけだ」
「迎え?」
「求婚したばかりの愛しい女を、一人寝させるような男ではないぞ」
闇に慣れてきた目が、ゆっくりと歩いてくる影を捉える。
「カリファー、どうして……」
寝台のすぐ側までやって来た彼が、床に膝をついた。
「影を渡るのは得意なんだ」
「影を、渡る……?」
「夜は俺の時間。俺の領域だ。月が作る影がある場所なら、どこにでも行ける」
大きな手が差し出された。
「今夜は、ともに過ごしたい。朝をともに迎えたい」
「っ!」
それは、そういう意味よね?
わたしだって、もう子どもじゃない。何を求められているかくらい、わかっているわ。
きゅっ、と唇を噛む。
「拒むか?お前が嫌ならば、俺はこのまま帰る」
立ち上がろうとするカリファーの袖を咄嗟に掴んだ。
「ズルいわね。いつも、わたしに選ばせているようでいて、本当は貴方にいいように選ばされているだけのような気がしてきたわ」
「厭わしいか?」
そこで困ったような顔をするなんて、本当にズルい。
ゆっくりと首を振って、彼の腕に縋りついた。
「連れて行って」
ゆっくりと、世界が闇に閉ざされた。




