4.食事の誘い
放課後の学院内を、ダレストン先生と並んで歩く。
一日の授業を終え、帰り支度をしていたわたしを学院長先生が呼び止めたのだ。
『リリンカ先生、この後予定がなければ、新任のダレストン先生に院内の案内をお願いできますかな』
『わたし、ですか……?』
『サラジ先生には、来月開かれる生徒総会の資料作りをお願いしてあります』
教員室の中を見回してしまったわたしに、学院長先生は安心させるように告げた。
どうして、わかったのかしら。
不思議に思って首を傾げていたわたしの側に、ダレストン先生が立っていた。
『俺……いえ、私からもお願いしたい。貴方はここの卒業生だと聞きました。院内にも詳しいでしょう』
心に染み渡るような声に、思わず頷いてしまっていた。
廊下の先に見えてきた大扉を指す。
「あの突き当たりが、生徒たちも利用する図書室ですわ」
「蔵書はどのくらいの数かな?」
「はっきりとは……。ただ、わたしの在学中に五千冊を超えたとは聞いたことがあります」
「それは凄い」
黄金色の瞳を細めるダレストン先生を、そっと仰ぎ見た。
わたしより頭三つ分ほども背が高い。
ハスアンはわたしと同じくらいの身長だから、男の人を見上げるのって緊張するわ。
あぁ、わたしの方が大きく見られるのが嫌で、踵の高い靴を履くなと言われたことまで思い出してしまった。
俯きそうになるのを堪える。
「どうかしましたか?」
「えっ」
いけない、まだ仕事中なのだから集中しなきゃ。
緩く頭を振って隣を見上げると、慈しむような色を浮かべた瞳が覗き込んでいた。
「……っ」
「何か心配事があるなら、聞きますよ?」
「いっ、いえ!何もありませんわっ」
学院にいる間の言葉遣いは、フェンヤ先生に習った。
貴族であるハスアンの隣に立つのならば、いつまでも子どものような振る舞いはできない。
「図書室の中も、ご覧になりますか?」
興味があるなら見てみたいかもしれないと思い、尋ねてみた。
一歩踏み出そうとしたところで、柔らかい声が頭上から降ってきた。
「いや、今日は遠慮しておきましょう。もう少し学院に慣れて、時間に余裕ができてからで」
ダレストン先生の言葉に頷いて、窓から差し込む夕日に視線を向けた。
「あとは、食堂と購買室でしょうか。時間もなくなってきましたし、明日にされますか?」
「そうだな……貴方は、この後予定は?」
「えっ、わたしですか?特にはありません。食堂で夕食を食べて、教員寮に帰るだけですから」
今日からわたしが暮らす教員寮は、高等学院の裏手に建っている。
独身の教職員や、実家の遠い者が入寮している三階建ての建物だ。
「教員寮……そんなものまであるのか」
「えっ?」
「いや。では、夕食をともにいかがですか?お互い、着任したばかりの新参同士。親睦を深めるのは悪いことではないと思いますが」
「それは……」
言葉に詰まった。
脳裏に、目を吊り上げるハスアンの顔が浮かぶ。
恋人になってから、以前よりもずっと、わたしの行動に対して厳しくなった。
まるで、監視されているように。
「恋人が気になる?」
低い問いかけに、驚いて顔を上げた。
細められた黄金色に、射抜かれてしまいそう。
「あの、そういうわけでは……」
「貴方が誰と食事をしようと。余暇をどのように過ごそうと。彼に貴方の行動を縛る権利はないと思うが」
「っ!」
胸の内を言い当てられたような気がして、息を呑んだ。
今日会ったばかりだというのに、どうしてこんなに、何もかも見透かされている気がするのかしら。
「もちろん、リリンカ先生の気が進まないなら、無理にとは言わない」
わたしの意思を尊重してくれようという申し出に、笑みが浮かんできた。
ハスアンから、こんなふうに気持ちを確認されたことはあまりなかったから。
「食堂に行かれますの?」
学院内の食堂では、ハスアンと鉢合わせする可能性が高い。
わたしの不安を察してくれたのか、ダレストン先生が悪戯っぽく笑った。
「いや。私はこの街に来たばかりなので。せっかくなら、街の店で食べたいですね」
「ふふっ、賛成ですわ。わたしも、普段あまり外では食べませんから。行ってみたいです」
「決まりですね。荷物と上着を取ってきて、正門の前で落ち合いましょう」
「他にもどなたか、誘いますの?」
ハスアン以外の男の人と二人きりということに、今更ながら気づいた。
これは、不貞行為になってしまうのかしら。
「食事をするくらいで、目くじら立てるような男なのか?」
「それは……わかりませんけれど」
「貴方が気になるのなら、学院長でも歴史学の女傑先生でも誘えばいい」
女傑先生って。フェンヤ先生のこと?
思わず吹き出して、ダレストン先生を見上げて頷いた。
「教員室を覗いて、いらっしゃれば誘ってみます」
「私はどちらでも構いませんよ。それでは、正門で」
「はい、正門で」
軽く片手を上げて歩いていく大きな背中を見送って、わたしは温かな気持ちで息を吐いた。
こんなに、気分が高揚しているのは久しぶりだわ。




