47.伯爵令嬢とお取り巻き
幾度かの夜をカリファーのお屋敷で過ごした。
彼に血を飲まれると、首がじんわりと熱を持って、頭の芯がくらくらして、すぐに眠ってしまう。
客室で朝目覚める度に、ともに眠れなかったことを寂しく思うわたしは、一体どうしてしまったのかしら。
いつになれば、どれだけ過ごせば、彼とずっと一緒にいられるようになるのかしら。
そんなことを考えてしまっても、日常はやって来る。
「リリンカ先生、ちょっとよろしいですか」
休み明けの学力試験を終えて、生徒たちが帰宅した放課後。
武術棟に書類を届ける為に中廊下を歩いていたわたしは、尖った声に呼び止められて振り返った。
きつい眼差しの女子生徒が立っていた。
「何か?」
胸章は三年生を示すものだった。
「少し、お話がありますの」
「……急いでいるのだけど」
「お時間はとらせませんわ」
淡い金髪をきちんと結い上げ、茶色の切れ長の瞳をこちらに向ける彼女は、貴族令嬢だろう。
こちらの都合などお構いなしといった態度に、溜息が出そうになる。
「お約束はしていないわね?それなら、失礼してもいいはず……」
「いいからっ!」
片腕をぐいっと掴まれて体勢を崩す。
手にしていた書類が、床に散らばってしまった。
「あ……」
拾おうと屈んで床に伸ばした手に、女子生徒の靴が乗せられた。踵で、ぐっと踏まれる。
「っ、痛……」
「あら、ごめんなさい。床に平気で手を伸ばすだなんて、平民はすごいですわねぇ」
何故敵意を向けられているのかしら。彼女とは、会ったことがない。
足の下から手を抜こうと力を入れるけど、しっかりと踏まれてしまっていた。
じっと、彼女を見上げる。
「さっさとわたくしの言う通りについて来ないから、いけないのですわ」
彼女の背後から、さらに二人の女生徒が現れた。
「メルリー様、どうされましたの?」
「なかなかいらっしゃらないから、お迎えに来てしまいましたわ」
同じ三年生の胸章をつけた二人が、手を踏まれているわたしを見てくすくすと嫌な笑いを漏らした。
「あらあら。臨時講師の先生と言っても、やはり平民ですわね。床に這いつくばるのがお似合い」
「お顔は綺麗ですもの。ダレストン先生を誑かした阿婆擦れさんは、メルリー様に這ってお詫びすべきですわ」
「……」
彼女たちが誰だかわかったわ。
長期休暇明けにカリファーに想いを告げて、手酷く振られた伯爵令嬢。それと、その取り巻きね。
わたしがカリファーと親密そうだと思って、こうして幼稚な嫌がらせをしにやって来たのかしら。
わたしの手を踏んだままのメルリー=デュロー伯爵令嬢が、ふくよかな胸を反らして口角を上げた。
「ご同僚ということで、ダレストン先生がお優しいのを、勘違いなさったんでしょう?今ならまだ、見逃して差し上げますわ。さっさと、身をお引きなさい」
「そうですわ。メルリー様が迫って落ちない男性なんて、いるはずありませんもの」
「きっと国外の高位貴族のご出身ですもの。ダレストン先生のような素敵な紳士のお隣には、メルリー様のような素晴らしい女性がお立ちになるべきですわ」
何とも姦しいことね。普段接している二年生の生徒たちは、優しくていい子ばかりだから、貴族令嬢というものが面倒だということを忘れていたわ。
三人を見上げながら口を開く。
「お話は、それだけかしら」
「はっ?」
「何ですって!?何て生意気なのっ?」
それはこちらの台詞だけども。
手を取り返すのは諦めて、彼女たちから視線を逸らさない。傷は、後でアスナ先生に治療してもらえばいいわ。
だんだん指先が痺れてきたような気がするけど、こんなところで屈したりしない。
「伯爵家のご令嬢ともあろう方が、お取り巻きを引き連れて講師に暴行なんて。学院からどんな処分を言い渡されても知りませんよ」
この中廊下はあまり人が通らない。誰かに目撃してもらうのは難しいだろう。
でも、傷ついた顔や苦しむ顔などしては、この子たちを喜ばせるだけだ。
「本当に、生意気ですことっ」
伯爵令嬢の隣に立っていた子爵令嬢が、わたしの頬を平手で張った。
パシン、と乾いた音が中廊下に響き渡る。
「何故、貴方に生意気だなどと、言われなければならないのかしら」
敬意を払う必要も感じない。三人がかりで、一人の相手を押さえつけるだなんて。
でも、ここで更生させなければ、この先も同じことを繰り返すかもしれない。
「貴方がっ。貴方なんかが側にいるからっ。ダレストン先生がわたくしを見てくださらないのでしょうっ!?」
激昂したように叫ぶ伯爵令嬢に、呆れた目を向けた。
わたしの首に牙を立てたあの日から、確かにカリファーは学院でもわたしの側にいる。
けれど、選んだのはわたしたち。
わたしはカリファーを選んだし、カリファーもわたしを選んだ。だから――。
「関係のない他人に、とやかく言われる筋合いはないわ」
真っ直ぐに告げてやると、令嬢たちが一瞬怯んだ。
その隙を逃さず、思い切り手を引き抜いた。
足場を失って、伯爵令嬢が体勢を崩す。ああ、体重を支えきれなくて、尻餅をついたわね。
「な、何て失礼な……」
「失礼はそちらでしょう。わたしと彼のことに、口を出す資格など貴方たちにはない」
「その通りだな」
彼女たちの後ろから聞こえた低い声に、わたしではなく伯爵令嬢が嬉しそうな顔をした。
どういう思考回路をしているのかしら。




