44.指先の熱
カリファーのお屋敷に招かれる。
理屈はわからないけれど、「認識をずれさせる」と言ったカリファーの力で、ここは許可された者以外には見えない場所なんだそうだ。
レストが入口の扉を開いてくれる。彼からも、名前を呼び捨てるように求められてしまった。
目に飛び込む、月明かりを受けた長身のカリファー。
「ようこそ、我が家へ」
「お招きありがとう」
今夜は、夕食をともにして、その後でお酒を一緒に飲むつもりだった。
差し出された手にそっと手を重ねて、人影の少ないお屋敷の廊下を進む。
「疲れていないか?」
「少し。でも、試験問題の準備がすべて終わって、ホッとしているわ」
「そうか。優秀だな」
レストが開けてくれた扉から、食堂へ入った。
並べられている食事は、一人分だった。
一番奥の席に案内されて、引いてもらった椅子に腰掛ける。
隣にカリファーの体温を感じて安心する。
「最初は、果実酒にするか」
「貴方も?」
「ああ。ディアに付き合う」
「ふふっ。ありがとう」
食事を必要としないとわたしに明かしたカリファーは、それでもわたしの為に料理を食べようとしてくれていた。
でも、わたしが止めた。嗜好品とはいえ、無理はしてほしくなかったから。
わたしが食べるのを見つめながら、カリファーはお酒を飲む。
初めは緊張したけれど、長期休暇の間にすっかり慣れてしまった。
穏やかな時間が流れる。
時々、顔を上げると黄金色と視線がぶつかった。
いつもわたしを見つめる、優しい瞳。
「どうした?」
「いえ。わたしは、貴方のその瞳が好きだな、と思って」
わたしの答えに目を丸くして、カリファーの動きが止まった。
「カリファー?」
「……待ってくれ」
杯から手を離したカリファーが、額を手で押さえている。どうしたのかしら。
コホン、と軽く咳払いして、カリファーが顔を上げた。
「あまり煽ってくれるな」
「えっ?」
「お前は、今の暮らしを大切にしているだろう?壊させないでくれ」
どういう意味かしら。
カリファーが、わたしの生活を壊すなんてこと、あるのかしら。
首を傾げていると、小さく溜息を吐かれてしまったわ。
扉近くに控えていたセレーヌが、そっと近寄ってきた。
「ナスティディア様、あまり主を動揺させないでくださいませ」
「どういうこと?」
わたしをディアと呼んでほしいとカリファーに願った日から、セレーヌはわたしのことを名前で呼ぶようになった。
いいえ、彼女だけでなく、このお屋敷で働いている人たち全員だ。
「ナスティディア様を帰せなくなると、戦っておられますから」
「えっ?」
「……セレーヌ。余計な口を挟むな」
「失礼致しました、ご主人様」
深く頭を下げてセレーヌが下がっていく。
待って。行かないで。
セレーヌに伸ばそうとした手を、やんわりと掴まれた。
「……っ」
視線を向けると、黄金色が射抜くようにわたしを見ていた。
掴まれた手が、ゆっくりと彼の口元に持っていかれる。
指先に、柔らかいものが触れた。驚いて手を引こうとしたけれど、痛くはないのに振りほどけない力で押さえられている。
わたしの指先に、親指から順に口づけながらカリファーがこちらを見つめる。
ど、どうしたらいいのかしら。
「カ、カリファー……ッ」
彼から漂う甘い香りが、頭の芯を痺れさせていくようだった。
そう言えば、結局何の香水を使っているのか教えてもらっていない。
けれど、そんなことを聞いている余裕がなかった。指先から伝わる熱に、お酒以上に酔ってしまいそう。
「いいか、ディア。よく聞くんだ」
「えっ?」
低い囁き声に我に返った。
「男という生物は、愛しい女に対して下心を持っているものだ」
「は……?」
「覚悟がないのなら、軽はずみなことは言わないことだ」
「軽はずみ……」
わたしの言葉の、どこにそんな一言があったのかしら。
首を傾げたわたしに、カリファーが少し呆れたような視線を向ける。
「軽率に、好きだなどと言ってくれるな」
カリファーの瞳を好きだと言ってしまったことを思い出して、顔に熱が集まる。
でも――。
「そう、思ったのだもの」
カリファーの動きが止まった。
「……ディア」
吐息のような声に視線を上げる。
「わたしは、貴方が好きなの。知らなかったの?」
ぐいっと引き寄せられて、いつの間にか彼の腕の中に閉じ込められていた。




