41.彼が何をしたのか
「いち、まんねん……?」
震える手を包み込むカリファーが、黙ってわたしを見つめている。
想像もつかない年数に、気が遠くなる。
いえ、ダメよ。気を失ってはダメ。今聞けなければ、カリファーはもう話してくれない気がする。
緩く頭を振った。
「貴方は、いえ貴方たちは、一体……」
「血と精気を糧とする者」
「……」
何と答えていいのかわからなかった。
そんな、幼子向けの物語に出てくるような存在が、本当にいるの――?
でも、カリファーが嘘を言っているようには感じない。
「初めて会った日を覚えているか?」
「えっ?」
「高等学院で、お前はあの男と並んで新入生たちを見ていた」
入学式の日ね。
あの頃はまだ、サラジ先生と恋人として過ごしていた。
カリファーに頷く。
「満開の花の下、微笑むお前に見惚れた」
「……っ」
「だが、本能で俺を危険視したのか、あの男はお前に無理矢理口づけた」
そうだったわ。あれほど人前ではやめてと言ったのに、まったく聞いてくれなかった。
それどころか、初対面のカリファーの前で、お構いなしに長い口づけをしてきた。
「あの男の魂は濁っていた」
「えっ?」
「いずれ、お前の心を壊すと思った。だから、排除することにしたんだ」
「はいじょ……」
剣呑な言葉に肩が震える。
「この国に、ボンヌ子爵家などという貴族はいない」
「え……?」
「お前の側からあの男を、人の世の理で排除する為に、少しばかり力を使った」
ちょっと、待って。
何を言っているのかしら。
「配下に命じて、あの娘を貴族令嬢に仕立てて、あの男の婚約者にした」
「仕立てて……そんな、こと」
「俺が得意としているのは、記憶の改竄ではない。認識をずらすことだ。だが……不完全だったな」
サラジ先生とのことを覚えていなかったアスナ先生。
他の教師たちも、生徒たちですら、わたしがサラジ先生と一緒にいないことを不思議にも思っていないようだった。それなのに、コルンの小父様は覚えていた。
そんなことを思い出して、一気に寒くなったような気がした。縋るようにカリファーを見る。
「だから……慰謝料など、払う必要もない」
「え……?」
「ボンヌ子爵家など存在しない。あの娘やその家に、お前が責任を感じる必要はないんだ」
そう言えば、何故かあの手紙を出したつもりになっていた。
どこへ行ったのかしら。
「……気味が悪いか?」
いつの間にか、側にいるのが当たり前のように感じていた黄金色が揺れていた。
泣いてしまうのではないかと思った。彼が泣くのは、とても嫌。
重ねられた手を、そっと握り返した。
「わたしを、助けてくれる為だったんでしょう?」
「……」
「貴方が何なのか、どんな恐ろしい力を持っているのか、まだよくわからない。でも……」
そうよ。カリファーは、決してわたしを傷つけない。
「気味が悪いだなんて、思わないわ」
「っ!」
息を呑んだ彼の手を、そっと撫でる。
「わたしが知りたいと望んだのよ。嘘を吐くこともできたのに、貴方は話してくれた」
「……」
「だから、貴方を信じるわ」
「ナスティディア……」
いつも、わたしの名前を大切な宝物のように呼ぶ彼。
くすぐったくて、嬉しくて、泣きたくなるのが不思議だった。
わたしのすべてが、彼を求めているみたい。どうしてかしら。
「わたしは、貴方に会ったことがあるの?」
毎晩のように見ていた夢。
出てくる女の人は毎回違う姿をしていたけれど、男の人はきっとカリファーだったわ。
あれは、誰なの?貴方に、訊くべきなのかしら。
「それ、は……」
「いいえ。貴方が答えたくないなら、いいの。今、わたしの側に貴方がいてくれる。それだけで、十分だと思えるわ」
「ナスティディア」
「……ディア、と」
バッと音を立てそうな勢いで、カリファーが顔を上げた。
「なに……?」
「貴方には、ナスティーなどではなく、ディアと呼んでほしいわ。母だけが、呼んでくれていた愛称なの」
「……っ」
どうして、そんなに泣きそうな瞳をするの?
「俺が、そう呼んでも、いいのか?」
「貴方に、呼んでほしいのよ」
触れている彼の大きな手を、自分の頬に引き寄せた。
いつもあまり体温を感じない彼の手が、火傷しそうな熱を持っているような気がする。
そっと、頬を撫でてもらう。
「温かいわ」
「……ディア」
優しい手の平に、吸い寄せられるように口づけた。




