40.カリファー
人間というものは、面倒で低俗で、それなのに眩しい生き物だった。
限りある短い命を、何故あれほど生き急ぐのか、理解に苦しむ。
俺たちにとって、人間というものはただの食物だった。
肉は必要ない。ただ、飢えと渇きを癒す、その血と精気があればそれでよかった。
初めて彼女に出会った時、首筋の白い肌が俺を吸い寄せた。
本能で惹かれる相手になど、これまで会ったことがなかった。
人から隠れ、陽光を厭い、夜の森にひっそりと棲んでいた俺を、明るい世界へ引っ張り上げた彼女はいつも笑っていた。
肌に牙を立て、喰らい尽くしたくなる衝動を必死に抑え込んだ。
彼女はとある国から逃げてきたと言う。
どうやら、生家で暴力に晒され、生贄のように高貴な男に嫁がされる寸前で、隙をついて逃げ出したと。
高貴が聞いて呆れる。これだから、人間というものは。
従者も何も連れず、たった一人でこんな森まで。
陽光に煌めく赤毛も、俺の髪と同じような漆黒の瞳も、何もかもが美しかった。
彼女を守る為に、森の奥に王国を作った。誰にも、奪わせないように。
人のしがらみから解き放たれる為に、俺の眷属になるかと聞いた。
朗らかに笑う彼女は、首を横に振った。
俺の誘いを断る者など、初めてで新鮮だった。
『いつか、わたしは死んでしまう。でも、きっと生まれ変わってまた貴方に出会う』
頭を殴られたような衝撃だった。
人間とは、死んだらそこで終わりではないのか。
『そして、もう一度貴方に恋をするわ』
生まれ変わっても、俺のことを覚えてなどいられないだろうに。
言い募る俺に、彼女が約束をくれた。
『貴方への愛を、わたしの魂に刻みつけて。貴方なら、できるでしょう?』
それは、契約で縛るということだ。
彼女の意思とは関係なく、魂が俺を求めるだけの存在になど、したくなかった。
『何度生まれ変わっても。わたしは貴方を選びたい』
抗いきれない、甘美な誘惑だった。
何度でも、俺の為に生まれてくるという言葉が、俺のすべてを歓ばせた。
目を閉じる彼女の髪に触れ、細い体を引き寄せる。
露わになった白い首筋に、そっと牙を立てた――。
全身を包む甘い血の香りに、頭の芯がじわじわと酩酊した。
これまでの食物とは違う、俺の渇きを消し去るほどの幸福感だった。
彼女の眩しい魂に、俺の存在を刻みつける。
何度でも、お前に出会う。
何百年でも何千年でも、お前を愛する。
お前が俺を選ぶのを、何度でも待とう。
俺の誓いごと、彼女の魂にこれでもかと刻み込んだ。
そして約束通り、彼女は何度も生まれ変わってきた。
その度に、魂をすり減らしながら。
これ以上はもう、保たないかもしれない。
次の生まれ変わりが、最後になるかもしれない。
何度もそう思った。その度に恐怖で震えた。この俺が。
そうして幾千年もの夜を越えて、今の彼女に出会えた。
凛として佇む、意志の強い紺碧の瞳が美しい、愛しい彼女に。
あぁ、ディア……リーディア。
いや、今のお前はナスティディアというんだな。
記憶を引き継いでなどいなくても、俺を囚えて離さないその魂が、穢されそうになっているのが赦せなかった。
もう、お前以外の血など、要らないんだ。
俺の渇きを癒せる者など、お前しかいない。
この手を差し出したなら、お前は選んでくれるだろうか――。




