35.故郷へ
よく晴れた空の下、馬車乗り場までの道を歩く。
約束通り、昨夜は遅くならない内にカリファーが教員寮まで送ってくれた。
荷造りは済ませてあったから、お湯を浴びて寝るだけだったんだけど。立ち去っていくカリファーの背中を見送るのが寂しく感じた。
隣を歩くセレーヌさん――いえ、セレーヌの顔色が少し青白い。
『これからは、お仕えする者として側におりますので。セレーヌとお呼びくださいね』
教員寮まで迎えに来て、開口一番放たれた言葉だった。
馬車の時刻が迫っていたから、仕方なく頷いて出発した。
昨夜の内に、セレーヌの分の席を予約したらしく、遠方用の客馬車に一緒に乗って行けることになったらしい。
「お嬢様の故郷は、どのような町ですか?」
着替えを入れた旅行鞄を持ってくれたセレーヌが尋ねる。結局、わたしをお嬢様と呼ぶことも押し切られてしまった。
「何もない田舎町よ。名物と言えるほどのものもなくて、長閑な景色の広がるところ」
丁寧な言葉遣いも、やめるように言われてしまったわ。
何だか、どんどん彼女の調子に乗せられている気がする。でも、嫌な感じはしなかった。
「素敵ですね。私どもは普段、お屋敷を離れることはあまりありませんので、新鮮な気が致します」
「では、旅行は初めて?」
わたしの問いかけに、セレーヌは少し考えてから口を開いた。
「……私どもは、長い長い旅の途中なのですわ」
「えっ?」
「旅の終わりを、待ち侘びておりますの」
どういう意味かしら。ああ、そう言えば、カリファーに故国についてもまだ聞けていなかった。何か関係があるのかしら。
そして、気になっていたことを尋ねてみる。
「セレーヌ。顔色があまりよくないけれど、寝不足かしら?」
ハッとしてセレーヌは頬に手を当てた。
「お嬢様にお気を遣わせるなど、失礼致しました。少し……陽の光が苦手ですの」
肌が弱いのかしら。僅かな陽光でも焼けてしまって、真っ赤になってしまう体質の人もいると聞くわ。
一年を通じてあまり気温の上がらないリュグズール王国でも、これからの季節の陽射しは厳しい。
「馬車乗り場の近くに、旅支度を整えられるお店が集まっているわ。まだ少し時間があるし、受付をした後で帽子を買いに行きましょうか」
「帽子、でございますか」
「ええ。陽の光から肌を守る、つばの広い物があると思うわ」
「お心遣い、痛み入ります」
表情は変わらないのに、申し訳なさそうにしたのがわかった。
夏の長期休暇に入ったばかりの為か、早朝にも関わらず馬車乗り場は混雑していた。
受付で、予約票を二人分見せる。
「はい。コターニャまでお二人ですね。こちらが引換券になります。御者にお渡しください」
「ありがとうございます」
「お荷物の預かりは別料金になりますが、利用されますか?預けられますと、追走する荷馬車にお荷物を乗せられますよ」
セレーヌの手元に目をやる。それほど大きくない旅行鞄は、馬車の中で膝に乗せられるくらいだ。
「いいえ、大丈夫です。自分で抱えていきますから」
「左様ですか。それでは、出発まで自由にお過ごしください。よき旅を」
「ありがとう」
受付を済ませ、セレーヌと近くのお店を見て回る。
「セレーヌは、荷物はないの?」
教員寮に現れた彼女は、何も持っていなかった。
「お嬢様のお世話をする為の荷物は、すでに預けてありますから」
「まあ、そうなの?用意がいいわね」
さっき受付で聞いた荷物預かりを利用したのかしら。
「はい。それほど高価な物は持ってきておりませんので、万一盗難に遭っても構わない物ですわ。ですので、今朝お迎えに上がる前に預けて参りました」
そして、わたしの旅行鞄を軽く持ち上げてみせた。
「お嬢様のお荷物は、私がしっかり抱えていけますわ」
「馬車に乗れば、自分で膝の上に抱えられるわよ?」
「いけません。私の仕事です」
「……」
人にお世話をしてもらうという感覚に、慣れない。でも、せっかくカリファーが善意で彼女を寄越してくれたのに、我儘を言ってはいけないわね。
旅用の服飾を扱っている店で、セレーヌにつばの広い帽子を、わたしは白い手袋を買った。
馬車の旅で、手の甲が焼けてしまうと言われてつい手を伸ばしてしまった。
出発が近づいてきたので馬車乗り場に戻ってみると、何か空気がざわざわとしていた。
不思議に思いながら乗る予定の馬車止めに行くと、朝日を受けて立つ長身の人影が見えた。
周囲の人々が、目の覚めるような美青年の佇む姿にざわめいているようだった。
「……カリファー?」
驚いて立ち止まっていると、こちらに気づいた彼が微笑んで歩いてきた。
「どうしたの?」
「見送りだ。気をつけて行ってこい」
わざわざ、来てくれたの?後ろで、セレーヌが息を呑む気配がした。
「ありがとう。こんなに朝早くから、申し訳ないわ」
「顔が見たかっただけだ」
彼が、長身を屈めてわたしの耳元に唇を寄せた。周囲で歓声が上がる。
「帰りを、待っている」
それだけ言って離れていく彼の袖を、つい掴んでしまった。
「あ、あの……っ」
「どうした?」
いつもと変わらない彼の声に安心して、口を開いた。
「行ってきます」
やっとの思いで口にしたのが、そんな一言だなんて情けない。
でも、カリファーが嬉しそうに微笑んでくれた。




