33.二度目のお屋敷へ
仕事が終わるまで、レストさんとセレーヌさんは待っていてくれると言う。
特に引き継ぎをするような業務は残っていないから、机を片づけて書類を引き出しにしまう。
鍵をかけて、資料を図書室に返した。
向かいのフェンヤ先生に挨拶をする。
「それでは、フェンヤ先生。しばらく、王都を離れますね」
「ええ、気をつけて行っていらっしゃい。しっかりお参りして、お母様孝行していらっしゃいな」
包み込むような声だった。
在学中、孤独に過ごすわたしを励ましてくれた母のような女性。
尊敬すべき、大切な恩師だ。
「はい、行って参ります」
明るく返事をして、荷物を手に教員室を出た。
高等学院の正門の脇に、二人が待っていた。
小走りに近づく。
「すみません。お待たせしました」
「いいえ。私どもがお約束もなく来たのですから、お気遣いは不要でございます」
「まったく、主にも困ったものですね。女性のお支度には時間がかかるのですから、先にお約束をしておくべきですのに」
無表情で憤慨したような声を出すセレーヌさんに吹き出す。
「わたしも、その。カ……カリファーに会いたいと、思っていたので。嬉しかったです」
「まぁ、何と健気な」
彼に仕える二人の前で、その名前を呼ぶのは少し緊張した。
だけど、レストさんもセレーヌさんも、気分を害した様子もなく歩き始めた。
「お荷物をお持ち致します」
差し出されたレストさんの手に、首を横に振った。
「いえ、それほど重たい物ではありませんし。自分の荷物は自分で持ちますわ」
「お嬢様。レストに仕事をさせてやってくださいませ」
「えっ?」
表情は変わらないのに、セレーヌさんの声はからかうような響きを持っていた。
「お嬢様のお荷物を、持たせたままでお屋敷までご案内するだなんて。主に知られたら叱られてしまいます」
「えーっと……」
カリファーが使用人を叱るところは、あまり想像できないわ。
素直に渡した方がいいのかしら。正解がわからない。
眉を下げていると、レストさんが焦れたようにわたしの荷物を手に取った。
「あ……」
「さあ、参りましょう」
意外に強引なのね、レストさん。
セレーヌさんと顔を見合わせた後で、ふふっと笑って追いかけた。
前にカリファーのお屋敷を訪れたのは一週間前だった。
その時と変わらない、鬱蒼とした木々がお屋敷を世界から隠しているみたいだった。
黒々とした門をレストさんが開く。
そう言えば、あの時はカリファーが手を翳して、使用人の方が門を開けたんだったわ。
種明かしをする彼が可愛かった。
くすくすと笑っていると、セレーヌさんが首を傾げた。
「お嬢様、どうなさいましたか?」
「いえ、ちょっと前のことを思い出して。ねぇ、セレーヌさん。どうしてお嬢様って呼ぶんですか?」
わたしが尋ねると、セレーヌさんが驚いたように言葉に詰まった。
「以前お屋敷に来られた時はお客様とお呼びしましたけれど。それ以外でお会いした際には、お嬢様とお呼びするべきなのでは?」
「貴族のお嬢様ならそうかもしれないですけど。わたしはただの、高等学院の臨時講師ですから。リリンカで結構ですわ」
「……では、リリンカ様」
どうして納得していないような顔をしているのかしら。
「セレーヌ。今はまだ、そのように」
前を歩いていたレストさんの言葉に、セレーヌさんが頷く。何のやり取りかしら。
「いずれは、お名前をお呼びする許可をいただきたいものですね」
「えっ?」
お屋敷の方を向いているレストさんの呟きは、よく聞こえなかった。
「ごめんなさい。何て仰いました?」
「ナスティディア、よく来たな」
わたしの言葉に被せるように、お屋敷の玄関から柔らかい声が掛かった。
「あ……」
夕闇に溶け込むような、長身の人影が立っていた。
「カリファー」
こちらへ歩いてくる彼の黄金色から、目が逸らせない。
久しぶりに会えたような気がする。そのことが、こんなに嬉しいなんて。
すっと、大きな手の平が差し出された。
「屋敷へ手を引いて行く栄誉をくれないか」
決して強引に触れてこようとしないカリファーの言葉に、つい笑みが浮かぶ。
そっと、自分の手を重ねた。
「ありがとう」
彼の低い体温に胸が高鳴る。
「今夜は、早めに帰す」
「えっ?」
「遅くなっては、明日の出発に差し障る」
本当に、この人は――。
ふふっと笑って、隣に並んで歩き始めた。




