2.王立高等学院
ハスアンに手を引かれて高等学院の廊下を歩く。
後ろから、ダレストン先生の視線を強く感じる。
どうしてそんなに、見つめてくるのかしら。背中が火傷しそうに熱い。
「サラジ先生、手を離してください」
さっきから必死にお願いしているのに、ちっとも聞いてくれない。
入学式の最中だから、廊下は人気もなく静まり返っている。
わたしたち三人の足音しかしない。
いえ、後ろから足音は聞こえないわね。
チラリと振り返る。途端にわたしの手を引くハスアンの指先に力が入った。
「……っ、痛」
思わず呟くと、ハッとしたように手の力を緩めるハスアン。
何をそんなに、苛立っているのかしら。
「ごめん。痛かった?」
「あの、大丈夫ですから。手を離してください」
「ダメだ」
きっぱりと言い切られてしまって困り果てる。
いくら恋人でも、公私の区別はつけたいのよ。
どう言えば納得してくれるかと考えていると、後ろから穏やかな声が掛かった。
「サラジ先生は、余裕がないんですね」
「はあっ?」
「愛しい恋人が可愛くて心配なのはわかりますが。あまり束縛しては嫌われますよ」
からかうような口調だった。
何というか、大人の余裕のようなものを感じる。
そう言えば、おいくつなのかしら。
「放っておいていただけますか。貴方には、関係ない」
いつも穏やかなハスアンの、こんなに攻撃的な表情は初めて見た。
「関係、ね。……関係ないのは、そちらだろうに」
また何か呟いている。独り言が多いのかしら。
「何です?言いたいことがあるのなら、はっきり言ってもらえますか」
眉を吊り上げたハスアンは、完全に足が止まってしまった。
このままでは、始業に遅れてしまう。
「サラジ先生も、ダレストン先生も。そろそろ教員室に入らないと、遅刻ですわ」
「あぁ、失礼した。リリンカ先生は真面目ですね」
ハスアンに対するものとは違う柔らかい雰囲気に、つい苦笑を浮かべた。
「わたしも、初日から遅刻するのは嫌ですもの。ほら、サラジ先生も早く」
わたしが「サラジ先生」と呼ぶ度に面白くなさそうな顔をするけど、職場なんだから我慢してほしいわ。
教員室には数人の教師がいた。
案内してきたダレストン先生は、部屋の奥の学院長室へと向かって行った。
どうやら、学院長先生の紹介でここまで来られたみたい。
息を吐いて自分に与えられた席に座る。
何故隣がハスアンなのかしら。
「わからないことは、何でも僕に聞いてね」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですわ。資料も揃ってますし、同じ歴史学の先生もいらっしゃいますし」
そう言って、向かい側の席に座る女性に目をやった。
銀縁の眼鏡をかけた女性教師が、きらりと新緑の瞳を光らせた。
「リリンカ先生は、在学中から優秀でしたものね。楽しみにしていますよ」
「ありがとうございます、フェンヤ先生」
「それでも、何かあったら僕に言って」
諦めの悪いハスアンの言葉に、曖昧に頷いておいた。
フェンヤ先生が苦笑している気配を感じて、顔から火が出そうだった。
後で、きちんと説得しないと。
リュグズール王国の王立高等学院。
この春卒業したばかりのわたしが、歴史学の臨時講師として働く名門校だ。
本当は正式な教師として働きたかった。
でも、ハスアンが許さなかったのだ。
わたしは貴族でもないし、伯爵家の次男であるハスアンの意向には逆らえなかった。
けれど、高等学院での日々をわたしは楽しみにしていた。
勉強は好きだったし、歴史学のフェンヤ先生は尊敬できる女性だ。
在学中もたくさん、お世話になった。
でも――。
出会ったばかりのダレストン先生という存在が、波乱の予感を含んでいそうな気がして少しだけ、恐ろしかった。
穏やかなハスアンを攻撃的にさせる、黄金色の瞳。
わたしの奥底を射抜く、あの瞳。
たまらなく怖いのに、どうしてこんなに、気になるの?
ハスアンという恋人がいるのに。
わたしは、ふしだらな女だったのかしら――。




