21.子爵家への手紙
もうすぐ夏の長期休暇がやって来る。
高等学院では、二ヶ月間の休みに入るのだ。
王都に屋敷のある貴族の子どもたちは、家族と領地に戻る子や国外に旅行に行く子たちが楽しそうに予定を話し合っていた。
地方から出てきて寮暮らしの子どもたちは、久しぶりに実家に帰れることに喜びの表情を浮かべている。
何となく浮き立った空気を感じる学院の廊下を、図書室へ向かって歩く。
カリファーとの食事から、三週間が経とうとしていた。
フェンヤ先生に、貴族家の方への手紙の書き方を教えてもらった。
ボンヌ子爵家に、慰謝料について確かめる手紙を書かなくてはならない。
手紙の作法を尋ねるわたしに、フェンヤ先生が理由を訊いてくれたけれど、はっきりと答えられなかった。
「サラジ先生のことで……」と曖昧に答えたわたしに、不思議そうな表情を浮かべていたのが気になった。
そう言えば、アスナ先生との会話も思い出す。
『リリンカ先生ぇ。最近ー、ダレストン先生とぉ、いい雰囲気じゃないですかぁ』
『何を仰ってるんですか。ダレストン先生にも失礼ですよ』
『だってぇ、あんなに熱っぽく見つめられてぇ、何も感じないんですかぁ』
からかっているような響きは感じなかった。
サラジ先生と恋人だった時は、噂を面白がる雰囲気だったのに。
『今は、仕事に集中したいんです。以前のようなことは、もう……』
『以前のようなことぉ?何のお話ですかぁ?』
『え……っ?』
驚いてまじまじとアスナ先生の顔を見てしまうと、本当にわかっていないようにきょとんとしていた。
言いようのない違和感が浮かんできて、逃げるように教員室を出てきてしまった。
フェンヤ先生も、アスナ先生も、まるでサラジ先生とのことなど知らないような顔をする。どうして――。
そう言えば、ここしばらくサラジ先生の姿を見ていなかった。
前は、呆れるくらいすべての時間を、わたしの側で過ごそうとしていたのに。
大きく頭を振って、サラジ先生のことを考えから追い出す。
前を向いて歩くと決めたのよ。今は、ボンヌ子爵家への手紙を書かないと。
図書室に入り、窓際の一人用の机に場所を取った。
休日に買い揃えておいた、便箋と筆記具を取り出して机に広げる。
通常、貴族への手紙には季節の挨拶から始めるらしい。けれど、今回はお詫びと事務的な内容を綴るものだから、最初から本題を書いてもいいはず。
頭の中で言葉を整理しながら、ペンを走らせる。
婚約者のいるサラジ先生とお付き合いをしてしまったことへのお詫び。
すでに彼とは別れたこと。
ボンヌ子爵家とご令嬢に、ご迷惑とご心労をかけたことへのお詫び。
慰謝料を払う用意があるので、話し合いの場を設けてもらうか、書面での手続きをお願いしたいこと。
簡潔に、けれどできるだけ誠意が伝わるように書き連ねた。
ふう、と息を吐いて筆記具を置く。
便箋を二枚も使ってしまったわ。でも、これで終われるなら構わない。
内容を確認して、封筒に入れる。しっかりと封をして宛名を書いた。
一仕事終えたような気持ちで顔を上げると、目の前の席にカリファーが座っていた。
「っ!」
机に頬杖をついて、じっとこちらを見つめていた。
「び、っくりした」
「何を書いていたんです?」
学院にいる間、彼はきちんと言葉遣いを整えてくれる。約束を守って接してくれる彼に安心した。
「あの、ボンヌ子爵家への手紙です」
「ボンヌ……あぁ。あの子爵家」
納得したようなカリファーに頷いて、手元に視線を落とした。
「何もなかったことにはならないけど、これで過去を精算できるのなら、わたしにはそれで十分です」
「では、その手紙は私が出してきましょうか?」
「えっ?」
「配達業の経営をしている知り合いがいるんですよ。彼に頼めばきっと早い」
差し出された手に首を振った。
「いいえ。きちんと正規の手続きを踏んで、あちらのお家に送りますわ」
「ならば、向こうから返事が来たなら見せてほしい。貴方を攻撃してくるような家か、確かめたい」
包み込んでくれるような温かい言葉が嬉しかった。
「ええ。またご相談させていただきますわ」
そう言って立ち上がると、カリファーも席を立った。
「ダレストン先生?図書室にご用だったのでは?」
「いや、貴方を探していたんです。教員室に戻るなら、ご一緒しましょう」
「そうだったんですか。では、この本だけ棚に戻してきますわ」
貴族向けの文法や作法の載った本だった。フェンヤ先生に勧められて、手紙を書く参考にした。
「では、入口で待っています」
「はい、すぐに行きます」
歩いていくカリファーの背中を見送って、反対側の本棚へと向かう。
膨大な蔵書のすべてを読むことはできないけれど、ここにあるたくさんの本を読んでみたい。
そんなことを考えながら本を棚に戻していると、後ろからガバリと抱きしめられた。
「……っ!」
「やっと、見つけた」
以前は聞き慣れていたはずの声が酷く掠れていて、恐怖に体がびくりと跳ねた。




