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王の愛は闇夜とともに  作者: 紫月 京


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20.呼び方


まだ胸がドキドキしている。

明日が休みでよかったわ。

ふうっと息を吐き出して、椅子に座り直す。

お酒の横に置いてある水のグラスを手に取った。もう、これ以上飲まない方がいい気がする。

冷たい水を飲み干して、顔の火照りを冷ました。両手を頬に当ててみると、驚くほど熱くなっていた。

途端に恥ずかしくなってきた。

ダレストン先生は、きっとわたしをからかっただけなのよ。

今日サラジ先生と別れたばかりで、これからのことを悩んでいるわたしを元気づけてくれたんだわ。

そして、冗談を言った自分に照れて、個室を出て行ったのよ。

教員室で言った「口説く」というのも、きっとそうね。真に受けるなんて、恥ずかしいわ。

窓の外に目を向けた。

中間試験の採点作業も終えて、明日は久しぶりのお休み。何をしようかしら。

これまで、仕事の日も休みの日も、サラジ先生の予定に合わせていたから一人で過ごす休日なんて想像つかない。

そうだわ。アスナ先生を買い物に誘ってみようかしら。今日は断ってしまったから。

でも、サラジ先生とのことを聞かれるのは憂鬱だわ。

そんなことをぼんやりと考えていると、個室の扉が開いた。

「飲み終えたか?」

耳に馴染み始めた低い声。ダレストン先生といると、どうして安心するのかしら。

「はい。とても美味しかったです」

鞄から自分のお財布を出そうとすると、ダレストン先生が片手を上げて制してきた。

「新たな門出を迎えた祝いだ。今夜は俺が持つ」

「いけません、ダレストン先生。自分の分は払いますわ」

譲れなかった。彼は、貴族で恋人だったサラジ先生ではない。

黄金色を見上げて黙っていると、ダレストン先生がふっと息を漏らした。

「ダレストン先生?」

「俺に、恥をかかせないでほしい」

「えっ……」

「高級店に若く美しい女性を連れて来て、支払いもできないような男だと思わせたいのか?」

ニヤリ、と口角を上げたダレストン先生がわたしを諭すように言った。

「意地悪ですね」

そんな言い方をされては、意地を張るのも子どもっぽい。

「では、お言葉に甘えます。いつか、必ずお返ししますわ」

わたしの言葉に、ポリポリと頬を掻いてダレストン先生が口を開いた。

「それなら、一つ願いたいことがあるんだが」

「何でしょう?」

ダレストン先生からのお願いなんて、何だかドキドキするわ。

一体、何を言われるのかしら。わたしにできることならいいのだけど。

「学院でも言った。カリファー、と呼んでほしい」

「っ!」

本気、だったの?わたしを元気づける為の、冗談だと思っていたわ。

「それ、は……」

「ダメだろうか。叶わない望みか?」

そんな寂しそうな表情をするなんて、ズルい。

「……カ、カリファー、様……」

「様もいらない」

「そういうわけには……」

聞いたことはないけど、彼もきっと貴族だと思う。言葉遣いも所作も、平民だとは思えなかったから。

「年上の方に、呼び捨ては失礼ですわ」

絞り出すようにそう言うと、ダレストン先生が眉を下げた。

「ならば、こうしよう。俺もお前を、ナスティディアと呼ぶ」

「はい?」

「それなら、対等だろう?」

そんな無茶苦茶な……。

「勿論、学院で他の誰かの目がある時には、これまで通りリリンカ先生と呼ぶ。……ダメか?」

縋るような瞳を向けられて戸惑う。

「で、でも……カリファー様も、貴族のお家の方ではないのですか?平民の、ただの職場の同僚がそんな呼び方をするわけには」

いつの間にか、座るわたしのすぐ近くに彼が立っていた。

じっ、と見下されて居心地が悪い。

「俺は、貴族ではない」

思わず顔を上げた。

「貴族では、ない……?」

「身分制度など、俺には関係ない」

「それは、どういう……」

「お前がいれば、それでいい」

じわじわと、頬が熱くなってきた。言葉の意味は理解できるのに、何故そう言ってくれるのかわからない。

「お前が望むなら。すべてを手に入れることも、すべてを壊すことも厭わない」

「えっ?」

「そんな俺の望みは、ただ一つ。お前に、名を呼んでほしいことだけだ」

「何だか……ズルい」

ポツリと漏らしたわたしの言葉に、真剣な瞳をしていたダレストン先生が吹き出した。

「強引で、なのにどうしてかしら。ちっとも嫌じゃないんです」

「それはよかった」

「自分でも、おかしいとわかってるんです。貴方と一緒にいると、楽に呼吸できる気がするの」

頬に手を当てて、溜息を吐いた。

わたしの返事を待ってくれているダレストン先生に、しっかりと視線を合わせる。

()()()になるのなら、名前を呼んでもおかしくないですよね」

「友達……」

わたしだって、もう子どもじゃない。彼の表情の意味には、何となく気づいている。

それでも、まだ。抗いたかった。

「これからも、同僚としてお友達として、よろしくお願いしますね。……カリファー」

肩を落としたダレストン先生――カリファーは、それでも満開の花が開くように笑顔を浮かべて頷いた。



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