15.資料室での攻防
人気のない資料室。
試験問題に使う教本や授業で使う参考文献が、きちんと分類されて棚に収まっている。
部屋の中央に、資料を読み込むための机と椅子が置かれていた。
片方の椅子に座り、サラジ先生が座るのを無言で待つ。
「……」
早く座ってくれないかしら。
扉の前に立ち尽くすサラジ先生を見つめる。
焦げ茶の瞳が、射殺しそうな色でわたしを凝視していた。
彼に見つめられるのが、あんなに嬉しかったのに。
今は寒気すら感じるなんて。
「サラジ先生、座ってくださいな」
焦れて、つい声を掛けてしまった。
サラジ先生が、近づいてきて空いている椅子を持ち上げた。
「……?」
何をするのかと思って見ていると、椅子を持ったままわたしの隣に移動してきた。
「っ!」
わたしと扉の間を塞ぐように、サラジ先生が椅子を置いて座った。
「どうして、そんなに近づくんですか」
「ねぇ、ナスティー」
絡みつくような声で名前を呼ばれてぞくっとした。
「ですから、リリンカと呼んでくださ……」
「ナスティー、愛している」
両肩に手を置かれて力が込められた。
「何を……離してくださいっ」
「怒っているんだろう?婚約者と言っても、彼女は家の都合で決められただけの相手だ」
「いえ、そんなことはどうでも……」
「大丈夫。婚約は解消するように実家に働きかけている。君は、何も心配することはないんだ」
こんなに、話の通じない人だっただろうか。
「とにかく、離して……」
肩から二の腕へと、彼の華奢な手が移動した。
なぞるようなその動きに、肌が粟立つ。
「わたしは……っ」
サラジ先生の手が、少しずつ下へ降りてくる。
振り払おうと身動ぎするけど、意外に強い力と気持ち悪さに抗えない。
「貴方と、これ以上一緒に、生きていくつもりはありませんっ!」
言えた。
わたしの言葉に、サラジ先生の手の動きが一瞬止まった。
次の瞬間には、強い力で手首を掴まれていた。
「っ、痛……」
「何を、言っているんだい?」
ぐいっと引っ張られて、椅子から腰が浮く。
側にあった机に、背中から押しつけられた。
「ちょ……っ!」
「君は、僕と一緒にいるんだよ。あぁ、そうか。僕と早く結婚したいんだね?それならそうと、言ってくれればよかったのに」
「なに、を……」
焦げ茶色が濁っているように感じてぞっとした。
押さえつけられた手首がじんじんと痛む。指先が、痺れてきた。
「わたしは、貴方と別れると……っ」
噛みつくように口づけられて吐き気がする。
わたしの中に侵入してくるような動きに、生理的な涙が滲んだ。
離して。やめて、触らないで――。
声にならない悲鳴が漏れる。
「今すぐ、君を僕のものにしてあげるよ。そうすれば、安心してくれるかい?」
ようやく離された唇が紡ぐ信じられない言葉に、体に力が入った。
「あぁ、泣かなくてもいい。何も心配いらない。そうだ、もう学院も辞めてしまえばいい」
「は……っ?」
「いずれは僕の屋敷に一緒に住むはずだったんだから。予定が少し早まるだけだ」
彼が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
得体の知れない化物のようで、恐ろしくてたまらなかった。
狂気を孕んでいた彼と、こんな場所で二人きりになった自分の迂闊さを悔やむ。
「離して、触らないで……サラジせんせ……!」
再び唇を奪われる。嫌で嫌でたまらない。
彼の指が上衣の襟元にかけられた。
何をしようとしているのかわかって、必死に抵抗する。
「ほら、暴れないで。初めてで不安だろうけど、僕にすべて任せておけばいい」
恍惚とした表情を浮かべるサラジ先生が、知らない人のようだった。
ニヤリと歪められた唇が、舌なめずりしてわたしの首筋に近づいてくる。
見ていたくなくて、ぎゅっと目を閉じた。
生温かい感触に、ぞくぞくと寒気がする。
何を勘違いしたのか、嬉しそうな声が上がった。
「あぁ、ほら。君も望んでいるんだろう?大丈夫、叶えてあげるよ」
「……ぃ、や……!」
「素直になりなよ。家が決めた婚約なんて解消して、ちゃんと君を妻にしてあげるから」
どこまでも勝手なことを――!
悔しくて唇を噛みしめる。こんなところで、こんな男に穢されてしまうなんて。
閉じた視界に、優しい黄金色が浮かんできた。
ハッとして目を開けた。あの人に、軽蔑されるのは耐えられない。
ぐっと足に力を入れて、サラジ先生のお腹辺りを必死に蹴り上げた。
「ぐ……っ!貴様っ」
体勢を崩したサラジ先生の体を、押しのけようとしたけれど、それより早く再び手首を掴まれた。
「よくも……っ!優しくしてやると言っているのに!」
「ごめんだわ!貴方に触られるくらいなら、ここで舌を噛み切ってやる!」
「な……!」
ヒュッと息を吸い込んだサラジ先生の背後から、温度を消した声が響いた。
「お見事」
あぁ。来てくれると、思っていた――。




