14.ダレストン先生の席?
一日の終わりを告げる鐘が鳴る。
最後の試験の回答用紙を持った教師が、教員室に戻ってきた。
その後ろから、ハスアンが無言で入ってくる。
わたしの隣の席に座るダレストン先生を見て、ハスアンの足が止まった。
表情が固まり、一瞬青ざめ、みるみる憤怒で真っ赤に染まっていくのがここからでもわかる。
前にいた教師を押しのける勢いで、こちらへ大股に歩み寄ってきた。
「貴様っ!何故そこに座っているっ!?」
教員室中に響く叫び声に、周囲の教師たちの視線が集まる。
対するダレストン先生は、余裕の表情を浮かべて落ち着いた声で答えた。
「今日から、ここは私の席になったからですよ」
「はあっ!?」
「学院長がね、そう決められたんです。ご不満がおありなら、学院長へどうぞ」
嘲るような声音に、ハスアンの目が吊り上がった。
「貴様っ!」
「いちいち大声を出さずとも、聞こえますよ。野蛮だな」
「な……っ」
ハスアンに挑発するような言葉を掛けたダレストン先生が、わたしの方へそっと顔を寄せる。
「彼女に近づくな!」
それを無視して、ダレストン先生がわたしの耳元で囁いた。
「どうしたい?」
「えっ?」
「お前の望みに応える。どうしたいか、言ってみろ」
他の誰にも聞こえないようなその声は、不思議とわたしを安心させた。
ハスアンの怒号に縛りつけられそうだったわたしは、ふっと肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。わたしの問題ですから、自分で何とかしますわ」
今日の分の採点作業を終えていたわたしは、立ち上がってハスアンに近づく。
「ナスティ……」
「サラジ先生。お話があります。ここでは他の先生がたにご迷惑ですから、どこか二人で話せる場所へ移動しましょう」
「……ナスティディア」
「リリンカとお呼びください」
自分で思っている以上に、冷たい声が出た。
婚約者がいるのを隠していたくせに、いつまでもわたしの名前を呼ばないでほしい。
「皆様、お騒がせして申し訳ありませんでした。失礼致しますわ」
興味深そうにこちらを見ていた教師たちに頭を下げて、足早に教員室を出た。
扉を閉める直前に、黄金色と視線が絡まった。
心配ないとわかってもらうように頷いて、廊下を歩き始めた。
後ろから高い足音が追いかけてくる。
わたしには踵の低い靴を強制したくせに、自分は貴族として威厳のある革靴を履いているのよね。
二度と、隣を歩くことはないのだから、明日からは好きなものを履こうかしら。
「ナスティディア、どこへ行くんだ」
「……リリンカと呼んでくださいと、お願いしています。そんなに難しいですか?」
「他の誰もいない。君も、僕のことをハスアンと呼んでくれ」
何を言っているのかしら。
もう、恋人ではいられないでしょうに。
「婚約者のいる方に、そんな馴れ馴れしいことはできませんわ。サラジ先生」
「っ!」
腕を掴まれそうな気配を感じた。
いつもそう。わたしを思い通りに動かそうと、力づくで意思を押し通す。
「触らないでくださいな」
「なっ!」
「そうだわ、資料室がこの時間なら空いていたはずです。そこで、これからのことをお話しましょう?」
図書室の隣にある資料室は、普段あまり人がやって来ない。
聞かれたくない話をするには最適のはずだ。
憂鬱なことはさっさと済ませてしまいたかった。
資料室へ向かう足の進みがどんどん早くなる。
いつの間にか、わたしの心は決まっていた。これ以上、彼とともにいることはできない。
婚約者がいるのを隠していたことも。
わたしを火遊びの相手として見ていたことも。
許せないと思ったけれど、そんなことよりも――。
学院で教師として働きたかったわたしの夢を認めず、臨時講師にさえ渋い顔をして。
さらにわたしの公私の生活を縛ったことが、赦せなかった。
これ以上、わたしの意思を踏みにじられるなんて、耐えられない。
彼との別れを、わたしは決めたのだ。未来へ向かっていく為に。
早足のわたしを追いかけるハスアン――サラジ先生が、どんな顔をしているのかなんて、少しも見ていなかった。
彼の執着と言うべき思いを、わたしはちっとも理解していなかったのだ。




