11.黄金に射抜かれる
頷いてくれたフェンヤ先生に目礼をして、教員室を出る。
昼と夜の間の、少しずつ肌寒さが迫ってくる刻。
意思に反してのろのろと進むわたしに、歩幅を合わせてくれているダレストン先生の息遣いが、耳の奥にするりと入ってくる。
荷物を持とうと言ってくれたけれど、丁重にお断りした。
図書室からハスアンが追いかけてくるのではないかと不安だったけど、彼の姿を見ることもなく学院から外に出られた。
ホッとして息を吐いていると、クスリと隣から笑い声が漏れた。
「ダレストン先生?」
不思議に思って見上げると、慈しむような視線にぶつかった。
「あぁ、すまない。そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ」
「えっ?」
長身のダレストン先生が、屈んでわたしの耳元に唇を近づけた。
「彼は、来ない」
「っ!」
一言囁いて、離れて行く彼の動きから目が離せない。
学院の校舎の方へ視線を投げたダレストン先生が、ふ、と笑った。
「ダ、ダレストン先生……?」
「このまま、教員寮に帰るのも勿体ないな」
「えっ?」
「街へ食事に行きませんか」
悪戯そうに瞳を覗き込まれて言葉に詰まる。
フェンヤ先生が心配してくださって早退することになったのに、ダレストン先生と食事に行くなんてできないわ。
緩く首を振った。
「いえ、寮に帰ります。明日から中間試験ですし、今夜はしっかり休みますわ」
きっぱりと答えると、少し目を見張ったダレストン先生が笑みを深くした。
「ならば、次の休日に付き合ってくれませんか」
「へ……?」
思わず、間の抜けた声が出てしまった。
「この一月の間に、王都は大体見て回りました。しかし、一人では味気なくて。リリンカ先生のお勧めを案内してもらいたいな、と」
わたしの返事を待たずに、足を止めていたダレストン先生が歩き始めた。
慌てて追いかけると、またわたしに歩幅を合わせてくれる。
「あの……」
「返事は今でなくて構いません。他に考え事がありそうだから」
「……」
ダレストン先生の言う通りだった。
考えなくてはならないことが、たくさんある。
ハスアンのこと。
明日からの試験のこと。
今後、どうすればいいのかということ。
わたしは、このまま学院での仕事を続けていけるのかしら。
俯きそうになるのを堪える。
下を向いていたって、何も解決しないわ。
まずは、目の前の仕事に集中しなければ。
教員寮までの長くない道のりを、静かに歩く。
隣から穏やかな気配を感じて何だか安心するわ。
そして、ふわりと漂う甘い香り。そうだわ。
「あの、ダレストン先生?」
「何か?」
「その、どちらの香水をつけてらっしゃいますの?」
脳の奥まで痺れそうな、花のような甘い香り。
「香水?」
「ええ。その、何かの花のような甘い香りが、ダレストン先生からしますの」
わたしがそう言うと、彼は驚いたように目を丸くした。
教員寮の建物が見えてきたところだった。
ダレストン先生の足が止まる。
どうかしたのかと、わたしの歩みも止まった。
「ダレストン先生?」
「……そうか、感じるのか」
「えっ?」
高いところにある彼の顔を、そっと見上げる。
今まで見た中で、一番嬉しそうな表情を浮かべていて息を呑んだ。
「あの……?」
「安心した」
「はい?」
「今回は、思い出すのが遅いようで心配していたんだが……」
「えーっと……?」
何を言われているのかよくわからなくて、首を傾げた。
言葉遣いを崩した彼は、素の表情を見せてくれているようで何故か嬉しくなる。
「ダレストン先生、どうされたのです?」
「いや、気にしないでくれ」
「そう言われましても」
困ったように頬に手を当てていると、ダレストン先生が屈み込んでわたしの瞳を覗き込んできた。
「っ!」
「……今世は、紺碧の瞳が美しいな」
「えっ?」
じっと見つめられて、頭がクラクラしてくる。
ダレストン先生の黄金色に、何故だか泣いてしまいそう。
わたしを害することなど決してないと思わせる、不思議な揺らめき。
「だが、無理強いはしない」
「……?」
「お前が、自分で選ぶのを待つ」
「あの……?」
すっとわたしから体を離して、ダレストン先生が後ろを振り返った。
「では、リリンカ先生。また学院で。早めに休んでくださいね」
「あ……」
立ち去ろうとするダレストン先生の背中に、必死で声を掛けた。
「あのっ。送っていただいてありがとうございましたっ!」
ひらひらと片手を振りながら、ダレストン先生が学院へと戻って行った。
どうしてこんなに、心細くなるのかしら――。




