7、虹の下で考える
晴天。そして、天には同心円の三重の虹がある。
泥濘の中に仰向けに寝転んで、俺はその空と虹を見上げていた。
いつもなら触れる事さえ躊躇するような泥濘に浸かる。浸かるどころか両手で掬い上げて顔から浴びる。強い日差しが水分を奪い、すぐに乾いていってしまう。風も吹く。同じく水分を奪っていく。
「流石『南』だ。太陽が近い・・・」
近くで俺と同じようにしているノワが、やはり同じように空と虹を見上げながら呟いた。
「・・・」
俺は何も言わずに、ただただ周囲の泥を掬って自分に掛け続けた。
異様な光景だと思う。同じ黒いマントを纏った同じ年頃(に見える)少年2人が泥濘に寝転んで必死に泥を自身に掛け続けているのだから。
「アキラ、ノワ様っ・・・、どう、したんですか・・・?」
トールが俺達に駆け寄って来て、そして、そんな異様な光景を目にしてちょっと引いた顔を見せる。
「トールよ、多くは言わない。ただ僕達に早急に食糧を・・・」
ノワの言葉は、段々と小さくなっていった。気持ちは分かる。ノワも俺と同じで限界なのだ。
大気中からのエネルギー供給。それがどの程度自分に影響を与えていたのかと言う事を、俺は今迄分かっていなかった。何故ならば、この世界に来てから巡って来た『真ん中』もマジール王国も、その含有量に差はあったとしても、俺にとって必要なエネルギーを充分に蓄えていて、不足を感じさせない程円滑に、滞りなく、惜しむ事なく与え続けてくれていたから。
それが、この『南』では途切れた。途切れた状態で力を使って、枯渇した。
「空腹、ですか?」
トールがそう言いながら、背負った荷物の中から干し肉を取り出してノワに近付いた。
「『空腹』どころじゃないんだよ!下手したら死んじゃう!」
叫ぶようにそう言ってノワが飛び起き、トールから干し肉を奪うように取ってそれに噛み付く。右手に干し肉、空いている左手をトールに差し出して、新たな食糧を要求した。
トールが荷物の中から団子を取り出してノワに渡す。その、食べ物の動きを目で追って俺は泥濘の中から起き上がった。
今は何よりも食べ物が欲しい。
その思いだけで体を起こし、そして強い日差しで体に触れていた水分が蒸発して、乾いていく・・・。
視界から食べ物が消えた。ノワに向かって差し出された団子を、受け取ったノワがそのまま自分の口の中に放り込んだのだ。
それを渡して軽くなったトールのその手。
その手が、何故か美味そうに見えてしまう。
無意識。誘われるようにそっとトールに近付いて、その手に噛み付きそうになった。
口を開け、あと数ミリで歯が届く。その瞬間に、俺の口の中にポイっと団子が放り込まれる。
「危なーい!アキラダメだよ!トールを食べちゃ!」
団子を放り込んだのはノワ。トールから受け取って一度口に入れたその団子を、そのまま出して俺の口の中に入れてくれたのだった。
俺はそれが分かっていた。分かっていたけれど、もはやそんな事どうでも良かった。
俺は、口の中にやって来た団子を噛み締める。
マジールの王城の兵団の貯蔵庫から貰って来た団子は『真ん中』の市井の露天で買ったものとは少し味が違った。使っている粉が違うのか水が違うのか、或いは何らかの調味料を加えているのか。理由は分からないが、遥かに美味かった。
咀嚼し飲み込み、腹に落ち込んだ途端に全身に巡って行くのが分かる。腹が少しだけ落ち着くと、トールがきちんと『人』として認識出来るようになってきた。
俺の落ち着きを確認して、ノワが乾いた笑い声を上げた。
「あはは、アキラ酷い顔してる」
言われて俺はノワを見た。
ノワは、表情こそは柔らかく笑みを浮かべているものの、顔色は青白く、力が抜けて全てのパーツが5ミリくらいずつ重力に負けて下がって見えた。いつもならふっくらと薔薇色の頬はこけて、大分老け込んだ印象だった。
「ノワも、人の事言えないぞ・・・」
俺はそう言い返した。が、そう発言するだけでもキツかった。
そんな俺にトールが干し肉を差し出してくる。受け取り噛み千切って頬張る。2、3度噛んで飲み込んで、また噛みちぎって飲み込み、同じように無言で干し肉を噛んで飲み込むノワと向き合って食べ続けた。
泥まみれで胡座を描いて、無言で食べ続ける俺とノワ。その横で膝を付いて食糧を次々と渡し続けてくれていたトールが言った。
「えっと、これで最後です・・・」
両手を広げて乗せた古紙の包みの上には、マジール産の保存食の団子が2個乗っていた。それをノワと俺がひとつずつ取って口の中に放り込む。それでお終い。
ひと月分。もしもの時用に貰って来た保存食を、たったの2、3分で食べ切ってしまった。それでもまだまだ空腹は収まらない。
「足りないね・・・」
呟くノワ。
「うん。でも、餓死しそうでは無くなった」
俺はそう返した。
ノワがそのまま後ろに倒れ込む。けれども強い日差しの所為で地面は既に乾いている。今さっきまで溢れていた雨水はもう失われてしまっていた。
「クッ・・・、太陽め・・・」
空を見上げてノワは悪態を吐いた。
「・・・あの・・・」
横でトールが、困惑の表情を浮かべている。
それはそうだろう。大量の『魔物』を消し去った途端に、俺とノワがこんな風になってしまったのだから、訳が分からなくて当たり前だ。
「ごめんトール、ちゃんと説明するよ」
俺はそう言って、トールの肩をポンと軽く叩いた。
「はぁ・・・」
呟くトールのその声に被るようにして、大勢の足音が聞こえて来た。見ると、待避施設の鉄の門が開いて、そこから避難していた幼い人々が飛び出して来ている所だった。
人々は空の三重の虹を見て、そしてその中央の真下にいる俺達を見付けた。周囲に『魔物』の影がない事を確認し、そしてこちらに駆けて来る。
「ねぇ、『魔物』は?『魔物』はどこに行ったの?」
「何で雨上がったの?」
「あの虹は何?あんなの初めてみた」
口々にそんな事を言いながら近寄り、それでも一定の距離を空けて俺達3人を取り囲む。
囲まれて俺達は人壁を見上げた。低血糖状態の俺とノワはぼんやりと、言葉の分からないトールは警戒しつつも困惑。
人壁をかき分けて、さっき俺達を待避施設へ連れて行ってくれた少年2人が現れた。周囲の人々の様子から、その2人がみんなら一目置かれていると言う事が分かる。
「聞いても良いだろうか」
前に立つ少年が言った。
それに俺は頷いて、そいつの言葉を待つ。
「『魔物』はどうした?」
少年の言葉に、周囲の人々も静まり返る。みんなが俺の次の言葉に注目しているのが分かる。
「アキラが全部消したよ。無に帰した」
俺が答える前にノワが答えた。その声に、人々が響めき始める。
マズったか・・・?
一瞬、俺は今し方やった自分の行いを悔いた。何故なら、この人達はもしかしたら『魔物』を恐れならも殺す事なく共存する事を望んでいたのかも知れないからだ。だから『魔物』と戦う事なく、逃げ込んで身を安全を保持するに尽していたのかも知れない。もしそうだったとしたならば、俺は非難の対象になる。
が、そうはならなかった。
次の瞬間、人々は歓喜の声を上げた。
殆どが高い声。子供のそれに混じって、時々変声期の掠れた声と、年老いたしゃがれた声が混ざる。
喜び、側に居る者と互いに抱き合いながら喜びを分かち合う。人々の熱狂は収まる事を知らず、そのまま俺達3人を巻き込んで、破裂した。
「あ、あの!アキラとノワ様は疲労が濃く、本調子では無いので・・・!」
トールが俺とノワを庇ってそう叫ぶ。けれどもその言葉は、ここの人々にとっては異国の言葉。誰もが訳のわからない言葉として聞き流した。
「アキラ!やっぱりトールが喋れないのは不便だよ!何とかならないの!?」
青い顔のまま人波に流されつつノワがそう叫んだ。
俺とノワは『思念会話』が出来る。だからどんな言語形態の地域でも言葉に困る事は無い。
けれどもトールは違った。元『真ん中』近衛騎士のトールは、それなりの種類の言語を学んでいたものの、ここ『南』の言語を習得してはいなかったのだ。
何とかしろと言われても、ガス欠の状態では思考能力も低下して何も考えられない。
「と、とりあえず、何でも良いから腹一杯食わせて欲しい・・・」
もみくちゃにされながらそう呟き、俺は目を回した。
『魔物』は居ない。人々も過激だが友好的みたいだ。それなら、ここで気を失っても良いよな?
心の中でそんな風に確認しながら、そのまま俺は目を閉じたのだった。
陶器のコップに注がれた水に指先を突っ込んで、その水面を見詰めながら俺は考える。
この水は、深く掘った井戸から汲み上げたものだという話だ。それならば元は山の雪解けや蓄積された雨水だという事になる筈だが、触れた指先からは何も感じられない。
先程の『雨』とは違う。
『雨』は温かく、そして『力』に満ちていた。触れているだけで体が軽くなり、何というかずっと触れていたいという思いに支配された。
多分、と俺は思う。
この、大気中にエネルギーの無い『南』の地において本来いる筈のない『魔物』達は、あの『雨』に引き寄せられているのではないだろうか。
実際に『雨』を浴びてどうなるという訳ではない。それは、俺自身身を持って体験したから分かる。ただ、あの身を捩るような枯渇の苦しみを、一時的にとは言え忘れられる。
あの『雨』が降り始める前の突然の『雷』。アレが自然のものでない事は分かった。ここの人達の過去や未来は見えない。けれどもこの地の記憶は読めた。『雷』は毎日決まった時間に鳴り始める。そして雨雲を呼び、『力』に満ちた『雨』を降らせる。
そして『魔物』を呼ぶ。
呼んだ『魔物』が人を襲い、血が流れて大地に流れ込む。流れ込んだその血を、養分を、地の底で待っている者達がいる。それを感じる。
その一連の流れを、俺が止めた。人を襲う筈の『魔物』を消し、流れる筈の血を止めたのだ。
いる筈のない『魔物』をこの地に繋ぎ止め、人を襲わせ、地の底にその血を届けようとする者がいる。もしかすると、ここの大気の中にエネルギーが無い事も、その一連の流れの一部なのかも知れない。
大気中のエネルギーを枯渇させ、飢えた『魔物』を解き放ち、人を襲わせて地の底に血を流させる。
だとしたら、昨日今日に始まった事では無いのだろう。かなり昔から、長々と、着々と進められていた計画。
自然とこうなってしまったようには思えない。きっと、誰かが何らかの明確な目的を持って行っているんだ。
何の為に、誰がやっているのか。
「アキラ、まだしんどい?」
横からノワがそう聞いて来た。
今俺達は、ここの人達に歓迎されて、ささやかな宴を開いて貰っていた。
やられる一方だった『魔物』を消してくれたお礼だという事で。
目の前には空になった皿が積み重なっている。決して多くは無い食糧を、俺達の為にふんだんに振る舞ってくれた。
人々はみんな痩せていて、その食事状が充分に足りていない事が目に見える形で分かる。それなのにこんな振る舞いを受けて、罪悪感が湧いて来ない訳が無い。
けれども食べない訳にもいかなかった。大気中からエネルギーを得る事が出来ない今、空腹は危険だ。
腹が減ったらどうなるか・・・。
多分、人を襲うな・・・。
あの時俺は、トールの手を美味そうだと思ってしまった。ノワが止めなかったら多分ちょっと食べてたと思う。
俺自身も『魔物』と何ら変わりなく人を襲ってしまう。そんな予感が消えない。
それはノワも同じみたいで、苦い表情を浮かべながら出された食糧をただただ食べていた。
下手に何かをする事が怖い。戦ったり、記憶を見たり、未来詠みをしたり。そんな事が空腹を招き、俺を『魔物』に変えてしまう。
「大丈夫」
ノワにそう答えながらも、『大丈夫』ではないこの状況をどうするべきか、俺は考えを巡らせるのだった。




