4、子供の国
雨は生温かった。強いシャワーのような雨が体を打ち付けてくる。ついでに風が強くて容赦なく顔に当たり、前が見えなかった。
そんな中で、油断をするとすぐ横で魔物の気配がした。鋭い牙を剥いた口が大きく開いて俺を喰らおうとしている。慌てて飛び退いて距離を取ると、そこにも別の魔物がいて、仕方なく上へと飛んで逃げると、そこには飛竜のような魔物がいる。
まるで百鬼夜行。四方八方を魔物に取り囲まれていて、どうにも出来ない。
「アキラ!この雨なんとかなんないの!?」
少し離れた所でノワが叫んだ。
幸い陽光の無い豪雨の下では、ノワの『闇の鎖』は出し放題だった。左右の手から太い闇色の鎖を長く伸ばして、捕らえられるだけ魔物を纏めて縛るように捕まえていた。
倒してしまえば簡単。けど、可能ならば活性化を解いて通常の状態に戻してあげたい。この魔物達も、きっと好きで活性化している訳じゃない筈だ。
視界の隅で、ノワが1匹の魔物と目を合わせているのが見えた。そのまま活性化を解きに掛かる。
大きなネズミみたいな魔物だった。牙を剥いたネズミの、開き切った瞳孔がスーッと小さくなっていき、それに合わせて体も縮んでいく。活性化が解けていく。
俺は、その様子を祈るような気持ちで見守った。
ここで活性化を解いて、どうなるか。
そんな風に考えてしまう理由。それは、『南』の地には『魔物』がいない筈だったという事だ。
『魔物』はおろか、『神』と呼ばれる所謂『外側』の住人達も通常はいない事になっている。
その訳はと言うと、例外もあるが基本的に『魔物』達や『外側』の住人は、この世界において食事というものをしなくても生きて行く事が可能だからだった。大気の中にある自然エネルギーのようなものを、呼吸する事が出来るのだ。
人間が酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すように、彼等は自然エネルギーを吸って生きている。植物が地中から養分を吸い上げるように、大気の中から生命を維持するのに必要なエネルギーを得ているのだ。
けれども、その自然エネルギーが、この『南』の地にはほとんど存在していなかった。
俺達がここに来る前に居た『マジール』も、自然エネルギーの少ない土地だった。何が原因でそのエネルギーの多い少ないが決まるのかは分からない。
けれどもその差は歴然で、比べると『真ん中』はそれが非常に潤沢。だから『外側』の住人や『魔物』達が沢山暮らしているのだなという事がよく分かった。
食事が必要な体ではあるが、『異世界人』である俺も『南』に来てからと言うもの少なくはない影響を受けていた。
かつてない程の空腹感。食べても食べても満腹にならないし、食べたいという欲求が大き過ぎて、他の事を考えられなくなってしまいそうになるのだ。
トールの荷物の中から時々干し肉や団子を取り出して食べて何とか平常心を保ってはいるものの、油断すると危ないな、という危機感が常時付き纏っている。
多分、自分の中にそのエネルギーを存分に蓄える事の出来ない『外側』の住人や『魔物』達は、『真ん中』以外では生きて行けないだろう。だから、『真ん中』には、『神』や『魔物』が集まって来るのだ。
それなのに・・・。
今ここには、そのエネルギーが枯渇しているであろう『魔物』達が沢山いる。しかも『活性化』状態で、大量にエネルギーを消費しながら人を襲っている。
異常な事だった。
そんな中で『活性化』を解くという事がどういう事態を招くのか。
小さくなったネズミが地面に落ちる。元の大きさに戻った瞳孔が再び開いて、そのまま体が硬直する。ポトリと落ちたその体は、ピクリともせずにそのまま泥濘の中に沈んでいってしまった。
「やっぱり・・・」
呟いた俺に向かって、ノワは「何で!?」と叫ぶように言った。
『活性化』する事によってギリギリ命を保っているのだろう。だから、戻ると命を失ってしまう。かと言ってこのままにしておく訳にもいかない。
考えながら俺は待避施設の入り口を見た。
中に逃げ込んだ人々・・・、いや、子供達。
『南』は荒れている。
そう言われてやって来たものの、俺はここまで酷い状況だとは思っていなかった。
内戦や、もしかしたら『魔物』の脅威があるかも知れないとは思っていた。それでも人々は、苦戦しつつもそれならの生活をしているのだろうと思っていた。
けど、実際は違った。
戦える戦士どころか、大人がほとんど居ないのだ。俺と同じ位、15〜6の少年少女か、それ以下の小さな子しか居なかった。もしくは、もう走る事が出来ずに待避施設の中で暮らしている老人ばかり。
理由は分からないが(この国に来てからと言うもの、分からない事ばかりである)俺は、この国の人々の『過去』や『運命の柱』を見る事が出来なかった。だから、何があったのかは分からない。でも、今目の前に広がる『魔物』の群れを見れば、それなりに予想する事は出来た。
このままじゃ、みんな死んじゃう・・・。
全滅。
そんな文字が頭の中に浮かんで来た。
待避施設の中で震えている子供達の事を思い浮かべた。
育ち盛りなのに存分に食べる事も出来ていないのだろう、みんな痩せ細っていて骨が浮き上がっていた。暑い国だからかよく日に焼けた浅黒い肌をしていて、その黒さが更に線の細さを際立たせていた。
俺は、選ばなきゃならない。
『人』を救うか、『魔物』を救うか。
どちらにも罪は無い。どちらも被害者。
それは分かっている。でも・・・。
すべき事は分かっていた。
俺は、制服の内ポケットの中に手を入れた。
指先に感じる、硬く冷たい感触。
久々に持ったスマホは、なんだか以前よりも小さく感じられた。
多分、スマホは無くても良いんだと思う。でも、あった方が俺の頭の中でイメージを作りやすいのだ。
俺は『真ん中』のナバラ領で、テラの『活性化』を解いた時の事を思い出した。
あの時俺は、スマホのフラッシュを焚いて黒いモヤを消し去った。
今、同じ事をやろうと思う。
スマホの画面を見ながらホームボタンを押した。
充電100%。
この世界に来たばかりの時はバッテリー残量が5%を切っていた。それがナバラ領では58%になり、今はフル充電だ。
勿論充電なんかしていない。
コネクタがバチバチと線香花火みたいにスパークしているのが見えた。
もう、怖くなんか無い。
俺は躊躇なくそこに指を添えて、そしてスマホを高く掲げた。
側にいた『魔物』の何匹かが俺に向かって飛び掛かって来る。
「アキラ!」
トールが叫ぶように言って、俺に向かって突っ込んで来た。流石に速い。
トールが俺と『魔物』の間に割り込んで、いつの間に抜いたのか二刀流の剣をクロスして『魔物』の爪を受け流す。
それを横目で見ながら、俺はスマホのフラッシュを焚いた。
刹那、辺りが強い光に覆われる。
「目、瞑れ」
それは、トールとノワに向けて言った言葉だった。
「ちょっ!順番が違うよ!そういうのは光らせる前に言わなきゃ!」
ノワの慌てた声が聞こえた。
スマホのライトから飛び出した光は、正面だけでは無く全方位を照らした。強い光。強過ぎて何も見えなくなる。
辺りから聞こえていた『魔物』の咆哮が消えた。
ゴロゴロという雷鳴も消えた。
ただただ雨音だけが響き渡る。
次第にその雨音も引き始める。
一瞬だった。
一瞬の後に、雲の切れ間から日の光が差し込んで来る。開けた大地に一本、また一本と降り注ぐ陽光の線は、本数を増やして世界を明るく照らし出す。
雨が上がった。
そして、雨上がりの空はあっという間に晴れ上がり、そこに三重の虹が浮かび上がった。
半円じゃない。天頂を中心に、丸く正円を描く虹だ。
その虹と陽光に照らされて、泥濘んだ大地に横たわる『魔物』の死骸が蒸発するように消えて行った。




