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2.厳戒の中での被害者

 バジリスクのことは、夕方のニュースの速報にて伝えられた。

 朝発見された男女の石像は行方不明者のもの。尤もらしい理由をつけて凶悪なモンスターだと報じられる。

 その次にモンスターの徘徊について。被害者の石化前と後の画像を並べ、遭遇したらどうなるか――アナウンサーが話す。急迫した声音は、事態が決して軽いものではないことを表していた。

 また最後に、手向かった場合として粉砕された石像も映される。直接的には伝えられなかったが、しばらく無音で流れたそれからは、死の気配がひしひしと伝わってきていた。

 続けて、同じ内容のものがもう一度流される。


「 …… これで、皆が家に引きこもってくれたらいいけれど」

「まぁ無理であろうな」


 ニュースを流しながら、アニエスはやや呑気そうに茶を啜っていた。


「ユーグさんは大丈夫なのか?」

「心配いらぬ。むしろ遭遇していて欲しいぐらいだ、きっと木の枝に刺されたトカゲにしてくれるだろうからな」


 ユーグさんは『気になることがある』と、バジリスクが初めにいた山の調査に赴いている。母との件はもう半ば諦めているが、本当にあの人は何者なんだろう……。


「明日、明後日まで学校があるのであろう」

「ああ。表向きは自由登校だけど、明後日には終業式があるからな」

「締めが大事なのは分かるが、優先すべきことがあろう。日常は心の安寧であるが、一日、二日の辛抱できんのかまったく……。飯屋を閉じよと通告したせいで、明後日までのカツカレー・トッピングチーズ三倍サービスが終わってしまうではないか!」

「お前の原動力は飯しかないのか……」


 街の者たちがパニックを起こすことを先輩は危惧していたが、もう既に街に入っていると考えられ、被害の拡大を防ぐ方が最重要だと判断したようだ。

 ニュースは不必要に出歩かず、どうしてもの場合は街が定める道を通るようにと発表された。指定避難場所や医療救護施設、商店街などの商業区域であるようだ。

 番組の最後に地図が掲載されたURLが表示されたが、三十分もしない内にサーバーダウンした。


 翌日。自由登校なのをいいことに、俺は朝が過ぎた頃まで眠っていた。

 アニエスとユーグさんは既に探索に出た。母は寝乱れた髪に櫛を通す背を横目に、リビングへと向かってゆく。

 テーブルに何もないため、深くため息を吐きながら戸棚を覗き込んだ。


「レトルトすらないぞ……」


 下の棚を探っていたその時、電話が鳴った。通知画面には【熊井さん】と表示されていた。


「もしもし。守屋ですが」

『あ、祐護くん!』受話器の向こうから聞こえてきたのは、正佳のおばさんであった。どうやら俺に用事があったらしく、『ちょうどよかったわぁ』と明るい声がした。

『今日は学校行かなかったのね』

「ええ、変なモンスターが出てると言うので」

『普通そうよねぇ……。正佳に聞かせてやりたいわ』

「え?」

『学校に行くって、止めるのも聞かずに出て行っちゃたのよ。もし連絡ついたら、落ち着くまで祐護くんのお宅で預かっていてもらえないかしら?』

「え、ええ、それは大丈夫ですが」

『ちょっとくらいハメ外しちゃってもイイからね!』


 お願いしますね、と言っておばさんは一方的に電話を切ってしまった。

 俺は受話器を手にしたまま、プー……プー……と、無機質な音を聞いていた。

 いったいどう言うことなのか。昨晩、正佳と電話した時は『早い夏休みだなー』と、笑っていたはず。それなのに、いきなり学校に行くなんて――。


「まさかあいつ……!」


 ハッと気付いた俺は急いで制服に着替え、取るもの取らず家を出た。そして無我夢中で走った。

 商店街に差し掛かった時、備蓄食料などを求める人たちが殺到していた。『もしかしたら』を期待しながら駆けてみたものの、そこに正佳の姿はなかった。

 となれば、やはりあそこしかない。

 道端には百メートル程度の間隔で、バジリスクが嫌う雄鶏が入ったゲージが置かれている。

 学校の正門付近にも置かれてあった。ゲージには【飼育部】と名札が付き、赤いトサカの雄鶏がコッコッと落ち着きなく頭を振り動かしている。

 こいつらがいるから大丈夫だろう。そう安堵したのもつかの間、学校に重苦しい雰囲気が落ちていることに気付いた。


「まさか……」


 俺は駆け出していた。

 胸に湧き上がった不安が確たるものになったのは、何かが壊されたような破壊音と同時に、校舎から悲鳴が上がった時である。俺は急いで目指していた場所に向かった。

 そこは悲鳴のあった校舎ではない。周り込むように外周を周り、ちょうどその裏にある“菜園部”の畑――そこが見え始めた時、俺は思わず足を止めてしまいそうになった。


「嘘、だろ……!」


 頭からの命令を無視して走り続けた。

 近いようで遠い。遠いようで近い。畑の前に一体の石像が立っている――。


「正佳ッ!」


 畑に向かってバットを振り上げる灰色の少女の像……短い髪をしている石像だった。

 イタズラかと思った。むしろそうであって欲しかったが……


「なんで、なんで……お前、ここにきたんだよ……!」


 石になった正佳は鎮かに佇んでいる。俺の目は、見飽きるほど見てきた幼馴染みの顔を見つめていた。

 恐怖と使命感に駆られたような必死の表情だった。あれほど戦うな、と言ったのに……彼女の前には、踏み荒らされ、見るも無惨になった畑が広がっている。


「こんなもののために……」


 正佳の像が揺らいだ瞬間、思わず両手で抱きかかえていた。想像以上に軽く、細く、小さかった。力を入れたら折れてしまいそうなほどである。

 不安に駆られた俺は、その格好のまま動けないでいた。

 まるでトランプタワーの最後を立てた時のように、そっと慎重に彼女を立てる。それでも手は離さず、一番頑丈な両肩に手をやって正面から支えている。

 制服まで石になっているが、腰から一枚のタオルがそのまま揺らめいていることに気付いた。

 漁業組合で配られている白いタオルだ。あちこち薄く黄ばんでいる。


「もしかして、お前……畑にこれを置くために……?」


 バジリスクはイタチの臭いを嫌う。飼育部から臭いをつけてもらったのだろう。腹を空かせたトカゲがやって来ないように、と――。


「お前は……」


 馬鹿か、と言うと正佳は少し申し訳ないような顔をしたように見えた。そうあって欲しい、と望んだ願望からもしれない。

 それからどれくらい時間が経ったのか。騒ぎを聞きつけたアニエスと霧島先輩が駆けつけるまでずっと、石になった正佳の顔を見つめていた。

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