1.大きなトカゲ
“真相”の詳細を知ったのは家に帰ってからであった。
「――つまり、〈殴り猿〉が猿山にいたのは、手に負えないモンスターを喚び出してしまったから、と?」
「その通りだ」
リビングの中。ソファーに座るアニエスが深刻な表情で頷いた。
「巨大なトカゲ。〈バジリスク〉か――その様子からして、ヤバそうだが」
「奴が出現したとの報があると、ただちに中隊規模の討伐隊が組まれる。集めるのも手晴ればかりだ」
それは、俺から盗んでいった財布の中にあった。
魔物の中でも凶悪な存在、仲間内であっても邪魔なら排除する獰猛なは虫類だとアニエスは言う。
毒の吐息は岩をも砕き、その目を見ればたちまち石になってしまう。敵味方関係無く、テリトリーを持たず気の向くままに移動・攻撃をすると聞けば、〈殴り猿〉が逃げた理由にも納得がゆくものだ。
「よくこれまで街に現れなかったな……」
「手負いだったのだろう。傷が癒え、行動を起こすのは時間の問題だ。イザベラも策を講じると話していたが、巨大なトカゲを見たら即座に逃げろ。絶対に近づくな」
これまでにない真剣な様子のアニエスに、俺は顎を引いてしまっていた。
そんな凶悪なモンスターがいるにも拘わらず、学校は通常通り授業が行われた。即売会は延期との発表があったものの、その後の終業式は延ばすことは出来ない。
何が原因かは伏せている。『危険が迫りそうだから』との不確定かつ漠然とした理由で、しかも短期間で二度も休校にできない。一学期は一週間を残すのもあってか、教職員たちが難色を示したらしい。
なので、普段変わらぬ日常を……“意識しない平穏”を祈るしかない現状だ、と霧島先輩は言った。
「――アニーが街を回っている時は、そんな気配なかったんだろ?」
朝の教室にて、俺は正佳とバジリスクについて話した。既に電話で話してはいるものの、細かなことまでは話していない。コトの重大さを知り、正佳は思わず下顎を出していた。
「森を住処にするので山の奥かどこかに潜んでるかも、って見解だな」
「なら大丈夫だって! 変なことせず今まで通りやってりゃ、変わらない毎日を送れるからさ!」
正佳はよく分からない理屈を口にしながら親指を立てた。
しかし、誰かが“変なこと”をしたのか――その二日後、日常の崩壊を告げる出来事が報じられることになる。
『今回発見された石像は、先日、捜索願いが出されていた男女グループに非常に近しいと思われ、悪戯かそれとも何らかの見せしめか、警察は慎重に操作を――』
これが報じられたのは朝のニュースだった。
場所は隣街の山中のようだ。特に重要視されていないのか、報道はほんの数十秒の出来事を伝えるだけのもの。しかしこれを見た俺たち、リビングの中の空気は張り詰めたものになっていた。
「まさかこれって……」
ニュースが終わった後、俺はソファーに座っていたアニエスに目を向けた。顔が強張っている。
「うむ……」言葉少なく頷き「兄上に報せてくる」と言うと、朝食のパンを置いてリビングを後にした。
居間に一人残された俺は、頭の中でニュースの内容を思い出してみることにした。
山に登った若い男女グループが戻って来ないとの通報を受け、消防団らが山の捜索に。するとその山の中腹付近にて、男女のものに近しい顔をした石像が複数発見された――とのことである。
学校は普段通りあるので、用心を兼ねてアニエスと共に通学した。
校門の前で別れ、アニエスは霧島先輩のいる相談室へ、俺は菜園へと向かう。
――バジリスクは肉食。ここまでは来ぬであろう
アニエスはそう言うが、用心に越したことはないと言葉を続ける。
そろそろと慎重な足取りで学校の裏に向かってゆくと、
「ん? あれは」
菜園の前でセーラー服姿の女子が一人、しゃがみ込んでいることに気付いた。艶々とした黒髪に小麦色の日焼け肌から、すぐに正佳だと判った。
実った作物の出来を確かめるかのように、一つずつ手にしては戻してゆく。俺には気付いていないらしく、近づこうと土砂利を踏み鳴らしたその時、彼女は咄嗟に脇にバットを手にして振り返った。
「――!?」
「――!?」
驚いた表情のまま互いに検め合う。
やがてそれが俺だと判ると、はーっと胸を押さえながら深いため息を吐いた。「な、何だ祐護かぁ……」
「驚かすなよなあ……」
「こ、こっちのセリフだっ! こんな所で、何してるんだ?」
「朝のニュースでやってただろ? 遭難者の石像が現れたって。あれは逃げた巨大なトカゲの仕業だろ」
「ああ。バジリスクの眼光によるものに違いない、とアニエスが言っていた」
「あたし昨日、図鑑見ていたらトカゲって肉食だけど、野菜とかの草も食べるっての見てさ……ここが心配になって見に来たんだよ」
「そんな危ないことを……本当に出てきたらどうするんだよ」
「大丈夫だって。それにちゃんと対策も考えてある」
「対策って、そのバットか……?」
「違うよ。これはさっき、アルマジロみたいなのが作物囓ってたのをぶっ飛ばしただけ」
「じゃあ、何を――」
正佳は含み笑いを浮かべ「センパイの所に行こう」と、踵を返して校舎の方へ向かった。
俺はその背を追いかける。対策とは何なのだろう? 霧島先輩やアニエスのいる相談室でそれを教えてもらえることを期待して、相談室の扉をくぐった。
「おう。来たか」
俺たちに気付くと、ソファーの上に腰掛ける先輩が手を挙げた。テーブルを挟んだ正面にはアニエスが座る。テーブルには大きな地図が広げられている。
「それは、この街の地図か?」
「うむ……」アニエスは地図から目を離さず返事をした。「事態は想像よりも深刻なようだ」
地図に目をやると、そこには赤い×印が四ヶ所、緑の×印が十ヶ所打たれているのが分かった。
「隠蔽しているから判らなかっただけで、既にあちらこちらでバジリスクの被害者がいるようだ」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ」と先輩。「危険だと伝えても、この国の連中は何が恐ろしいのかまるで知らないんだ。リーザ域で被害広がった時のように、面白がってバジリスクを探す馬鹿を増やすだけだよ」
「まぁそうだな。新兵は先に死に、無知は周囲に迷惑をかけるものだ」
「知らぬなら知れ、とはよく言ったもんだ」
先輩は細く息を吐いた。
それはデュードと戦うにあたり先輩が俺に教えてくれたことだ。受け継がれてゆく教えはすべて意味があった。
だが危害を加えるモンスターを先に排除しているのもあってか、この街の者たちは魔物に対する危険意識が日に日に薄れている。
「確かに、携帯でもモンスターの画像が出回ってるしなー……。中にはバズってるのもあったし」
正佳も危険な状態だと察したようだ。
ニュースで報道された若い男女のグループが最初。次にカメラマン、賽銭泥棒、警官だと先輩は話した。
そして被害は人間だけに留まっておらず、
「どっかの馬鹿が餌をやったのか、あっちこっちで人間の食い物を漁ってるってよ。まるで熊だよ」
「それだけ聞けばアニエスみたいですね」
「ちょうど緑色だしな」
先輩がくっくっと笑うと、アニエスは「冗談を言っている場合ではない」と不満顔をした。
「バジリスクは既に山を下り、この街に向かって来ているのだぞ」
食い物を求めているのか、地図に記された赤と緑の×印を繋げると、確かに一本の線がこちらの街に向かうように繋がる。
「今日の夜にでも報道を流させるが、お前らも絶対にバジリスクには近づくな。仮に対策をしてあってもだ」
「はい」「は、はい……っ!」
先輩の鋭い目に、俺たちは真剣な面持ちで頷く。
賽銭泥棒のそれは、挑みかかろうとしたのか石像が粉砕されていたらしい。それが“死”を意味することはすぐに理解出来た。
そして、“対策”とは正佳の言っていたものだろう。俺は問うような目を向けると、アニエスが答えた。
「バジリスクは凶悪だが、生けるものは必ず弱みを持つ。奴はイタチの臭いとニワトリの鳴き声を嫌う――特にある薬草を食わせたイタチ、その臭いを染みこませた布を所持していれば逃げてゆくのだ」
正佳に目を向けると、「飼育部に手配済みだ」とタオルを片手に親指を立てた。




