131、呼称
「こちらとしては貴方にお会いできた以上、速やかにこの街から立ち去ろうと思っているのですが」
端的なものだが大まかな全体像を掴んでもらうために言葉は惜しまない。
「……私は、いえ。わがままですね。この期に及んで貴方様を一つのところに押しとどめようなどと」
聖女さんは少しばかりの笑顔を浮かべては困ってしまいますと表情にて形作る。
「いえ、こちらとしても聖女さんが元気そうで安心しました」
「そう……ですか?」
聖女さんは一度目線を外しては落とし。
その後に再びこちらへと視線を向ける。
「はい。元々このような事態を望んではいませんでしたが、聖女さんに会うという目的は偶然にも果たされましたので」
「私に……ふふっ。私は覚えていますのに、リンさんは私のことを名前で呼んではくれないのですね?」
「あ、いえ、それは……その、はい。すみません」
本人を前にして覚えていないとも忘れてしまったとも言い出せず、結局しどろもどろの内に謝罪するに至る。
「いいんです。謝らないでください」
聖女さんは何もかもを許してしまいそうな優し気な表情をこちらへと向けてくれている。
「私は、その。あまり印象に残るような顔立ちでも……それこそ殿方がお喜びになられるような体つきをしているわけでもありませんから」
そう話す聖女さんは。
暗い、というわけでもなく。
どちらかと言えばそう見えないように意図して明るげに振る舞っている節が感じられた。
「そのようなことは」
「いえ、否定なさらないでください。私はそれでも貴方様がこうしてわざわざ足を運んでくれたという事実だけで、そっ、その……み、満たされていますので」
白い肌がほんのり赤みを帯びて行くのが至近距離だからこそよく分かる。
「そう言っていただけるとこちらとしても救われます」
「そ、そんなっ」
「手持無沙汰ですみません。本当は手土産も用意してきていたのですが、その、こうも差し迫った状況でお会いできるとは思ってもいませんで」
「いっ、いいんですっ。お気になさらないでくださいっ。そ、その、もし次があるのでしたら……」
「はい。是非」
萎んでいく聖女さんを前に間髪入れずそう答えては続ける。
「今回は食べられそうにないですが、そのときは、そうですね。手料理、期待しています」
「てっ――が、頑張ります」
「いえいえ、野宿が多い身ですので」
「ので? 大抵は何を食べてもおいしく感じると仰りたいようですね?」
「ははっ、残念ながら否定はできませんね」
「ふふっ、もうっ、分かりましたっ。その時はあっと驚かせて差し上げますっ」
「期待しています」
「はいっ。あっ、私が手料理を振る舞うんですから、リンさんにも相応の手土産を期待してもいいんですよね?」
不意打ち。
正しく不意打ち。
笑顔を全面に、こちらとしてもこれまでの経過を鑑みれば言えることはただ一つ。
「あっと驚くようなものを用意しておきます」
「ふふっ、期待してますっ」
それで蓋を開けてみれば他愛の無いひそひそ話も終わり。
近づけていた顔を二人して元の位置へと戻せば取り囲むように老若男女問わずこちらへと訝し気な視線を向けている。
「話はつきました。リンさんはお帰りになられます。道をお開けなさい」
聖女さんはそれでこちらを導くようにしては扉を遮る者たちへとその場から退くように仰々しく手で示して見せる。
「……どうしたのですか。私は退きなさいと言っているのです」
それでも動くことのない者たちへ対して、若干の警告を含んだような物言いで以って周囲へと視線を送る。
「……今のアンタについていこうなんて思う奴はこの場にはいないぜ」
囲んでいた内の一人。
若い男が分かり易く剣を引き抜いては態度を明らかにする。
「それが貴方の――いえ。あなたたちの選択というのであれば仕方がありませんね」
聖女さんはおもむろに。
それまでどこに隠し持っていたのであろうか。
空を掴む様に気が付けば。
その手には神々しくもそれを損なわないだけの品格に見合った装飾を身に着けた。
見た目には戦闘に向いていないであろう細身の長剣を多勢に無勢という状況でありながら、まるで臆することなくむしろ相手の行動を抑圧するように手の内へと収めている。
「聖剣……フッ、フフッ、ハハハハハハッハッ!」
対する男は正気を失ったかのように笑いを強調する。
それから一頻り笑い転げてはニヤリとこちらを嘲笑するように口角を吊り上げる。
「それが通用するのは魔物相手だけの筈だが?」
「それが何か?」
しかし、こちらの聖女さんは全く気にしていない様子。
その事実があったところで剣であることには変わりないと毅然とした態度で逆に問いかける。
「チッ……舐められたもんだな。おい」
男は囲んでいる者たちへと目線でもういいなと最後の確認。
「わ、私はやっぱり――」
そんな中。
一人の杖を手にした女性から纏まりを欠くように声が上がる。
「お前も反逆者か?」
男は威圧的に、それでいて不快感を隠すことなく眼差しに含めては容赦なくその女性へと差し向ける。
「い――ちっ、違う……けど……」
「なら行動で示せ」
男はそれ以外でお前に出来る事は何も無いと最後通告にも似た一方的な言葉を残す。
そのやり方だけ見ればとても平和的だとは言えないが、それでもこれから繰り広げられるであろう事態に比べれば幾分かましと呼べる会話はそれで終わり。
しかし――。
「貴方が私に対してどう思おうとも勝手ですが。彼女個人の意思を他者である貴方の都合で捻じ曲げることには、それも暴力を背景にした強要ともなればこちらとしても口を挟まざるを得ませんね」
そう言葉にしたのはこの場にて唯一二人の間に口を挟めるであろう聖女さん。
「うるせぇ……お前には関係ねぇだろ」
「いえ、あります。彼女は私を排除すべき相手とは見なせていないようですので」
「あ?」
男は事ここに至って尚、女性へとその視線で常人であれば縮み上がってしまうであろう殺気を女性へと向けている。
「私を前にしてよそ見ですか? 大した度胸ですね」
言いながらも一切その場から動こうとしない聖女さん。
明らかに内部からの瓦解を狙っているようにも思える。
「……ならかかってこいよ」
男は強がりでも何でもない、それどころかただの挑発ですらない苛立ちを吐き捨てる。
「先手を譲るのは強者から弱者に対するせめてもの礼儀ですが……それすらも理解できていないのですか?」
言葉に棘こそあるもの。
そこには悪気と言うものが一切ない。
だからであろうか、人の心を動かしてしまうのは目に見えた一時の暴力ではなく、変えることのできない恒久的な過去。
すなわち真実とはよくもまぁ何と言えばいいのか。
別段そう誘導することに不思議はないものの。
それで一度死んでいる身からしてみれば成程なと感心するほかない。
「チッ……おい、一斉にかかるぞ」
男は全員にけしかける。
しかし。
既にその全員とは一部に限られ始めているようで。
「私は――」
そう言ってはこちらへと顔を向ける。
それから少しばかりの笑顔を携えては誰と言う個人ではなく、周囲の者たちという数限りない人々を前にして語り始める。
彼に命を救われたと。
協会の要請で戦線に赴くこととなり、現場の判断で前線へと投入されたと。
「ですが私は誰の事も、何も恨んではおりません」
彼女は続ける。
「こうしてリンさんに、もう一度お会いする事ができたのですから」
と。
彼女は笑顔で微笑みかける。
だが、その内容は端的にも、きっと普通であれば自身を持ち崩していてもおかしくないことのほとんどを省略して話していることは分かるのだが。
それでもだからといってその中身を無理強いする事も、勝手に憶測を巡らせて同情する事も。
そのどちらも今の彼女の前では平等に意味をなさず。
いや、そうすることが出来ない程に彼女からは嘘を感じない。
真実、何者でもない真実が目の前にあるからこそ、それを否定することはただの自己矛盾にしかならないのだ。




