116、やぶへび
ゴスッ――。
辺り一帯に響くというほどではないにしろ。
その場に居合わせれば確実に耳に届いたであろう鈍い音。
それは重く、強く。
日常の一端であるかのように軽くいなしては、殆ど距離などない状態で打ち込まれた筈の。
人の拳と、未知の骨肉。
それらがぶつかり、上げた音にしては些か常識の範囲内に収まる何とも呆気ないもので。
「リンさん」
めり込んだ腕を前に。
沈黙した毛玉へと歩み寄るのは他でも無いマリア。
軽くこちらへと視線を交わすことで合図とし、光り輝く刃を突き立てるべく振りかぶる。
「ん?」
自身の腕の先。
そのまた向こうであるところの指の先。
先端に何かが触れたような気がしてつい疑問を口にしてしまう。
「どうかされましたか?」
自然。
マリアは突き立てようとしたその手を止めて。
こちらを窺うように向き直っては光共々刃をその胸元へと収めていく。
「いや……」
気にするほどの事ではないと言った所で既にマリアの聞く準備は整っている。
それに今更気のせいでしたなどと流したところで、再度マリアに負担をかけてしまうことには変わりがない。
どうするか。
考えるような事でもないのだが。
まるで自身に起きた現象を上手く言葉として説明できる気がしない。
「どうしたのよ」
サラスが動きを止めたこちらに対して疑問を抱いたのであろう。
アイギスを背中に、ジーナを連れ立ってはその距離を縮めてくる。
「リンさん」
それはいいのか?
という意味を内包した簡単な問いかけ。
毛玉は依然として存在し、安全を確保したわけでもなく。
周囲にエルフたちという脅威も残したままいささか危険な行為ではないかという言わば気遣いから発せられたものであろう。
「いいのよ」
ただその声はサラスたちにも例外なく届いていて。
「リンさん」
「だから大丈夫だって」
サラスからしてみればマリアの言葉は自身が思っている以上に心配性に映っているのであろう。
楽観的と言えば楽観的だが、実際のところ。
「リンさんが異変を感じています」
「みたいね?」
「偶発的かつ常識の範囲から外れた事態が予想されます」
「う、うん?」
「もしそうであるならと仮定した場合ですが。リンさんと私で必ず対処できるとは限りません」
「え、えっと……」
「状況が自身の思惑通りに進むと考えているのであれば最悪を想定して慎重に行動するべきです」
「……ジーナ。ジーナはいいの?」
「えぇっ!?」
サラスハようやく自身が怒られていることに気付く。
だがそれは、マリアがサラスのことを思っているが故の行動と言えるわけで。
「私はサラスさんに現状を正しく理解していただきたいだけですので」
「……ので?」
「最善は尽くします」
「……ジーナは?」
「まだ続くのっ?」
ジーナが一度は飛び火を免れ安堵していたところ。
強引にも再び焦点を当てられては驚きの声を上げる。
「ジーナさんは……必要ないでしょう」
「なっ、なんかそれはそれで……うん。べつにいいんだけど……」
「良い意味です」
「うん……?」
「……困らせるつもりは無かったのですが……」
「あぁっ、いやいや、うんっ。分かってるよっ?」
ジーナはぶんぶんと目の前で手を振って見せては。
否定と同時、肯定の意思を言葉だけでなくその行動でもって強調していく。
そこへ――。
「ん――」
感触を捉えた指先が再び何かを捉えようとして――。
「サラス――! 離れて障壁を張れ!」
何者かに掴まれては毛玉の中へと引きずり込まれそうになる。
「リンさんっ!」
マリアがこちらの体を危険を顧みる事無く掴んではその力に抵抗する。
「ちょっ――わっ、えっ!?」
「サラスはこっち! マリアもっ!」
ジーナはこちらの意図を持ち前の察しの良さで的確に把握しては、マリアの肩を掴んで無理矢理引き剥がしにかかる。
「リっ――リンさんっ!」
マリアはここまで変わらない様子を見せていたものの。
どうしたことか、らしくないことに状況を冷静に判断できていないようだ。
「サラス!」
喚いては力の限り暴れるマリアにジーナ一人では些か荷が重い。
協力するよう名前を呼んでは促すも、どうやら上手い事伝わらなかった様で。
「ジーナを――ッ!」
毛玉自身が動くことは無いとはいえ、流石に足のみで踏ん張るにも耐えられる量というのには限りがある。
「ちょっ――」
その身を肩まで侵食されながらも、身体強化で無理矢理大地へと両足を突き刺しては即席の支えとする。
それから身を捩っては残った片腕も同様に、大地へと力の限り叩きつけては抉り込ませていく。
「リンっ! こっちはもう大丈夫だからっ!」
声に一瞬だけ目を向ければ、ジーナの手の中で四肢を力無く垂らしているマリアが視界へと入ってくる。
「サラスっ! 障壁張ってっ!」
ジーナはサラスのもとへと駆ける。
「え、えぇっ」
サラスも事態を上手く呑み込めていないとはいえ、一歩二歩と下がってはアイギスを背に。
ジーナとマリアを囲んではこちらを障壁の外へ。
「リンっ!」
「――!」
合図ともいうべきジーナの言葉を受けて。
身体強化の施された全身へと引きずり込まれることを拒否するように。
現状維持から打開へとその力の向きを変えては自身を加速させる。
「リン……!」
「ッ――!」
「リンっ!」
サラス、そして再びジーナから声が上がるもそこに含まれているのは何物にも代え難いこちらを鼓舞する信頼だ。
「――!」
ギリギリと歯が音を上げ。
大地が耐え切れずにその形を失っていく。
「リンっ!」
だが応えないわけにはいかない。
「リン……ッ!」
応えなければ守れない――。
「私を、私を一人にはしないんじゃなかったのっ!? リンッ!?」
仲間も、約束も、思いも。
「リンっ!」
ビキビキと音を上げているのは自身の体か。
それとも大地か。
崩れ去る先からとっかかりを求めてさらに奥へと手を伸ばす。
「リン……?」
そうして――毛玉の奥から引き抜いたそれは――天高く舞い上がり。
「ご苦労」
軽やかに着地してはこちらを一瞥。
障壁など意に介さず。
サラスの背中へと――。
アイギスへとその手を伸ばした。




